エルミタージュ美術館巡り

  • URLをコピーしました!
スポンサーリンク
目次

成田国際空港

まずは成田第二ターミナルに到着。

JALでまずはモスクワに向かいます。

だいたい9時間の旅です。

ドモジェドヴォ空港

モスクワのドモジェドヴォ空港に到着しました。

けっこう暑いですね。寒いかと思って上着持ってきたけど、今日のところは要らんかった。

自販機。

ヘンテコなロシアゆるキャラ。

ここからS7航空に乗り換え、サンクトペテルブルクに向かいます。

 ロシア国内線のアテンドは一見無愛想。でもロシア人の氷の表情も、仕事中だから真面目にやってるつもりだけらしい。

プルコヴォ空港

サンクトペテルブルクのプルコヴォ空港です。

えらく立派な空港です。

クラウン プラザ エアポート サンクト ペテルブルグ

空港そばのホテルに連泊します。

いい部屋じゃないの!

バスやトイレも綺麗。でもトイレで紙は流せないので、トイレットペーパーはゴミ箱に捨てるんだそうです。

シャワールームもあって立派ですね。

外国のテレビ見るのって面白いですよね。何言ってるのか、さっぱりわからないけど。

特にロシアは美人が多いから楽しい。

美人が多い。

移動の疲れをとって翌日は、まずロシア最大の美術館・エルミタージュ美術館を見学していきたいと思います。

モスクワ凱旋門

ロストラリナヤ・コロンナ

エルミタージュに行く前に、ネヴァ川の中州の「ロストラリナヤ・コロンナ」からエルミタージュ美術館やペトロパブロフスク要塞の遠景を見てみます。

「ロストラリナヤ・コロンナ」には船の舳先を模した塔がいくつか立っていました。

これがエルミタージュ美術館。

右側から冬宮(とうきゅう)、小エルミタージュ、ベージュ色は旧エルミタージュ、その左がエルミタージュ劇場です。

こっちはペトロパブロフスク要塞です。

金色の塔は「ペトロパブロフスク聖堂」で、かのピョートル大帝が眠ります。

この要塞は、1703年にピョートル大帝が対スウェーデンの要塞としてつくりました。実際には「政治犯の監獄」として使用されました。文豪ドストエフスキーも政治犯として収容されて、死刑寸前までいったところです。

エルミタージュ美術館

さあ、いよいよエルミタージュ美術館に入館していきます。

エルミタージュ美術館は、巨大な宮殿です。主に4つの建物から成り立っています。左から、エルミタージュ劇場 –〜旧エルミタージュ〜小エルミタージュ〜冬宮殿 (新エルミタージュは旧エルミタージュの背後にある。)

もともとはピョートル大帝の時代に、冬宮(とうきゅう)が作られました。ロシア皇帝(ツァーリ)が冬に過ごす宮殿のことです。

旧参謀本部です。1827年に建てられ、現在も軍の関係省庁が入居しています。

アーチ門の上には女神ニケがいます。

18世紀ロシアに君臨した女帝・エカテリーナ2世はドイツ生まれで、野暮ったいロシア芸術に飽き足らず、密かに西欧から美術品をコレクションしていました。

これらを陳列・保管するためつくられたのが、小エルミタージュ、旧エルミタージュでした。エルミタージュとは「隠れ家」の意味です。当初はエカテリーナの私的なコレクションでした。帝政末期から一般公開されるようになり、革命を経て現在の姿になりました。

これがチケットです。

冬宮殿から入館します。

ロシアでは必ず上着をクロークに預けます。

まずは素晴らしい宮殿装飾を楽しみます。

大使の階段(ヨルダン階段)

エルミタージュの正面階段である「大使の階段(ヨルダン階段)」です。

まさしくロシア・バロックを象徴する華やかさです。

ピョートル大帝の間(小玉座の間)

ロシアの国父・ピョートル大帝の栄誉を讃えるために造られた部屋です。

ピョートル大帝はロシア帝国の中興の祖にして、最大のカリスマです。2メートル近い体躯を持ち、英明でもありました。

正面に掲げられた絵は「ピョートル大帝とミネルヴァ」で大帝と女神が並んで描かれています。

ロシア皇帝の肖像画回廊

ピョートル大帝(1672〜1725)

