旧海軍司令部壕
豊見城(とみぐすく)市の旧海軍司令部壕に行ってきました。ゆいレールで、宿泊先の奥武山公園駅(おうのやまこうえんえき)に移動して、そこからタクシーを使いました。旭橋駅からバスを使う手をあるんですけどね、面倒くさいから。沖縄は比較的タクシーが安いので、拾ってしまいました。
まず海軍壕ビジターセンターから入館します。
1944年、日本海軍設営隊によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人が収容されていました。
戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後1970年3月、司令官室を中心に300mが復元されました。
「鉄の暴風」と比喩された米軍の猛烈な艦砲射撃です。米軍の艦砲は本当に恐ろしかったそうですね。
司令官の大田実海軍少将です。有名な電文を打った後に、この地下壕で自決しています。
大田少将の少将旗です。沖縄戦後、米兵が持ち帰っていましたが、2012年に67年ぶりに日本に返されました。
将校の白い服と、右側には機銃や銃剣も展示されてますね。
戦艦大和模型です。沖縄戦について、よく「沖縄は本土の捨て石にされた」という説も聞きますが、大和水上特攻が沖縄支援のことを思うと、必ずしも当てはまらないのでは、と思います。
さあ、ビジターセンターでの見学を終え、いよいよ壕の中に突入していきます。
折り鶴がたくさん。
105段、20mほどの階段を降りると、通路が縦横に張りめぐらされた壕内へと続きます。
日本軍は強大なアメリカ軍との対決に臨んで、過去の戦訓をフルに活かしました。サイパン島の戦いまでは、米軍が上陸する水際を叩くという戦法でしたが、これだと上陸前の艦砲射撃や空襲で楽に一掃されてしまうだけでした。
そこで1944年のペリリュー島の戦い以降は、あらかじめ地下壕を掘って米軍の空爆に備えた上で米軍をいったん上陸させ、上陸させた後にゲリラ戦的に苦しめるという戦術に転換しました。1945年の硫黄島、沖縄の戦いも基本的にはその戦術思想で戦われ、米軍を徹底的に消耗させ、苦しめることになります。
沖縄戦では自然洞窟を利用した壕が多く使われましたが、この海軍壕はほぼ人工のもので、しかも作るのには重機もない状況下なので、ツルハシなどの人力で大変な苦労のもと作られています。
幕僚室には、幕僚たちが手榴弾で自決した跡が残されています。
司令官室です。
1945年6月13日、この部屋で大田実海軍少将(死後中将)が自決しました。
大田実中将は自決前に本土に最後の電文を発信しました。死力を尽くして、軍とともに戦った沖縄県民への思いにあふれるものとして知られます。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
海軍軍人が陸の上で自決しなければならなかったのは、無念だったでしょうね。
嘉数(かかず)高台公園
宜野湾市の嘉数(かかず)高台公園に来てみました。アクセスは路線バスでした。
ここは沖縄戦序盤の激戦地の跡地です。1945年4月1日に、ほぼ無傷の状態で沖縄本島に上陸出来てピクニック気分だった米軍は、この嘉数の高台で大苦戦を強いられます。
嘉数高地では大東亜戦争末期に、藤岡武雄中将率いる第62師団独立混成旅団が、アメリカ24軍団を迎え撃ち、16日間も一進一退の死闘が展開されました。日本軍は序盤アメリカ軍と互角以上の戦いをしましたが、ついに矢尽き刃折れ、後退しました。
生々しい銃痕が残ります。
階段を上がってみましょう!
陣地壕の跡です。沖縄では1944年頃から米軍との決戦に備え、官民総動員で陣地壕をつくりました。石灰岩をコの字型に掘って、側壁には落盤防止用の坑木がおかれました。
嘉数には日本軍の主陣地が置かれたため、このような陣地壕が無数に構築されました。
日本軍はトーチカ(コンクリートによる防御陣地)などで防御を固め、迫撃砲や壮絶な白兵戦闘で、米軍を迎え撃ちます。
嘉数の防衛には、京都出身の兵が多く投入され(約2500名)、その多くが帰らぬ人となっています。その慰霊に公園内に「京都の塔」が建てられています。
京都だけでなく、全国から沖縄防衛のために動員されました。
これは韓民族出身の戦没者の慰霊塔のようです。
島根の兵奮戦の地とあります。本当に全国から兵が集められたんですねえ。
特に4月19日の戦闘は「嘉数の対戦車戦」と言われ、日本軍の組織的戦闘にアメリカ軍は圧倒されました。投入した戦車30両のうち、大半を破壊されています。アメリカ軍は最終的にこの防衛戦を突破するのに、2万以上の死傷者を出して16日間もの時間を要しました。
現在の嘉数高台公園の展望台からは、米軍海兵隊普天間基地が望めます。
けっこうボロボロの展望台なんですけど。周辺にはマニアの人たちの姿がみられました。
螺旋階段になっています。
展望台に上がってみました。
ここからはアメリカ軍海兵隊基地「普天間飛行場」を望めるのです。
でもたまたま日曜に来たため、米軍もお休みだったみたい。
滑走路が見えます。
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