パリ郊外・世界遺産のヴェルサイユ宮殿に行ってみます。幾多の歴史の舞台となった場でもあります。
パリ・シティヴィジョン社
ヴェルサイユは電車でも行けますが、今回はバスツアーを利用しました。
パリシティヴィジョン社の前には、なぜかジャンヌ・ダルクの像が立ってました。
英仏百年戦争のヒロインです。
ヴェルサイユ宮殿
バスに揺られること小一時間。夢の宮殿に到着。
結構な混雑ぶりです。この巨大な宮殿を年間770万人が訪れます。
これが入り口でここでセキュリティチェックを行います。
右側が王室の礼拝堂です。今回は未入場でした。
この礼拝堂を作ったのが、「太陽王」ルイ14世です。絶対王政を行い、ヴェルサイユ宮殿を巨万の富と、50年もの時間を使って作り上げました。
王の正殿を通っていきます。ここも7つの部屋があります。
ヘラクレスの間
「ヘラクレスの間」にはかつて礼拝堂があったそうです。
壁画はパオロ・ヴェロネーゼ「パリサイ人シモン家の宴」です。
豊穣の間
「豊穣の間」は緑の壁紙が美しい。
ヴィーナスの間
真ん中の白い像は、ルイ14世の彫像です。
天井にはヴィーナス。
ディアナの間
ビリアードとかやって遊ぶ娯楽室として使われたそうですね。
バロックの大家・べルニーニ作のルイ14世の胸像です。
マルスの間
メルクリウスの間
儀式用の寝室で、ルイ14世が逝去した際に遺体が安置された場所でもあります。
見事な細工の「からくり時計」がありますね。
正午になると、時計の中からルイ14世人形がでてくる仕組みになっています。ただし混乱を避けるため、普段は稼働してません。下の画像はテレビのヴェルサイユ宮殿特集からのキャプです。
アポロンの間
こここそが「太陽王の部屋」です。
63歳の太陽王を描いた有名な肖像画です。イアサント・リゴー作です。
天井にはもちろん太陽神・アポロンが天を翔ける姿が描かれます。
反対側にはフランス革命に散った悲劇の王・ルイ16世の肖像画も見られます。
戦争の間
これはコワズヴォー作「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」ですね。
当時宮殿は服装さえきちんとしていれば、庶民でも外国人でも誰でも入館できました。生涯に数多くの戦争をやったルイ14世は、自らの威厳を示すために無慈悲な絶対的強者の姿を造らせたんですね。(しかし典型的な「戦争好きの戦争下手」でけっこう負けてる)
鏡の回廊
次はいよいよ最大の見せ場です。「鏡の回廊」です。長さ73メートルあります。
ここで外国大使が謁見したり、舞踏会が開かれたりしたのです。
壁一面には鏡が張られ、絢爛豪華です。
反対側の窓は、鏡とシンメトリーになっています。庭園も見えますねえ。
この回廊で普仏戦争の後、ドイツ帝国の成立が宣言されました。その報復の意味も込めて、1919年第一次世界大戦の対ドイツ講和条約である「ヴェルサイユ条約」の調印が行われました。
1871年普仏戦争に勝利したプロイセンは、全ドイツを統一した「ドイツ帝国」を建国する。ドイツ皇帝の即位式をヴェルサイユ宮殿で行ったのだ。
閣議の間
鏡の回廊の隣には「閣議の間」があります。
ここで国王は木曜を除く毎日、午前11時から1時まで政治決定を行ったのです。
↓この机で対独ヴェルサイユ条約が調印されたそうですよ。
1919年第一次世界大戦に勝利した連合国は、敗戦国ドイツに天文学的な賠償金を課し、遺恨を残した。ここヴェルサイユ宮殿で調印式が行われた。
王の寝室
なんと王は朝起きてから夜寝るまで、すべての生活を公開していました。王には羞恥心はありませんでした。
寝台の前の柵が境界になっていて、柵の向こうには側近が群がって、陳情などを行えました。100人以上の視線の中で、王は食事をし、おまるで用を足し、陳情を聞きました。
寝室の隣の部屋には大きな絵が架けられていますね。
ジャン・ノクレ「1670年、神話の登場人物に扮装したルイ14世一家」
王妃の大居室
ルイ16世の王妃マリー・アントワネットが使用した寝室です。
しかしフランス王家にプライバシーは存在せず、出産すら公開の場で行われていました。(赤子のすり替えを防ぐため)
オーストリア出身のマリー・アントワネットはフランス流の生活に馴染めず、離宮に引きこもるようになっていきます。
大会食の間
遠くに見えるのは、女流画家ヴィジェ・ルブランによる王妃アントワネット一家の肖像です。
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「王妃と子どもたち」
戴冠の間
ここはまさにナポレオン・ルームみたいな部屋です。
ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」の、本人による複製画があります。
ダヴィッドは政治プロパガンダの傑作を多く残しました。
この作品は、1804年にノートルダム大聖堂で行われた皇帝ナポレオンと皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式を描いています。
宮殿の見学は以上で終了です。
いったん中庭にでます。
アントワネットのバルコニー
宮殿中庭に「アントワネットのバルコニー」がありました!
