高知駅
高知県の県都・高知市にやってきました。
駅構内で、坂本龍馬とおりょうさん発見。
外には何やら巨大な像があります。
幕末土佐の英雄たちです。中央が坂本龍馬。右が中岡慎太郎。左が武市半平太。左右とも龍馬の盟友ですね。
お!土佐の名物「はりまや橋」発見。
見てみると案外だったりすることから「日本三大がっかり」とも言われます。
まあ確かに。
高知城
この人も土佐人です。板垣退助像です。
明治になって、自由民権運動の指導者になりました。岐阜で遭難した際に「板垣死すとも自由は死せず」と言った伝説が残ってます。
山内一豊の妻の像です。夫の一豊のために、ヘソクリをはたいて名馬を準備。一豊は大いに面目を施した、という有名な良妻として知られます。
三の丸石垣です。
高知城天守
現存十二天守の一つでもあります。
詰門です。
まあとりあえず入場していきましょう。天守閣と本丸御殿ともに現存してる城は、高知城だけらしいですよ。
大河ドラマ「功名が辻」は山内一豊夫妻の物語でした。
欄間に土佐の荒波の意匠が見られますね。
書院造りの本丸御殿です。
土佐のお城の築城工事のミニチュアかな?
城下町の様子ですね。
さて城内を上がっていきます。
土佐藩の産業としては、やっぱり漁業。特に鯨やカツオが有名ですね。この人たちは鰹節を作ってるのかな。
藩祖・山内一豊は、豊臣秀吉に仕え、掛川藩主となります。
関ヶ原では徳川家康の東軍に付き、その戦功で土佐一国を与えられました。
真ん中が一豊。左側が見性院こと一豊の妻です。
天守の展望層から高知市街を望みます。
山内家が土佐に入府する前は、長曾我部家が治めていました。
「一領具足」で知られた長曾我部侍は勇猛で、一豊にもなかなか従わず、一豊は相撲興行と称して集めた長曾我部侍を騙し討ちして抹殺したこともありました。
上士=山内侍と郷士=長曾我部侍の、身分差による対立は幕末まで尾をひくことになります。
幕末の傑物・山内容堂ですね。改革の必要を感じながらも、山内家に土佐一国をくれた徳川家への恩義が忘れられず、フラつきます。
龍馬の盟友・瑞山こと武市半平太ですね。「土佐勤王党」を結党しましたが、過激な改革を好まない容堂によって、逮捕、切腹の最期を遂げました。
中岡慎太郎も龍馬の盟友。陸援隊を組織し、武力倒幕を目指しましたが、1867年近江屋にて龍馬とともに暗殺されてしまいます。
これが一番の有名人・坂本龍馬ですね。
長曾我部時代の遺構の発掘調査です。
別名「鷹城」と呼ばれる勇壮なお城です。
さてお城を離れ、再び市街地に来ました。「坂本龍馬生誕の地」です。1835年にここで龍馬は生まれました。
「龍馬郵便局」!
「龍馬ポスト」w
龍馬の生まれたまち記念館
寝小便ばかりする子供で、「坂本のよばあったれ」と呼ばれていたとか。
坂本家の離れを再現しました。これは土佐名物の「皿鉢(さわち)料理」です。タタキや刺身、寿司の盛り合わせですねえ。
龍馬と、姉の乙女さんが並んでお出迎えかな?
外にも坂本姉弟が。龍馬の隣にいるのが、姉の坂本乙女さん。女ながら豪傑として知られ、「坂本のお仁王様」と呼ばれました。なかなか迫力ある姉弟だ。
また「はりまや橋」付近に戻ってきました。「南国土佐を後にして」の碑です。ペギー葉山が歌って空前のヒットになり、映画化もされました。
鯨さんもいるで。
「からくり時計」からは、1時間ごとに「よさこい節」「高知市歌」が流れます。
桂浜
はりまや橋のバス停から「桂浜」に向かいました。
桂浜には、有名な「坂本龍馬像」があります。
龍馬が5メートル以上、台座が8メートルあるみたいですね。
迫力ありますね。
桂浜をぶらぶら歩いていきます。
高知は闘犬もさかんです。
カツオ刺身頂きました。
高知県立坂本龍馬記念館
龍馬とシェイクハンドできるんだ。「友達ぜよ!」
土佐藩船「夕顔」の模型。ここで龍馬は有名な「船中八策」を書き上げたと言われます。この文書は明治新国家の構想を示していたとされます。
「夕顔」の船室が再現されています。
これが京都・伏見の「近江屋」の再現です!
1867年の大政奉還の直後、龍馬と中岡慎太郎は「近江屋」で歓談中に刺客に襲われました。
若干33歳で英雄は散っていきました。
なんとリアル龍馬人形です!
こんな顔してたんですか!
「世界の海援隊でもやりますかの」
コメント