今回は長年の悲願だったボルゲーゼ美術館を鑑賞していきます。ボルゲーゼ美術館は、その素晴らしいルネッサンスやバロックのコレクションで、ローマでも必見の美術館です。
ヴェネト通り
ボルゲーゼ美術館へはヴェネト通りを散策していきます。

ヴェネト通りはローマで最もエレガントな並木道です。

大使館や高級ホテル、カフェなどが並木の両側に広がります。


フェリーニの映画「甘い生活」の舞台になったエリアとしても有名ですね。

まさにドルチェヴィータの世界!

ヴェネト通りを上ると「アウレリアヌスの城壁」が見えてきます。3世紀後半に造られた城壁です。この時代のローマはいわゆる「軍人皇帝」の時代で、下克上の戦乱期でした。アウレリアヌスは北方異民族の南下を警戒し、これらの城壁を築かせたのです。

ピンチャーナ門をくぐると・・

ボルゲーゼ公園です。

もともとは17世紀初めに、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の別荘として造営されました。

ジェラート食べた笑 10月なんですけど、日差しはけっこうキツかったですね。

ムゼオ・ボルゲーゼ通りを歩くと15分くらいでボルゲーゼ美術館に到着します。

ボルゲーゼ美術館は特殊な美術館で「完全予約制・日時指定制」です。予約する段階で希望時間帯を選択します。鑑賞の制限時間は2時間で、完全入れ替え制になります。

公式サイトでネット予約しようと思ったのですが、すでに売り切れ。で、ちょっと割高になりましたがベルトラでやっとゲットすることができました。バウチャーがメールで送られてくるので、事前にプリントしておきます。

ボルゲーゼ美術館

だいたい指定時間の30分前くらいに到着するのが普通のようです。

まずは入り口から半地下の切符売り場で、バウチャーを提示してチケットをゲットします。また入り口にクロークがあるので荷物は預けないといけないようです。小さな荷物も「預けろ」と言われて、一瞬差別?イジメ?とか思ったんですが、そういうルールみたいです。

1階のロッジアで待機してると指定時間になりました。係員の指示に従って、いよいよ入館です。

ボルゲーゼ美術館は、もともと名門貴族シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のプライベート・コレクションでした。シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿は、ベルニーニらバロック時代の芸術家たちの大パトロンとして有名です。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の彫像」
これがバロックの帝王・シピオーネです。コレクション収集のためには、恫喝まがいのことまでしたというから恐るべき執念です。それだけの権力も持っていたのでしょうね。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「ルイ14世騎馬像の修作(テラコッタ)」

ベルニーニはルイ14世に招かれ、渡仏したこともあります。ルイ14世の胸像や騎馬像は今もフランスで見ることができます。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「教皇パウルス5世ボルゲーゼ像」
ボルゲーゼ家出身のローマ教皇です。甥のシピオーネを枢機卿に引き上げた人物。伊達政宗家臣でローマを訪れた支倉常長にも謁見しています。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「乳を飲ませる山羊」

おそらく10代の頃につくられた初期作品です。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「自画像」
成長に伴い3枚の自画像が並んでいます。

「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたバロック芸術の巨匠です。

10代から才能を認められ81歳の死の時まで、その圧倒的な彫刻、建築の才能でローマを彩りました。

ヘラルト・ファン・ホントホルスト「The Concert 」
1623年頃の作品です。オランダ人画家ですが、ローマに修行に来て、同時代の最大の画家・カラヴァッジョの影響を受けました。

ランフランコの回廊と呼ばれる部屋の天井画です。

第16室の天井画です。

ヤコポ・ズッキ「アメリカ発見の寓意」

1585年頃の作品です。この絵を見た三島由紀夫は「ギュスターヴ・モローみたいだ」と称賛したそうです。

ヤコピーノ・デル・コンテに帰属する「クレオパトラ」
16世紀の作品です。紀元前31年のアクティウムの海戦で敗れ、ローマ軍に追い詰められたクレオパトラは、毒蛇に身体を噛ませて自害しました。

マルコ・ピーノ「キリストの復活」
1569年から76年の作品です。

ペッレグリーノ・ティバルディ「幼きキリストへの崇拝」
1548年の作品です。ティバルディはロンバルディア出身の画家・建築家で、マニエリスムの影響を受けています。

ポンぺオ・バトーニ「聖母子」

1742年ごろの作品です。バトーニは18世紀のローマで活躍した画家です。グランドツアー(英国人富裕子女のイタリア文化留学)の時代に、イギリス人対象の肖像画を多く手がけ、人気を博しました。

イル・サッソフェッラート「聖母子」

イタリアのバロック期の画家です。ラファエロやグイド・レーニに影響を受けた優しいタッチが印象的です。

カルロ・ドルチ「聖母子」
17世紀中頃の作品です。フィレンツェ出身の宗教画家で、甘美な聖母像の制作に優れていました。

「アマゾンとギリシャ人、野蛮人」



アンニーバレ・カラッチ「聖家族」
1608年から09年頃の作品です。ボローニャを拠点に活躍したカラッチ一族の中心がアンニバーレでした。

アントニオ・カラッチ「ジョーヴェとジュノーネ」
1612年頃の作品です。ゼウスとヘラのことです。アントニオはアゴスティーノ・カラッチの息子さん。

ドメニキーノ「ディアナの狩り」
1616年から17年頃の作品です。ドメニキーノもボローニャ出身で、アンニバーレ・カラッチに学びました。

ドメニキーノ「クーマのシビッラ」
1616年から17年の作品です。クーマ(クーマエ)とはナポリ近郊にあった古代ギリシャの植民都市。シビッラとはアポロンの神託を受け取る巫女のことです。

