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会津若松歴史巡り①【鶴ケ城、飯盛山白虎隊】

福島県は会津若松市にやって来ました。会津松平家の城下町です。J

R会津若松駅の風景です。忠義の会津藩士は今も市民の誇りか。

鶴ケ城

さて、まずは会津の象徴・鶴ケ城にやって来ました。JR会津若松駅からバス「鶴ヶ城入り口」下車、徒歩5分です。

 

 

 

天守閣に着きました。

鶴ヶ城の生みの親は、戦国時代の武将・蒲生氏郷と言われます。豊臣秀吉の命で、それまで伊達政宗が統治していた会津に入った氏郷は、1593年に今よりも高い七層の天守閣を完成させ、名前も鶴ヶ城に改めさせました。

江戸初期の1643年、2代将軍秀忠の(隠し子の)保科正之が会津に23万石で入封します。なぜ隠し子かというと、秀忠の正室のお江は猛烈な性格で、秀忠は恐妻家でしたので、側室や庶子の存在を秘密にしておきたかったのです。お江に知られると暗殺される危険がありました。大河ドラマ「葵〜徳川三代」の岩下志麻を想像すれば納得できる。

 

保科正之は優秀で、しかも兄である3代将軍家光にも、分をわきまえ臣下として仕えました。正之の人間性を愛した家光は、自分の亡き後の4代将軍家綱の補佐役を託します。

のちに保科家は松平の名を与えられ、徳川の最も忠良な藩屏と成っていきます。そしてそれが幕末の会津松平家の悲劇を生むことに繋がっていきます。

 

10年くらい前に来た時と何か違う、と思ってたら、やはりリニューアルしてたようです。2011年に天守閣屋根瓦は赤瓦に葺き替え工事され、幕末当時の姿が再現されました。

天守閣に入場していきます。

 

天守閣の1層目は塩蔵になってました。

なるほど。内陸の会津では貴重な塩を、冷涼な下層部で保存しているのですね。塩は越後から阿賀川の舟運を利用して運ばれました。阿賀川とは、阿賀野川の福島県での呼び名です。

 

天守閣の2〜4層目は、会津の歴代領主や戊辰戦争関連の興味深い展示がありました。残念ながら撮影は禁止でした。最上階の5層目が展望所となります。

 

 

白虎隊の自決で知られる飯盛山が見えます。白い線が見えるところ。

 

鶴ヶ城入り口バス停近くに「会津戊辰戦争終結の地」があります。

1868年9月22日、会津藩はこの地で「降参」と大きく書かれた白旗を掲げました。1ヶ月に及ぶ会津攻防戦は終わりを告げたのです。

飯盛山

さてまちなか周遊バスを利用して、その飯盛山に来ました。飯盛山は戊辰戦争の時に、白虎隊の悲劇があったことで知られます。バス停「飯盛山下」から徒歩5分です。

 

ここがバス停からすぐそばの入り口で、登っていきます。

 

 

 

悲劇の白虎隊も現代では観光名所です。

スロープコンベアがありました。これ、テレビで見たことある! 初号機か。

250円なので乗ってみました。切符入れがとてもレトロっぽいね。

 

ベルトコンベアがなんかペラペラしてたし、斜めのまんま運ばれるので、乗り心地は良くなかったですが、まあ話のタネぐらいにはなりそう。

 

登ってみると、ローマ市寄贈の碑がありました。ファシスト党時代のイタリアから。

白虎隊の武士道精神に共感してとの寄贈らしいですね。

この柱はポンペイの廃墟から発掘されたものらしいですよ!

 

いよいよ自刃の地へ。

 

16~17才の少年たちによって編成された白虎隊は、猪苗代湖畔・戸ノ口原合戦から退却し飯盛山にたどり着きます。

しかしそこで、鶴ヶ城の天守を覆い隠す、激しい炎と濛々たる黒煙を目にします。その時、隊士の間では帰城し戦うか、敵陣に斬り込みをかけるか、激論が交わされました。

結果、彼らが選んだのは自刃でした。捕らえられて生き恥をさらすより潔く死を選ぶ、という結論でした。

遠く鶴ヶ城を望む。ちょっとマンガチックな像ですね。もう少しリアリズムで造った方がかっこよかったのに。

 

実際には城は落ちてはおらず、周辺の武家屋敷から昇っていた煙だと言われています。

隊士の指差す方角を眺めてみました。

 

白虎隊でたった一人一命を取り留めた少年がいました。飯沼貞吉という人物です。

彼は一人だけ生き残った悔恨の念から、二度と会津の地を踏むことはありませんでした。

そして晩年になって重い口を開き、白虎隊の悲劇は後世に伝えられることとなりました。

飯沼は1931年に仙台で亡くなりましたが、戦後多くの友が眠る飯盛山に墓碑が建てられました。

 

白虎隊十九士の墓です。

 

 

藩主・松平容保の白虎隊に向けた弔歌の碑です。

「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世世に朽ちじとぞ思ふ」

 

その他、様々な慰霊碑があります。

白虎観音です。

会津藩殉難烈婦碑です。戊辰戦争では会津の婦女子も230名が、戦死または自刃しています。そういえば大河ドラマ「八重の桜」も会津の娘の話でした。

 

会津さざえ堂という有名なお堂がありました。

会津さざえ堂は1796年に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。国重要文化財に指定されているそうです。

上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるそうです。

なんとなく入場はしませんでした。

後でテレビでみたら意外に楽しそうだったんで、入ればよかったと今は反省してます。

 

戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)です。

この洞門は猪苗代湖の水を会津地方に引くため掘られた洞穴です。

 

猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら20名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約150メートルの洞穴を潜り、飯盛山の中腹へと戻りました。

 

 

 

白虎隊記念館です。

入場料400円です。(入らなかったけど)

この後、周遊バスが全然時間通り来なくてすごい待たされた記憶があります。

 

晩飯は、会津駅前で喜多方ラーメン食べました。美味しかった〜!


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