岡山城
後楽園から引き続いて岡山城へと向かいます。
旭川を越えていきます。
昔来たときは岡山城は遠くで眺めただけで入らなかったので、楽しみです。
旭川のデルタにあるんですね。
天守に近づきました。
岡山城を築いた宇喜多秀家時代の石垣です。
秀家は梟雄と言われた宇喜多直家の息子。のちに豊臣秀吉政権の五大老となりました。
六十一雁木門横の石塁です。
宇喜多家没落後の池田氏時代に築かれました。
天守の裏手、下段のあたりに来ました。思えばこれが間違いだった。
段差があってジャンプしたのですが、意外に高さがありました。
つんのめって転倒しました。右肘を擦りむいて、そこそこ深い傷を負いました。
こんな裏手になんか来なければよかったんですが、たまたまこっち側に歩いて行く奴らがいて、何の気なしについて行ったのが運の尽きでした。
不明門(あかずの門)です。
岡山城天守
黒い外壁から烏城(うじょう)とも呼ばれます。もともと国宝でしたが、岡山空襲で焼失しました。アメリカ軍の都市無差別爆撃は、つくづく人類史上に残る戦争犯罪。
現在の岡山城は戦後の再建で、コンクリート城です。まず一気にエレベーターと階段で最上階まできました。
金の鯱鉾かっこいい。宇喜多時代は瓦屋根まで金箔で、金烏城とも呼ばれていたとか。マジかね?
宇喜多秀家は関ヶ原で奮闘後、薩摩に落ち延びましたが徳川に発覚。八丈島へと流されました。しかし80を超える長寿で、四代将軍の時代まで長生きしたとか。
関ヶ原の宇喜多没落の原因をつくったのが、有名な金吾中納言・小早川秀秋です。しかし早くして亡くなりました。
江戸時代には池田家が岡山を治めました。
ここは城主の間の復元です。
城内にはショップや食堂もあります。「お福うどん」を食べてみました。こういう安易なネーミングに弱く、すぐ引っかかります。
お福とは宇喜多直家の妻にして、宇喜多秀家の母。「岡山のクレオパトラ」とも呼ばれることになる美女でした。
はじめ三浦氏に嫁いだお福は、三浦氏滅亡後に梟雄・宇喜多直家と再婚。秀家を産みます。直家死没後は、その美貌を豊臣秀吉に見初められ、側室的な立場になったとも言われます。おかげで息子の秀家は豊臣政権における大老職として、57万石の大大名となりました。確かにカエサルからアントニウスと相手を変えながら、上昇していったクレオパトラに似ているところはあるかも。
ここは宇喜多時代の石垣です。
平成になって発見されたそうです。
とんがった石垣が特徴的ですね。
泉水の復元。
月見櫓
岡山空襲を生き残った、江戸寛永期の建築です。
ここは食料の保存庫だったのではと言われます。
予想以上に面白かった。怪我したのは余計でしたが・・
路面電車で駅前に戻ることができます。
岡山駅から桃太郎線に乗ります。
JR備中高松駅
目的地は備中高松城跡。豊臣秀吉の備中水攻めの古戦場を巡礼していきます。
巨大な鳥居。最上稲荷は日本三大稲荷です。行かなかったけど。
妙玄寺
ごうやぶ遺跡です。ここは清水宗治配下の武将たちが、宗治の死後に殉死した場所だそうです。
備中高松城主・清水宗治の自刃の地です。
宗治は家臣や家族の命を救うため、秀吉の降伏勧告を容れて切腹しました。
自分の身を捨てて、部下を救った。今も宗治は英雄視されています。
備中高松城跡
高松城包囲戦を模したオブジェがあります。1582年、織田信長の中国攻めの先鋒として、羽柴秀吉が高松城を包囲しました。
真ん中には高松城。ここを攻めあぐねた秀吉は黒田官兵衛の献策を容れ、高松城を水没させる作戦に出ました。
これが世にいう「高松城水攻め」です。
秀吉は水没した高松城に織田信長を招くつもりでしたが、なんと1582年6月2日、信長は本能寺の変で急死してしまいます。事態は急変します。
高松城址公園資料館です。ここは無料の資料館。
名将・清水宗治公。
こんな顔なの?むしろ秀吉っぽくないか。
6月3日、明智光秀の毛利軍への密使が秀吉の陣地に迷い込み、秀吉は信長の死を知ります。
秀吉は信長の死を隠したまま、毛利と和議を結びます。条件は城主・清水宗治の切腹のみで、城兵の命は助けるというものでした。
1985年の豪雨で、水攻め状態が再現されました。
6月4日、宗治の切腹を見届けた秀吉は、明智と決戦を行うべく近畿に強行軍で引き返しました。これが秀吉の戦史の中でも名高い「中国の大返し」です。
「明智は名うての戦上手、勝てるかよ・・」(大河ドラマ「秀吉」より)
宗治の蓮だそうです。
備中高松城の本丸跡。
浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
宗治の首塚です。
清鏡庵というお菓子屋さんがありました。
ここでは宗治饅頭、水攻め饅頭が食べられます。こういうネーミングに弱いブログ主は、宗治饅頭を購入。美味しかった!(水攻め饅頭は品切れでした)
JR吉備津駅
次に同じ路線の吉備津駅にやってきました。
有名な吉備津神社に参拝していきます。
松並木の参道が美しい。
吉備津神社
この地にかつて悪の鬼神・温羅(うら)が出現した時、朝廷から遣わされた吉備津彦命が温羅に射る矢をこの岩に置いたという。
矢置岩といいます。
吉備津彦命が鬼神を退治した伝説は、昔話「桃太郎」の原型となりました。
北随神門です。
本殿・拝殿へと向かいます。
本殿・拝殿
1425年に落成した国宝です。こんな屋根は見たことない。
この本殿は「比翼入母屋造」または「吉備津造」と呼ばれる独特のものです。
廻廊
もう一つの見所は398メートルの長さを誇る廻廊です。
見事なり。
御竈社(みかま)です。
鬼神の首塚らしいですね。
本殿・拝殿を去ります。
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