JR酒田駅
山形県の港町・酒田市にやってきました。
酒田は最上川の河口、古くから水運を生かして港町として栄えました。なるほど港町らしいオブジェがお出迎えです。
本日の散策コースです。
山居倉庫
酒田市名物・山居倉庫です。米どころ庄内のシンボル的存在。1893年に建てられた米保管倉庫です。
この小舟は小鵜飼船(こうがいぶね)といって、最上川海運に使われました。
スピードがあるこの小舟で米や紅花などの名産品を輸送しました。
現在も現役の農業倉庫です。
米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連ドラ「おしん」のロケ地にもなりました。
樹齢150年以上のケヤキ36本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり見る人を魅了しています。
このケヤキ並木は、夏の高温防止のために倉庫の背後に置かれています。
旧鎧屋(あぶみや)
酒田を代表する廻船問屋でした。本姓を池田と言いましたが、1608年領主の最上義光から鎧屋の屋号を与えられました。
江戸時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えています。
屋敷は石置杉皮葺屋根(いしおきすぎかわぶきやね)の典型的な町家造りとなっています。
この地方特有の屋根で、下地に茅を敷き、その上に土を載せ、杉皮を葺いてさらにその上に直径15㎝くらいの平たい石を全面に敷きます。
酒田商人の気風として、華美になることを慎む傾向があったようですね。素朴な佇まいです。
ここが中の間です。
ここは上の間です。
当時の鎧屋の繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵」に紹介されたほどと言います。
土間から台所や北前船模型も見えます。
おしん人形やたらありました。おしんの奉公先「加賀屋」としてロケ撮影されたそうですね。
ドラマの「おしん」では、奉公に来たおしんが早起きしてご飯を炊く姿が描かれました。
台所です。
港町の豪商らしい海の幸です。
井原西鶴の「日本永代蔵」では、客人をもてなす鎧屋の様子が描写されています。
20分の1の北前船の模型ですね。米や紅花などの産物を上方〜江戸に送りました。
酒田では「弁財船」と呼ばれていました。
西廻り航路を開いたのは河村瑞賢という人物です。
これは酒田の祭りの時に立てかけられた屏風だそうです。
本間家旧本邸
港町・酒田に君臨した豪商が本間家です。その財力を基礎に、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇りました。
この屋敷は1768年に本間家3代光丘が、藩主(酒井家)のために幕府巡見使用宿舎として建築した武家屋敷です。
武家屋敷と商家の合体型という、全国でも珍しい造りらしいです。
屋内は撮影禁止だったのかな。(写真が残ってないから多分そう)
徒歩で海方面へと向かいました。
港に向かう途中に、映画「おくりびと」の舞台となった建物がありました。
映画を観てないんでなんの感慨もないですw
日和山公園
海沿いにある日和山公園は酒田港が一望できます。
最上川の河口部です。
公園内をまったり散策していきます。
北前船がありました!
二分の一のサイズらしいですね。
なんと乗船することもできます。
この池は北前船が蝦夷から酒田へ、酒田から関門海峡まわりで大阪へ向かう姿を再現しています。
西回り航路の開拓者・河村瑞賢銅像です。
1672年、幕府より酒田屈指の豪商であった河村瑞軒に命が下されました。それは急増する江戸の人々への食料供給地として、出羽の御城米を江戸に運ぶということ。
瑞賢は、ここ日和山に御米置場を設置し、酒田から江戸に回漕する西廻り航路を開発しました。米穀や紅花などの流通や海運に大きく貢献しました。
その他松尾芭蕉などこの地を訪れた文学者の碑など多数ありました。
酒田港市場
日和山公園を離れて海沿いを散策します。市場はみんな新鮮で美味しそうなものばかり。
この後、酒田駅に戻りあっさり酒田を離れました。羽越本線で新庄へ。そこから山形新幹線に乗り換え、午後は天童温泉を散策、天童に宿泊予定です。
車窓から最上川が見えます。
「五月雨を集めて早し最上川」の芭蕉の句と、日本三大急流として有名な川ですね。
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