ピョートル大帝はロシアの近代化のため、西欧の社会制度、科学、文化を吸収する使節団を派遣します。大帝のすごいところはその使節団に自分も加わってしまうこと。しかもアムステルダムの造船所では、平民の大工に変装して、自ら技術を学ぼうとしています。(バレバレであった)

そして帰国した大帝が行ったのは、ネヴァ川の湿地帯のど田舎に、ヨーロッパ風の美しい都をつくることでした。そうして出来上がったのが、サンクトペテルブルグです。10年の歳月をかけて、ロマノフ王朝の首都を築き上げました。

エリザベータ女帝(1709〜1762)

ピョートル大帝の娘です。七年戦争の時にオーストリアの女帝マリア・テレジア、フランスの寵妃ポンパドール夫人とともに、プロイセンのフリードリヒ大王を倒す寸前まで行きました。これは女傑三人が組んだ戦いのため、「ペチコート作戦」と呼ばれました。しかしエリザヴェータ自身の死により、この包囲網は終わりを告げました。

エカテリーナ二世(1729〜1796)

ドイツの貴族出身でロマノフ家の血は一滴も流れていませんが、姑のエリザヴェータの心を掴み、軍部も掌握。夫であり政敵でもあったヒョードル三世をクーデターで廃し、女帝となります。即位後は大幅に領土を拡大し、ピョートル大帝に劣らぬ名声をえました。

アレクサンドル一世(1777〜1825)

ナポレオン戦争に勝利した時の皇帝です。ただし爪は甘く、余裕こいてナポレオンに寛大な措置を施したところ、ウィーン会議の最中にナポレオンはエルバ島から脱出。復位に成功してしまいます。その結果アレクサンドルは、ウィーン会議での求心力を失ってしまいました。

ニコライ二世(1868〜1918)

ロマノフ朝最後の皇帝で、ロシア革命により殺害されたニコライ二世です。来日時も暗殺されそうになってます(大津事件)。家族を大事にするマイホームパパだったんですが、皇帝には向いてなかったんでしょうね。

オルロフ伯爵(1734〜1783)

女帝エカテリーナ二世は、生涯に多くの愛人を持ったことで知られます。オルロフ伯爵はエカテリーナの最初の愛人です。

ポチョムキン公爵(1739〜1791)

ポチョムキンはエカテリーナの生涯のお気に入りでした。エカテリーナとは秘密結婚をしたと言われます。

紋章の間

ここは「紋章の間」です。

ブロンズ製のシャンデリアがすごく巨大です。ここでは銀器が展示されています。

1812年祖国戦争の画廊

ここは「1812年祖国戦争の画廊」です。これはナポレオン戦争のこと。

ナポレオンに土をつけた名将クトゥーゾフ将軍が中心ですね。

クトゥーゾフはボロジノでの死闘の後に、撤退戦を行い、モスクワまでも放棄して、ナポレオン大陸軍(グランダルメ)をロシアの懐深く侵入させました。そして「冬将軍」の到来を待って、撤退するナポレオン軍を追撃。打ち破ることに成功した知将です。総勢61万のフランス軍で、生き残れたのは何とわずか5000名でした。のちに第二次大戦のドイツ軍も、似たパターンで敗れることになります。

当時のロシア皇帝・アレクサンドル1世です。

アレクサンドル一世は、クトゥーゾフ将軍とは相性が悪かったそうです。が、クトゥーゾフ以外にナポレオンと対抗できる人材はおらず、気に入らないけど任せざるをえなかったようです。

聖ゲオルギー(大玉座)の間

歴代皇帝の謁見の間で、正面にロマノフ王朝の紋章、双頭の鷲が描かれています。

ここで各国の大使は、ロシア皇帝に謁見したんですね。

パヴィリオンの間

ここは小エルミタージュですね。エカテリーナ2世の愛人、ポチョムキン公爵が暮らしていた部屋です。

孔雀のカラクリ時計です。ポチョムキンが、エカテリーナ2世に贈ったものです。

モニターがあって、孔雀が動くところを見ることができます。

床は八角形のモザイクがはめ込まれています。

パヴィリオンの間から見た、空中庭園です。

「ニコライ二世」の書斎

最後の皇帝「ニコライ二世」の書斎です。

黄金の客間

皇帝アレクサンドル二世の妃マリアの居間です。

孔雀石の間

深い緑色の柱が孔雀石(マラカイト)です。

なんかやたら人が多いけど。この胸像の位置に、テロに遭難したアレクサンドル二世が運ばれてきました。

そして皇帝はここで息を引き取ったのです。

ダヴィンチの間

ダヴィンチの間は、ニコライ一世の書斎だったところです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「リッタの聖母」

