函館駅
函館駅はたしか階段の上り下りなく外に出られるんだよねえ。バリアフリーを早い時期から実現してましたね。
港の周辺をぶらぶら。今はなき青函連絡船の記念館「摩周丸」がありました。
外観だけ。
後で坂の上から望遠で写した摩周丸です。
朝市
たまらず食いに走ります。
安かったなあ。
これで1800円くらいだった。めちゃ、うまかった・・と記憶。
坂本龍馬の像がありました。龍馬がなぜ?函館と何の関係があるんでしょうか?
ちょっと福山に似てるので、大河ドラマ「龍馬伝」の便乗企画だったのかも?
「箱館・高田屋嘉兵衛資料館」の外観です。
高田屋嘉兵衛は江戸時代、淡路島生まれの豪商で、箱館(函館)を本拠地に北洋漁業を開拓しました。
有名な「ゴローニン事件」(ロシアとの国境紛争)の時に嘉兵衛はロシアに捕えられますが、少しも臆せず、ロシア語も喋れないのにロシア海軍を説得。嘉兵衛の豪傑ぶりに感嘆したロシアは謝罪し、日本もそれを受け入れ拿捕していた海軍士官ゴローニンを解放し、無事解決。以後、両国の平和友好が促進されました。
金森赤レンガ倉庫
明治の終わり、1907年ごろの建築だとか。
今はレストランとかショップとかに活用されています。
函館は坂の町です。大三坂から上ってちょっと散策していきます。
雨の函館もオツなもんです。
謎の自由の女神。
「カトリック元町教会」に到着。
幕末にキリスト教が黙認されるようになると、仮聖堂がつくられました。函館元町にも1859年という、最も早い時期につくられました。
現在の聖堂は1924年につくられたものだそうです。
作家の「亀井勝一郎・生誕の地」です。この辺の出身だったのか。
函館ハリストス正教会
こちらはロシア正教の教会ですね。
1916年の再建であるそうです。
八幡坂
こちらは函館の坂の中でも一番人気のスポット「八幡坂」です。
雨で曇って残念でした。
プロが写した写真をググって見てみたら素晴らしさがわかると思います。
坂の上の元町界隈を、雨の中散策中です。
旧函館区公会堂
1907年函館大火の後、建設されました。
明治洋風建築で、左右対称形になっています。
中は明治洋風の世界が広がります。
人力車は文明開化のシンボルでした。
鹿鳴館的な明治の洋装です。
ドレスを借りてコスプレができるみたいです。
洋風バス。
2階に上がってみるか。
港が遠望できます。
明治の終わりに、後の大正天皇(当時は皇太子殿下)がここを使用されたそうです。
次に「旧北海道函館支庁庁舎」にやってきました。
1909年建設の庁舎を、1982年修復整備したものです。
1階は観光案内所、2階は「写真歴史館」として活用されています。
なるほど。昔のカメラがいっぱい。
「旧開拓使函館支庁書籍庫」です。
外観だけ。
「基坂」です。
「ペリー提督像」です。
1854年の日米和親条約締結の際、米国のペリー艦隊は開港予定地に決まった函館の検分に来航しました。
旧イギリス領事館
「旧イギリス領事館」です。
1859年に函館は日本最初の貿易港として開港。その際にイギリス領事館がつくられました。現在の建築は1913年竣工のものです。
なんだ?このおっさん。幕末のイギリス領事リチャード・ユースデンらしい。
体が小さかったため「豆領事」の愛称で、函館市民に親しまれたとか。
ヴィクトリア女王のパネルがかかってますね。
これは領事の私室かな。
五稜郭
五稜郭タワー
「五稜郭タワー」にやってきました。
このタワーは2006年にオープンした2代目です。とても綺麗。
高さ107メートルの展望タワーです。
幕末に築かれた星型城郭が「五稜郭」です。
タワーからみると形がよくわかりますねえ。
函館山も見えます。
1864年ごろ完成したみたい。
維新回天後に、新政府軍と旧幕府軍の1年にも及ぶ「戊辰戦争」が起こりました。その最後の決戦場が「箱館戦争」でした。
旧幕府軍の陸軍副司令として、箱館の地に散ったのが、この人。新撰組副長・土方歳三です。
箱館奉行所が見えます。
「箱館戦争供養塔」です。
五稜郭
さあ「五稜郭」に行ってみます。
振り返るとタワーが見える。
石垣です。
箱館奉行所
「箱館奉行所」です。2010年に復元しました。
昔来た時はこんなのなかったんで驚きましたよ。
これは往時の3分の1サイズで復元されたみたい。
大広間です。
中庭です。
奉行所の中は、箱館戦争当時の資料も様々あります。
戊辰戦争後に解体され、わずか7年の命だった奉行所が、見事現代に蘇りました。
夜になって函館山に夜景を見に行きました。
函館の夜景は実に見事です。
夜の五稜郭です。
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