いよいよ「宗谷岬」へと向かって行きます。
宗谷岬へ
車窓から北海道らしい雄大な風景を堪能。
風力発電の風車が間近にみるとデカいですね。
太陽光パネルも見られます。
通称「ミルクロード」と言われる道路を行きます。
なるほど。メグミルクの保管タンクと牛乳輸送車がいた。酪農王国ならではです。
宗谷丘陵を登って行きます。風車がいっぱい見えますねえ。
宗谷丘陵の一番てっぺんには航空自衛隊のレーダーサイトもあります。さすが国境の町だ。
エゾシカ、いた!人慣れしてて逃げないんですね。手前、小鹿のバンビちゃんが寄ってきます。
この黒いつぶつぶは何でしょうか?
肉用の宗谷黒牛でした。
樺太、ついに見えた!しかもばっちりよく見える!
旧日本領ですよ、あの島は!
宗谷岬
とまあ、いろいろ興奮しつつも、宗谷岬に到達しました。
宗谷岬の上の高台に「宗谷岬公園」があります。さまざまなモニュメントがあり、宗谷岬に降りる前にサクッと見学して行きました。まあありがちな平和宣言みたいなもんかと思ってましたが・・。
祈りの塔
この「祈りの塔」は、「大韓航空機撃墜事件」の犠牲者の慰霊に建てられたものだそうです。
大韓航空機撃墜事件は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソ連の領空を侵犯したために、ソ連軍の戦闘機により撃墜された事件のこと。乗員・乗客合わせて269人全員が死亡しました。
この事件は眼前の樺太沖で発生し、宗谷にも大量の漂着物が流れ着いたようです。未だに謎多き衝撃的な事件でした。
旧海軍望楼
明治時代にロシアとの国境の備えとして、旧帝国海軍が建設したものです。
特に日露開戦後は、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、極めて重大なことでした。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」で知られる、帝国海軍の至宝であった秋山真之参謀でさえ、対馬海峡から来るか、津軽海峡、宗谷海峡を通るか悩みまくったらしいですね。
日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、無線通信基地や、大東亜戦争では対潜水艦監視基地として使用されました。稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、1968年12月、市の有形文化財に指定されました。
あけぼのの像
1971年に北海道の牛乳生産量100万トンと、、飼育乳牛頭数50万頭突破を記念して建立されたそうです。若い男女が宗谷丘陵を見つめながら、天北酪農の夜明けへ向かう!みたいな感じらしい。
ちょっと逆光が強くて、補正したんですが、見えづらいですねえ。
ラベルーズ顕彰記念碑
ラベルーズって誰よ?w
フランスの海軍将校で、あのルイ16世の命を受けて、極東海洋調査を行い、1787年に欧州人としては初めて宗谷海峡に到達した人らしいです。
でも2年後のフランス革命で、王政自体が倒れてしまうとは思わなかったでしょうねえ。この碑は2007年に建立されたらしい。
宗谷海域戦没者慰霊碑
1945年7月この海域で、アメリカ軍の潜水艦が稚泊連絡船を狙って、攻撃しようとしました。そこを帝国海軍の「第112海防艦」が身代わりとなって、爆沈し、連絡船は守られました。
英霊152名の霊を慰めるため、建てられたそうです。
さて宗谷岬公園の高台を下っていきます。
間宮林蔵像
まずは間宮林蔵立像にまた会えました。
宗谷岬記念碑
その隣には観光名所の宗谷岬記念碑!
宗谷岬は北緯45度31分の「日本最北端」の地とされます。
「」付きの表現にしたのは、勿論本来の最北端は択捉島のカモイワッカ岬だから。ロシアに不法占拠されています。
ゆえに宗谷岬は日本政府の実効支配が及ぶ中での、訪問可能な最北端ということになるようです。
土産物屋さんの最北端商売もすごい!
北緯45度31分22秒と表示されてます。
土産物屋さんで「日本最北端到達証明書」買っちゃいました。
100円くらいなら、私でも買える!でもこの土産物屋さん達も、もし北方四島返還されたら、商売上がったりですね笑
宗谷岬から西へ3キロメートルのところに、「間宮林蔵渡樺出港の地」がありました。
林蔵は生きて帰れぬ覚悟で、郷里の茨城から持ってきた墓石を海岸に建て、探検への覚悟のほどを示したといわれています。
野寒布岬(ノシャップ岬)
最後に宗谷を離れ、再び稚内港近辺に戻ってきましやた。稚内港そばの、野寒布岬(ノシャップ岬)の灯台を見学しました。
よく間違えられるみたいですが、根室の納沙布(ノサップ)岬とは違います。
利尻富士もよく見える。
謎のイルカの像は何なのか?
稚内灯台
野寒布岬の灯台です。
北海道一高い灯台だそうです。高峰秀子主演の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったそうです。昔見たことはあるはずなんですが、よく覚えてない。
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