木曽三川公園
水と緑の館・展望タワー
ここに上って、木曽三川を一望します。
木曽三川とは濃尾平野に流れ、伊勢湾に注ぐ3つの大河です。揖斐川、長良川、木曽川の三川のことです。
さあ、上がってきました。
長良川大橋がかかる手前の川が長良川です。奥は木曽川です。
左側が長良川、右側が揖斐川です。
この低い土地に大きな川がこれだけ流れ込んでくるのです。
江戸時代の木曽三川です。解説ビデオがありました。
今よりも網の目のように入りくんでいましたね。これだと増水時は怖いことになるかも。
これが現代の木曽三川です。
河川改修にかけた人々の努力が実り、ずいぶんと川の流れが整理されてきています。
治水神社
江戸時代に木曽三川の治水に挑んだ人々がいました。宝暦治水のことです。
江戸幕府は1753年に、薩摩藩に木曽三川の治水工事を命じました。大変な難工事です。
薩摩藩は総奉行に平田靱負(ゆきえ)という武士を任じ、大きな犠牲を払いながらこの難工事をやってのけました。
宝暦治水は80名以上の犠牲者を出し、平田靱負も工事完了後に責任をとって自決するという大事業でした。この治水神社では平田を祭神として祀っています。
鹿児島県と岐阜県は今も友好関係にあります。
薩摩藩義士の像です。
輪中の農家
これは明治時代中頃の、比較的豊かな農家を再現したものです。確かに石垣の上にあって、お金持ってそうですね。
これが納屋です。
上げ舟です。洪水の時の移動用、脱出用ですね。
普段はつるされています。
ここが母家です。
これは上げ仏壇です。
洪水の時に仏壇が濡れないよう、滑車とロープで2階に持ち上げられるようになっています。
上げ仏壇の模型です。
なるほど、これは便利です。
水屋
水屋は増水時の避難所としてつくられました。
生活必需品や食料などの大切なものを保管しました。
水屋もそれなりのお金持ちの農家でないと持てなかったそうです。
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