鶴岡巡り【出羽三山、庄内藩校、藤沢周平記念館】

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東京からは新幹線で一旦新潟駅まで出て、JR線でまず鶴岡市に向かいます。

特急いなほを使いました。

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目次

鶴岡駅

山形県鶴岡市にやってきました。実は山形は初めてです。

銅像は米俵を担ぐ人々だろうか?庄内の米どころということか。

出羽三山こと、羽黒山、月山、湯殿山に囲まれた修験道の聖地へと向かいます。鶴岡駅からバスで、出羽三山神社へ。庄内交通バス羽黒山行きで、50分くらいかかります。

出羽三山神社

随神門

まずふもとの国宝・五重塔を見学するため、随神門で下車します。

随神門は神域の表玄関です。

早速国宝・五重塔へ向かいます。

途中、須賀の瀧が見えてきます。

何か見えてきました〜

五重塔

国宝・五重塔!やっと会えたね。(辻仁成風に)

山の中に突如現れる塔は何か神々しいですね〜。

羽黒山は、会津や平泉と共に東北仏教文化の中心地でした。

国宝・五重塔の附近には多くの寺院がありましたが、今はなく五重塔だけが杉小立の間に建っています。

現在の塔は約600年前の再建と伝えられています。

山道歩いて、頂上の神社目指そうと思った時が、俺にもありました。(バキ)

でも2466段もあるんですよ。その分ご利益はあるんだろうけど。挫折してバスを使うことにしました。根性ないです。 

で、あっさり山頂へ。

当然のようにここにも松尾芭蕉は訪れています。

有難や雪をかほらす南谷

(羽黒山の谷あいから、雪の香の南風が吹き寄せています。旅に疲労した私にとっては、この上なく有難いことです)

三神合祭殿(さんじんごうさいでん)

月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿です。

厚さ2.1mの萱葺の屋根、総漆塗の内部など、その全てに迫力があります。

現在の社殿は1818年に再建したものです。この時は何か修復中だったみたいです。

前方の鏡池も、古来信仰の対象になっています。

午後はバスで駅前に戻ります。

バスの車窓からも雄大な山々がそびえて、神々しいですね。

出羽三山巡礼の後は、駅周辺に戻り、次に鶴岡公園近辺を散策します。

致道博物館

鶴岡は江戸時代に庄内藩17万石の城下町として発展した町です。藩主・酒井氏(徳川四天王の酒井忠次を祖とする)の居城地でもありました。

徳川四天王・酒井忠次の子孫が出羽庄内藩を治めた。

この「致道博物館」近辺は、お城の三の丸付近です。戦後の1950年、酒井氏より郷土文化の向上のため、土地、建物、美術工芸品などが寄付され、博物館が設立されました。致道博物館の名称は旧庄内藩の藩校「致道館」に由来し、同藩校で使用されていた文物や用具に加え、庄内地方の民俗資料が収蔵・展示されています。

重要文化財「旧西田川郡役所」

県令・三島通庸の命によって、1880年に建設されました。日本人大工の手によって作られた擬洋風建築になっています。明治天皇の東北行幸の際の、鶴岡行在所となった由緒ある建築物です。

ルネサンス風の釣り階段で作られています。

中には明治時代の珍しい文物が展示されています。

そりは雪国には欠かせませんわな。

ハイカラな絵画もあった。

御隠殿

ここは江戸初期の酒井氏入国当時からの藩の御用屋敷でした。現存する建物は、幕末に藩主の隠居所として建てられたものです。

旧渋谷家住宅

もともと湯殿山の麓の旧・朝日村というところにあった古民家を移築したものです。兜造りと呼ばれる美しい茅葺屋根の民家です。

庄内地方は豪雪地帯ですからね。山村豪雪地帯ならではの多層民家で、二階・三階は養蚕場に利用されています。

雪国の民家の暮らしがしのばれます。

酒井氏庭園

東北地方では稀な書院庭園として貴重なものだそうです。

庭園の一角には「三餘室(さんよしつ)」と呼ばれる茶室がありました。抹茶を所望した人は入室できます。入ろうかなと思ったんですが、ちょっと混んでたんで諦めました。

ここで藤沢周平の「蟬しぐれ」の映画ロケも行われたそうです。

日本文学史上に残る傑作「蝉しぐれ」

藩校・致道館

庄内藩酒井家の藩校・致道館の名称は、論語の一節に由来します。

1805年、優れた人材の育成を目的に酒井家九代目・忠徳公が創設した藩校です。自主性を重んじた教育方針で、各自の天性に応じ長所を伸ばすことに主眼がおかれ、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌となりました。

講堂です。始業式の時などは生徒はここに集まりました。

現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として一般に公開され、たくさんの人が訪れています。

江戸時代の儒教教育は凄いですね。なんか知らんけどとにかく難しそうだということはわかる。

庄内藩は、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の思想に基づいて藩士子弟の育成を行いました。荻生徂徠の学問は、古い字句や文章を直接読み、後世の解釈にとらわれず孔子の教えを直接研究しようとするもの。原典主義ということですか。プロテスタントみたいなものなの?

「庄内論語」というものがあるんですね。音読みを主とした読み方で、藩校以来の教学だそうです。

藩主昇校の際の御居間です。

庄内藩・酒井氏の藩政は良政で知られています。天保の国替え騒動では、領民たちは酒井氏の転封に大反対して蜂起し、結局取り消しになりました。

戊辰戦争で庄内藩は、徳川方として最後まで薩長官軍と戦いました。この部屋は庄内藩が官軍に降伏した際に、官軍参謀・黒田清隆を迎え謝罪したという屈辱の場でもあります。

お堀周りをまったり散策します。

藤沢周平記念館

郷土の誇る作家・藤沢周平記念館がありました。

藤沢周平はおそらく我が国で最も愛されている時代・歴史小説の作家じゃないですかね。1927年、今の鶴岡市生まれで、地元山形を舞台の作品を数多く残しています。この記念館は鶴岡市が市立で運営しているものです。

撮影禁止なんですけど、パンフから撮影しました。藤沢作品の名場面の一節を、鶴岡・庄内の四季折々の映像に載せて味わうことができます。「蟬しぐれ」の名場面は、こういう映像だったんか!とか感動があります。

また藤沢周平の日々の暮らしを様々な資料(遺品や書簡など)展示して、人となりをしのぶことができます。

藤沢周平は、もともとは中学校の先生でした。肺結核で休職後、東京の新聞社に就職します。会社勤めの傍ら小説を執筆し、1971年オール讀物新人賞、1973年に直木賞を受賞し、一本立ちします。以後は名作をコンスタントに執筆し続け、1995年に紫綬褒章を受賞します。1997年に惜しまれながら逝去されました。

これが最高に見たかった。東京の書斎です。机や愛用品などを展示。柱や畳なども実物を移築しています。本来は六畳間だったのを四畳半に縮小して展示しているようです。

藤沢周平の映画ポスター集もきらびやか。藤沢作品って楽しいし、かっこいいし、時代物だからこその男女の秘めやかな情愛も描かれて、ドラマとしては最高の素材なんですよね。

藤沢作品の舞台の「海坂藩」のモデルは、庄内藩であると言われています。

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