1490年ごろの作品です。

エルミタージュの最高の逸品と言われます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「ベアヌの聖母」

比較的初期の、1478年の作品です。

元の所有者の名をとってこう呼ばれています。現存の数少ないダヴィンチ真作の一つと言われます。

ピエトロ・ペルジーノ「聖セバスチアヌスの殉教」

1490年頃の作品と思われます。

ラファエロの師匠にあたる画家です。聖セバスティアヌスの肖像は、堂々と裸体を描けるということで、当時から人気のモチーフでした。

ラファエロの間

ラファエロの間です。ルネッサンス芸術をモチーフにした室内装飾となっています。

ラファエロ・サンティ「コネスタビーレの聖母」

1500年ごろの作品です。

ラファエロ・サンティ「髭の無い聖ヨセフのいる聖家族」

1506年の作品です。

ラファエロの回廊

エカテリーナ2世は、ヴァチカン宮殿の回廊に描かれたラファエロのフレスコ画を気に入り、その複製を注文しました。

それから、エルミタージュにヴァチカンを模した回廊をわざわざ造り、複製絵画を完璧にはめこんだのです。

今ではヴァチカンのラファエロのフレスコ画の原画は部分的に失われてしまったので、非常に貴重なものとなっています。

レンブラントの間 

レンブラントの間です。エルミタージュの看板の一つが、レンブラントのコレクションで20点以上の作品があります。

レンブラント・ファン・レイン「フローラ」

1634年頃の作品です。

幻想的な肖像画で、フローラのモデルはレンブラントの妻のサスキアでした。

レンブラント・ファン・レイン「赤い服の老人の肖像」

1650年代の作品です。

レンブラント・ファン・レイン「ダナエ」

1636年頃の作品です。

この作品は1985年に不届きな来館者に硫酸をかけられてしまい、それ以来エルミタージュ美術館では液体の持ち込みが禁止されました。今でも完璧には復元できていないそうです。

レンブラント・ファン・レイン「十字架降下」

1634年頃の作品です。

レンブラント・ファン・レイン「聖家族」

1645年頃の作品です。

西欧絵画伝統の「聖家族」をテーマにしながら、オランダの貧しい家庭の一部屋を描いています。

レンブラント・ファン・レイン「放蕩息子の帰還」

1660年〜1665年の作品です。

ここからスペイン絵画です。

エル・グレコ「使徒ペトロとパウロ」

1614年の作品です。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「少年と犬」

1650年代の作品です。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「エジプトへの逃避行途上の休息」

1650年代の作品です。

フランシスコ・デ・スルバラン「子供時代の聖母」

1658〜1660年の作品です。

フランシスコ・デ・ゴヤ「ドニャ・アントニア・サラテの肖像」

1811年頃の作品です。

「コリヴァンの飾り鉢」

128室には「コリヴァンの飾り鉢」があります。

一枚岩の碧玉でできています。1843年にアルタイ地方の研磨工場でつくられたそうです。

ジャン=アントワーヌ・ウードン「ヴォルテールの坐像」

「ベルヴェデーレのアポロン」

ヴァチカンにあるやつですね。

ミュージアム・ショップ

エルミタージュ美術館(新館)

19〜20世紀のヨーロッパ美術は、元はエルミタージュの3階にありましたが、現在はエルミタージュ美術館向かいの「旧参謀本部」内の新館に移動しました。

新館はモダンな感じです。

エドゥアール・マネ「イザベル・レモニエール嬢の肖像」

1879年の作品です。

オーギュスト・ルノワール「扇を持つ娘」

1869年の作品です。

第7回印象派展に出品されています。

オーギュスト・ルノワール「ジャンヌ・サマリーの肖像」

1878年の作品です。

オーギュスト・ルノワール「髪を結う女」

1887年の作品です。

オーギュスト・ルノワール「女性の頭部」

1876年の作品です。

オーギュスト・ルノワール「階段の女」

1876年の作品です。ちょっと和風の団扇の奥さん。

オーギュスト・ルノワール「階段の男」

1876年の作品です。

オーギュスト・ルノワール「鞭を持つ子供」

1885年の作品です。この子は男の子らしいですね。逆オスカル?

