1614年の大阪冬の陣の際、真田幸村(信繁)が大阪城に築いた出丸を真田丸といいます。その跡地を散策していきます。
三光神社
この神社のあたりが、かつて真田丸があった一帯と思われます。
豊臣方について大阪城に入った真田幸村(信繁)は、大阪城東南部に出丸を築き、徳川方に大打撃を与えます。
それが真田丸。大河ドラマでも取り上げられ、有名になりました。
苦戦を強いられた徳川方は和議を申し入れ、休戦の条件として「大阪城の外堀を埋める」「真田丸の破壊」を出してきました。
徳川方からしたらやはり真田丸は攻めにくく厄介な存在だったのでしょうね。
これが真田左衛門佐幸村(信繁)。
ここが「真田秘密の抜け穴」と言われます。大阪城まで繋がっていたとか。
明星学園の敷地にも真田丸は広がっていたとか。顕彰碑がありました。
心眼寺
この心眼寺も真田丸跡とされてます。
1615年、再び大坂夏の陣が勃発します。真田丸を失った真田勢は起死回生で家康の本陣を狙い、抜刀突撃を敢行します。
真田は敗れはしたものの、家康を一時混乱に陥れました。真田の奮戦ぶりは当時から「日本一の兵(つわもの)」と評されました。
お初天神
梅田駅のそばまで来ました。ここからはまるで話題を変えて、近松門左衛門ゆかりの地を散策していきます。
元禄の頃、近松門左衛門が作って大ヒットした作品が、人形浄瑠璃「曽根崎心中」です。
この作品は1703年に実際にこの地で起きた情死(心中)事件を題材にしていました。
その舞台となったのがこの露天神社です。「お初天神」とも言われます。
互いに愛し合いながらも、運命のいたずらで結ばれなかった男女の物語でした。
男性の方は徳兵衛といいます。
女性の方はお初といいます。
世を儚んだ二人は、この露天の森で心中してしまったのです。
この二人の悲恋を取り上げた近松の作品が大ヒットを飛ばしたことで、この神社も注目の的となりました。
今は全国から恋愛成就を願う人々たちが訪れる聖地となっています。
梅田駅のすぐそばにあったんですね。
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