オーストリア首都のウイーンにやってきました。

ベルベデーレ宮殿
最初のミッションはベルベデーレ宮殿です。
上宮が見えます。素晴らしい景色です。宮殿には上宮と下宮があり、観光のメインは上宮になります。
世界遺産にも登録されているバロック建築の傑作です。
上宮の入館予約時間まで庭園を散策します。
下宮まで歩いてきました。庭園入場は無料で、ジョギングする市民がたくさんいました。
さあ上宮入場です。ベルベデーレ宮殿はもともとプリンツ・オイゲンの夏の離宮として造営されましたが、現在では美術館として、とりわけクリムトのコレクションで知られています。
エントランスの柱男。
クリムトの傑作「接吻」です。
顔だけ古典的タッチってのが面白い。
風景画はなぜか正方形で描く。
ダヴィッドのナポレオンがありました。さすがデカい。
シーレ!迫力ある。
世紀末ウイーンの退廃美を味わえました。
軍事博物館
次に面白い場所へ。軍事博物館にやってきました。
Uber使ってしまった。
この人物はハプスブルクのフランツ・フェルディナント大公。オーストリア帝国の皇位継承者でした。
1914年のサラエボ事件でセルビアの暗殺団の凶弾に倒れ、第一次世界大戦のきっかけをつくることになりました。
いたいたしい大公の服です。
大公夫妻はこの車で移動中、暗殺団に狙われました。
弾丸の跡です。おそろしや。
惨劇直前の大公夫妻。
暗殺団が使用した拳銃のようです。
サラエボ事件発生時のルートです。事件後、オーストリアはセルビアに最後通牒し、そこから関係各国が動き出し、あっという間に開戦してしまいました。
トーチカっぽいものがあった。
第一次世界大戦は、従来ないぐらいの火力で攻めあう総力戦となってしまいました。
発明まもない飛行機も実戦に投入されました。
高射砲、すごい迫力だ。
なんと言っても機関銃の実戦投入によって、膨大な死傷者が出ました。
両軍とも動くに動けず戦線は膠着しがちでした。塹壕掘って睨み合う長期戦になったのです。
傷ついた兵士たちによって使われた義足。戦闘の激しさが伺えます。
シェーンブルン宮殿
ウイーン中央駅の方に歩いて戻ってフードコートで昼食をとりました。午後からはシェーンブルン宮殿にやってきました。
シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の居城であり、オーストリアで最も重要な建築物です。
特に女帝マリア・テレジアの時代に整備されました。
まずは入場予約時間前に無料のバロック式庭園を彷徨います。
豪華!ネプチューンの噴水です。
カルタゴ滅亡をイメージしたローマ風廃墟です。
人工的に造られた廃墟です。
オベリスクの噴水です。
さあいよいよ入場です。
予約時間ちょっと前に素知らぬ顔で入場しようとしたら「あと10分待て」と見抜かれました。イタリア人なら余裕で入れてくれるのですが、ゲルマン人はきっちりしてますね。
フランツ・ヨーゼフ皇帝とシシイことエリザベートの肖像です。
シシイのお化粧部屋か。
ここは大ギャラリー。ベルサイユにも劣らぬ豪華さです。
ナポレオンの息子ナポレオン二世(ローマ王)は、父の島送り後にオーストリアで育てられました。
早逝しましたが、ローマ王は生涯父ナポレオンを英雄視し、憧れ続けました。逆にナポレオンをあっさり見捨てたハプスブルク出身の母を嫌い、死ぬ間際まで疎遠でした。
シェーンブルン宮殿、40室楽しめました。日本語オーディオもありました。現在は写真撮影も許可されてる部屋が多かったです。
もう一度庭園に向かいます。
高台にグロリエッテという凱旋門っぽいものがあります。
そこからの眺めは素晴らしい景色です。
楽友協会
さてその後、充電を兼ねてスタバで休息し、夜の部へ。カールスプラッツの楽友協会でクラシックコンサートを聞きたいと思います。
ニューイヤーコンサートなども開かれる黄金の間にやってきました。
観光客向けで中国人たちが多かったです。
曲目は有名なものが多く、クラシック無知な私でも3分の1ぐらい分かった。
音楽の都ウイーンで名曲を体験出来て幸せでした。
美術史美術館
翌日は美術史美術館へと向かいました。

美術館はマリア・テレジア広場にあります。オーストリアの国母とも言える女帝です。
エントランスがいきなり豪華です。
カノーヴァの彫刻!
そしてクリムトの壁画がお出迎えです。
ルーベンスの年下の妻。

フェルメール
クラーナハ
デューラー
バベルの塔
これもブリューゲル
これもそう。
ヴィジェルブランのマリー・アントワネット。アントワネットはマリア・テレジアの不肖の娘です。
ベラスケス
パルミジャニーノ
ラファエロ
ティツィアーノ
チェッリーニの塩入れ
まさしくウイーンを満喫しました。
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