フランス革命の際、パンを求める8千人の群衆がヴェルサイユに押しかけました。そして群衆は王妃マリー・アントワネットが姿をあらわすよう求めたのでした。
アントワネットは贅沢三昧のイメージが定着し、「赤字夫人」と呼ばれて、民衆の憎悪の対象となっていたのです。アントワネットは、天を仰ぎ、自らを捧げる犠牲のようにバルコニーに姿を現しました。
アントワネットは群衆に一礼をし、群衆は王妃の気高さに一瞬言葉を失ったという。(本当かどうかはわからない)この後、王家一家はヴェルサイユからパリに連れ去られ、二度と宮殿に戻ることはありませんでした。
庭園
広大なヴェルサイユの庭園を見学していきましょう。ここが入場口です。
この庭園もルイ14世がつくりました。
ここで夏場は噴水ショーが行われます。庭園には大小55の噴水があります。
ラトナの泉水
数多い噴水の中の、ベストポジションがこの「ラトナの泉水」前です。
遠くに運河が見えます。運河の左右で、見事なシンメトリー(対称)を成していますね。
「ラトナの泉水」はギリシャ神話の太陽神ラトナの母を中心におきます。
周りのカエルやトカゲがキモカワイイです。
あちこちに木立のトンネルがあって爽快な雰囲気です。
美しい神々の像が立ちます。
アポロンの大噴水池
ル・グラン・カフェ・ド・オルレアン
お腹が空いてきたので、お昼ご飯をいただきます。
この後はヴェルサイユ宮殿から1.5キロ離れた離宮トリアノンへと向かいます。
プチ・トラン号で楽々移動もできます。
大トリアノン宮殿(グラン・トリアノン)
まずは「大トリアノン宮殿(グラン・トリアノン)」へと向かいます。
ここはルイ14世が造らせた離宮です。
ここでは堅苦しい宮殿の生活から離れて、のんびりした時間を過ごしていたみたい。
後にここにはナポレオンやルイ・フィリップ(最後のフランス国王)なども住ったみたいですね。
小トリアノン宮殿(プチ・トリアノン)
離宮「プチ・トリアノン」とは、もともとルイ15世が寵姫ポンパドール夫人のために造らせた宮殿です。
フランソワ・ブーシェ「ポンパドール夫人」
しかしポンパドール夫人は、離宮完成前に死去してしまいます。その後ルイ16世によって、離宮は王妃マリー・アントワネットに与えられることになります。
アントワネットは、フランス流の生活になかなか馴染むことはできませんでした。
毎日のように謁見客が群がり、出産まで公開の場で行われる。すべてをさらけ出す生活にうんざりして、ヤケになって賭け事に興じたり、離宮に引きこもるようになったのです。
「プチ・トリアノン」は、意外にこじんまりしています。アントワネットは、ここにお気に入りの友達を集めて、自由な生活を謳歌しました。
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「薔薇を持つマリー・アントワネット」
ここは食堂として使われた部屋です。
その奥には「お供の間」で、本当に仲の良い友しか招かれませんでした。
ここは豪華な内装ですね。
王妃の村里
「プチ・トリアノン」を出て、「王妃の村里」へ向かいます。
森も川もアントワネットがつくらせたものです。
「愛の殿堂」です。
マリー・アントワネットには、スウェーデンの貴族フェルゼンという恋人がいました。
この「愛の殿堂」でフェルゼンとの愛を育んだとか?
「王妃の村里」は、王妃がつくらせた人工の農村です。
ここに本当に農民を住まわせ、酪農をさせたりしました。牧歌的で童話的な世界が好きだったんですね。
人工の村まで作ってしまうとは凄いね。
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