オーギュスト・ルノワール「庭園にて」

1885年の作品です。じっと見つめる男性となぜか視線をそらす女性。

オーギュスト・ルノワール「帽子を被った若い女性」

1892年の作品です。

ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」

1896年〜1898年の作品です。

ポール・セザンヌ「水浴する人々」

1890年〜1891年の作品です。

ポール・セザンヌ「Still life with Drapery」

1894年〜1895年の作品です。

ポール・セザンヌ「Houses along a Road」

1881年の作品です。

ポール・セザンヌ「Large Pine near Aix-en-Provence」

1895年〜1897年です。

ポール・セザンヌ「Banks of the Marne」

1888年の作品です。

エドガー・ドガ「髪をすく女」

1885年の作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「アルルの女たち」

1888年に南仏アルルで描かれた作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「朝:働きに行く」

1890年の作品です。ミレーを模写して描かれた作品だそうです。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「アルルのアレーナ」

1888年の作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「夜の白い家」

1890年の作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「ライラックの木」

1889年の作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「藁葺きのコテージ」

1890年の作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「Landscape with House and Ploughman」

1889年の作品です。

ポール・ゴーギャン「タヒチの田園詩」

1892年の作品です。

ポール・ゴーギャン「果物を持つ女」

1893年の作品です。

ポール・ゴーギャン「カヌー」

1896年の作品です。

ポール・ゴーギャン「ル・パラウ・パラウ」(噂話)

1891年の作品です。

ポール・ゴーギャン「二人姉妹」

1892年の作品です。

クロード・モネ「ウォータールー橋」

1903年の作品です。

クロード・モネ「ポピー畑」

1890年〜1891年の作品です。

クロード・モネ「ジヴェルニーの積みわら」

1886年の作品です。

クロード・モネ「Cliffs near Dieppe」

1897年の作品です。

モーリス・ドニ「Figures in a Spring Landscape」

1897年の作品です。

モーリス・ドニ「Martha and Mary」

1896年の作品です。

フェリックス・ヴァロットン「黒い帽子の女」

1908年の作品です。

フェリックス・ヴァロットン「Landscape. Arques-la-Batail」

1903年の作品です。

フェリックス・ヴァロットン「ピアノを弾く女」

1904年の作品です。

フェリックス・ヴァロットン「Portrait of George Haasen」

1913年の作品です。

フェリックス・ヴァロットン「Interior with Two Figures」

1903年〜1904年の作品です。

アルベール・マルケ「Harbour at Menton」

1905年の作品です。

ピエール・ボナール「地中海」

1911年の作品です。

エルミタージュにはマチスの作品が37点収蔵されています。

アンリ・マチス「画家の家族」

1911年の作品です。

マチスの家族が一応モデルらしいんですが、全然顔をまともに描いてませんよね。装飾に重きが置かれています。

アンリ・マチス「ダンス」

1910年の作品です。

この巨大な絵は青・緑・赤の三色で描かれています。

アンリ・マチス「音楽」

1910年の作品です。

「ダンス」と対になる作品です。

アンリ・マチス「赤い部屋」

1908年の作品です。

アンリ・マチス「緑衣の女性」

1909年の作品です。

アンリ・マチス「バレリーナ」

1927年の作品です。

アンリ・マチス「リディア・デレクターズカヤの肖像」

1947年の作品です。リディアはマチスの晩年のパートナーとなった女性です。

アンリ・マチス「アラブのカフェ」

1913年の作品です。

パブロ・ピカソ「森の精ドリデアス」

1908年の作品です。

キュービズム前期の作品と言われます。アフリカの原始彫刻の影響があるそうです。

パブロ・ピカソ「二人の姉妹」

1902年の作品です。

オーギュスト・ロダン「青銅時代」

1877年の作品です。

アルノルト・ベックリン「死の島」

1901年の作品です。

Bernard Buffet「サンクトペテルブルク、エルミタージュ」

1992年の作品です。

ミュージアムショップ

エルミタージュ美術館旧館は、規模だけでなく構造も複雑なので、なかなか鑑賞しにくい感じでした。その代わり装飾は豪華壮麗でした。

一方で新館(印象派)は動線が分かりやすく、グルグル周回してればだいたいお目当ての絵は見つかりました。しかし体育館のように無機質でした。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次