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福岡市歴史巡り【元寇防塁】

福岡県のもう一つの政令指定都市・福岡市にやって来ました。

 

JR博多駅

 

九州一の大都市、人口150万人の地方中枢都市です。さすがに大都会。

さて福岡みたいな大都会に来ても、とりあえずやることは歴史巡りです。まずは元寇の史跡を探索していきたいと思います。

 

まずは元寇防塁の探索です。元寇防塁とは、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の際に築かれた石垣のことです。

元寇の一度目は1274年の文永の役ですが、そのあとの1276年から二度目の襲来に備えて築かれました。元寇防塁は福岡市内に何カ所かあるようですが、今回は西新(にしじん)地区というところにある防塁を訪れました。

 

地下鉄空港線・西新駅から向かいます。

このへんは文教地区なのか。名門校・修猷館(しゅうゆうかん)高校がありました。

福岡県は久留米大附設という私立の名門(ホリエモンの母校)もありますが、県立では修猷館や東筑が名門校として有名ですね。

 

元寇防塁

なんと防塁が地名か!

ここが元寇防塁入り口です

 

西南学院がありました。私立の名門校ですね。この西南学院の体育館の敷地内に元寇防塁はありました。

 

なんと元寇神社。戦死者を敵味方関係なく祀っているのだと思います。


防塁の高さは2.5m~3m程と考えられています。

 

 

 

この防塁が約20キロにわたって築かれていたようです。効果は実にてきめんで、元軍はついにこの防衛線を突破できなかったそうです。

 

石塁は、江戸時代初期にだいぶ無くなってしまったそうです。あの黒田官兵衛が福岡城を築く時の石垣としてリサイクルしてしまったそうな。

 

この後は福岡タワー方面へぶらぶら歩いて行きました。

上がりたかったけど、他に目的地があったのでスルーです。

福岡市内の観光で、歴史巡りを続けていきます。

 

博多町家ふるさと館

「博多町家ふるさと館」というところに立ち寄りました。

 

博多は伝統工芸品の町でもあります。博多織の実演が行われていました。いい感じですね。

 

また博多人形も有名ですね。素晴らしい艶やかさです。

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櫛田神社

次は櫛田神社(くしだじんじゃ)に到着しました。

櫛田神社は、博多駅からは地下鉄空港線などでアクセスできます。最寄り駅は祇園(ぎおん)駅ですね。

 

この神社は、古くから博多の総鎮守として信仰を集めている神社です。地元の人々からは「お櫛田さん」と愛称で呼ばれています。博多どんたく博多祇園山笠などの祭事をおこないます。

 

 

 

 

 

境内には、祭り期間中にしか見ることができないはずの博多祇園山笠の飾り山が、唯一常設されています。

 

 

筥崎宮

さて別の日ですが、筥崎宮(はこざきぐう)にも参拝してきました。

地下鉄箱崎宮前駅から徒歩3分くらいです。

 

雨の日でした。

 

 

筥崎宮は、京都の岩清水八幡宮、大分の宇佐八幡宮と並ぶ日本三大八幡宮に数えられるそうです。

 

 

この石垣は元寇防塁を移築したものです。

手前は蒙古軍船の碇石です。暴風雨の襲来で、蒙古の軍船の多くは海の藻屑となりました。

実はこの神社は、元寇と大きな関係がある神社なのです。

 

楼門・伏敵門に到着しました。

 

 

敵国降伏! 目立ちますね。この敵国とは「元(蒙古)」のことです。

この扁額は、元寇の際に安寧を祈願した亀山上皇のご自筆の模写と言われます。

ちなむに、敵国降伏とは、力による敵の殲滅などではなく、徳の力によって敵を降伏させる、というものです。

 

亀山上皇の銅像は、福岡市東公園にありますが、彫刻家・山崎朝雲による原型木像が筥崎宮にも展示されています。

亀山上皇の像です。第90代の天皇で、鎌倉時代の元寇の際、「身を以って国難に代わらん」として全国の社寺に国家の安泰を祈願されました。

亀山上皇銅像は、明治時代に元寇撃退の偉業を顕彰するためにつくられました。

執権・北条時宗だけでなく、朝廷も一体となって国難に立ち向かったのです。

 

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