北海道巡り【網走監獄】

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羽田空港

羽田空港から出発です。

北海道へと向かいます。

女満別空港へと!

女満別空港

女満別空港に到着!ガラス汚れてるな。

女満別からはバスでJR網走駅へ。

網走駅前にアイヌか何かのおっさんの像が立ってますね。

博物館・網走監獄

網走といえば網走刑務所。観光目的は「博物館・網走監獄」です。JRの駅からは遠いので、バスでやってきました。

「鏡橋」の再現です。網走刑務所に入所する際、網走川を渡らないといけないので、必ず「鏡橋」を通ることになります。

入所前に、「水面に我が身を映し、襟を正し、心の垢を拭い去れ!」とのことで、「鏡橋」と言われるようになったそうです。

さあ、入所wしていきます。

正門(煉瓦門)です。当初は木造だったらしいが火災で焼失し、大正年間に煉瓦作りになったそうです。

150万枚の煉瓦でつくられてるそうだから、大したもんですね。

北海道の原野を開拓させられた囚人たちの像。

看守さん。迫力あります。

このおっさんは明治時代の脱獄王「五寸釘の寅吉」だって。全国の刑務所を6回も脱獄。しかし網走に移送されてきてからは改心。最後は模範囚として出所が認められたとか。

看守さんの控え室。

おお!面会人待合室。お袋さんが待ってる。お袋を悲しませやがって!

網走刑務所・旧庁舎

これは明治後期に再建された「網走刑務所・旧庁舎」です。木造の擬洋風建築です。

面会に来た家族の様子。昭和に入っても網走は最果ての地。東京から3泊4日かかりました。そして面会時間はわずか30分。

当時の刑務所の最高責任者は「典獄(てんごく)」といいました。これは典獄が食事の検査をしているところです。

旧網走刑務所職員官舎

「旧網走刑務所職員官舎」の復元です。

刑務所職員の家族の社宅ですね。

休泊所

これは「休泊所」といいます。

受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする時の仮宿泊小屋です。

明治24年に網走から札幌へと続く中央道路工事では、延べ1200人の受刑者が投入されました。

別名「動く監獄」と言われます。

看守のおっさん、怖いです。

木の枕じゃあ寝れないなあ。

その他、様々な労役が課せられました。

これは鍛冶作業。

農作業。

オレンジの目立つ服は、脱走した時に見つけやすくするためですね。

監獄歴史館

「監獄歴史館」です。

移送される囚人たち。1200人の男たちが網走に送られてきたのは1890年のことでした。

囚人たちは、北海道開拓の貴重な労働力として利用されました。

食事中。

作業中。

入浴中。

囚人たちにとって一番の楽しみだったそうです。

教誨堂です。

僧侶や牧師様の前で悔い改める。

ここから獄舎。

五翼放射状平屋舎房

「五翼放射状平屋舎房」です。明治末から昭和59年まで使用されたものです。

明治監獄の名残を完全にとどめる舎房としては、国内最大規模のものです。

これは浴場。大正以降は近代的になってきます。

みなさん、立派な彫りものをお持ちでw

煉瓦造り独居房です。明治末のもの。

決まりを守らないワルは叩き込まれました。

現在の網走刑務所

最後に現在の網走刑務所。

天国かw 

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