ねぶたの家ワ・ラッセ
青森駅前のねぶた祭りミュージアムを見学してみます。
ねぶたの家ワ・ラッセにやってきました。
伏見稲荷みたいで、なかなかオシャレだった。
さあ入場していきます。
青森と言えば、ねぶたです。東北三大祭りに数えられます。
毎年八月は全国から観光客が集まる一大イベントです。
金魚ねぶたです。
ここからは名人たちの傑作ねぶた。
木花咲耶姫が美しい。
令和奉祝ですね。
神武東征か。
これは天の岩戸がテーマ。
1950年代の昔のねぶたです。
これはねぶたの手の構造ですね。
これは触れます。
ショップにて。ねぶたネクタイw
海沿いを散策します。
青森ベイブリッジと言うそうです。
これ、アスパムというビル。
観光物産館らしい。いろいろなお店が入ってます。
アスパムの中を通過して、海浜公園にたどり着きました。
青い海公園といいます。
ウォーターフロントに出てみました。だいぶ雲行きが怪しくなってきましたね。
フェリー発見!
八甲田丸
これは八甲田丸と言って、かつての青函連絡船です。青函トンネルが出来る前は、フェリーが津軽海峡の主要交通手段でした。
「津軽海峡冬景色」(1977年、石川さゆり)の歌碑だ!
ひとりで連絡船に乗った女のお話。
船内は青函連絡船記念館としてだけでなく、昭和30年代の津軽の人びとの生活が再現されています。さっそく入場してみましょう。
行商の人々。
リヤカーを引く親子。
キオスクの売り子さん。
青森駅舎内の再現か。
船内食堂のようすです。
呑んだくれてる奴、発見w
闇米の担ぎ屋親子。警官は見て見ぬ振り。
切符売り場の親子。
りんごの商店か。
戦後まもない大ヒットドラマ「君の名は」の主人公・真知子のファッションが流行しました。
連絡船の模型。これは有名な洞爺丸です。1954年のマリー台風(のちに洞爺丸台風と呼ばれることになる)により沈没し、死者・行方不明者1155名という空前の大惨事となりました。
これは米軍の空襲により沈んだ最初の連絡船・翔鳳丸です。。1945年7月の空襲で青函連絡船は全滅しています。
このおっさんは、桟橋助役だって。
当時のグリーン車席です。
船長室です。
サロン会議室です。
切符です。
ここがブリッジです。
甲板に上がってみました。
煙突が展望台になってました。
1階には車両甲板がある。
さらに地下へと向かいます。ここからは海面下です。
エンジンルームです。
総括制御室です。
なかなか楽しかった。
青函連絡船戦災の碑がありました。
青森駅前のメインストリートが、新町通りです。アーケード街も東京に比べると薄暗いんですね。
なぜかいきなりステーキ食べてしまった。
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