アゴスティーノ・カラッチ「シエナの聖カテリーナの光悦」
16世紀後半の作品です。アゴスティーノはアンニバーレのお兄さんです。カテリーナ(カタリナ)は14世紀のイタリア・シエナの修道女。彼女は徹底した自己鍛錬の業をしたことで知られ、日課として睡眠と食事を削っていました。また当時ローマ教皇庁が移っていたアヴィニヨンにおもむき、ローマへの帰還を働きかけました。

フェーデ・ガリツィア「ユディト」
1601年の作品です。フェーデ・ガリツィアはミラノ出身の女流画家です。

ユディットは自分自身をモデルにしているそうです。フェーデは未婚のまま、1630年のミラノのペストの流行で亡くなったと言われています。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖愛と俗愛」
1514年頃の作品です。ティツィアーノの初期作品ですが、代表作の一つです。

着衣の女性が「地上の愛」、裸体の女性が「天上の愛」を意味する寓意画である、と一般には言われています。

水槽のヘリに右手を置いた女性は、左手には香炉を持っているようです。

服を着た方の女性は、裸の女性と同一人物ではないかと言われています。ティツィアーノの絵でよく見る人ですね。

1995年に洗浄され、鮮やかに生まれ変わりました。ちなみに鳴門の大塚国際美術館では、この作品の「洗浄前」「洗浄後」の両方の複製画を見ることができます。

アントネッロ・ダ・メッシーナ「男の肖像」
1474年から75年頃の作品です。アントネッロはシチリア島出身で、晩年にはヴェネツィアを訪れ、初期ヴェネツィア絵画に影響を与えています。

ロレンツォ・ロット「聖母子とアンティオキアの聖イグナチオと聖オノフリオ」
1508年の作品です。


ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子」
1510年頃の作品です。ヴェネツィア派第一世代の巨匠の、晩年の作品のようです。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「キューピッドに目隠しをするヴィーナス」
1565年頃の作品です。寓意画のようですが、どのようなメッセージが込められているのかは諸説あるそうです。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「キリストの鞭打ち」
1560年頃の作品です。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖ドメニコ」
1565年頃の作品です。

パオロ・ヴェロネーゼ「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」
1562年頃の作品です。ヴェロネーゼは16世紀ヴェネツィア派の巨頭。

ティツィアーノらヴェネツィア派の作品が充実しているのも、ボルゲーゼの売りの一つです。

ブロンズィーノ「洗礼者聖ジョヴァンニ」

1562年頃の作品です。洗礼者聖ヨハネとはまったく思えぬ、若々しく逞しい男性が描かれています。

ラファエロ・サンティ「一角獣を抱く貴婦人」
1506年頃の作品です。伝説の一角獣を抱く女性が「モナリザ」の影響を受けているのは明らかですね。後にこの作品は加筆、改竄され、「アレクサンドリアの聖カタリナ」として描き変えられていました。女性の膝の上には一角獣でなく、聖カタリナを示す車輪の破片が置かれていたのです。(1930年代に行われた修復で加筆は除去)

ラファエロ・サンティ「男の肖像」
1502年頃の作品です。

ペルジーノに帰属「聖セバスティアーノ」
1490年の作品です。これも人気のテーマです。ちなみに「〜に帰属」とは、断定はできないがその人の作品と推定されるという意味です。

ペルジーノ「聖母子」
16世紀初めの作品です。ペルジーノは若き日のラファエロの師匠としても知られます。

フラ・バルトロメオ「幼きキリストへの崇拝」
1495年頃の作品です。フラは修道士を意味しますが、フィレンツェのサンマルコ修道院に属していました。ちょうどレオナルド、ミケランジェロ、ラフェエロがフィレンツェに集結していた時期で、バルトロメオもそれぞれから影響を受けています。

ボッティチェッリと工房「聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使たち」
1488年頃の作品です。トンドという円型画はルネッサンス期に流行しますが、ボッティチェリも優れたトンドを多く残しています。

ラファエロ・サンティ「十字架降下」
1507年頃の初期作品です。ペルージアで実際にあった若者の惨殺事件と重ね合わせて描かれているそうです。

全く無力化したキリストを運搬する聖ニコデモ。キリストに寄り添う女性はマグダラのマリアです。

ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ「レダ」
1565年頃の作品です。この白鳥の正体はゼウス(ユピテル)です。ゼウスは好色な神で、何にでも化けて美女に接近しようとします。

ニコロ・デッラバーテ「女性の肖像」
16世紀中頃の作品です。イタリアの画家ですが、後半生をフランスで過ごし、フォンテーヌブロー派を形成しました。

パルミジャニーノ「男の肖像」
1528年から30年の作品です。

第10室の天井画です。

ニコラス・コルジエ「ジプシーの少女」
紀元前4世紀のトルソーに、フランス人彫刻家が1607年から12年にかけて、顔や腕を付け足したものです。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「プロセルピナの掠奪」
この煌びやかな空間は「皇帝の間」といいます。その中心に置かれるのはベルニーニの作品です。

1621年から22年の作品です。

この作品はシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼で制作されました。ベルニーニはこの時、弱冠23歳でした。

女神プロセルピナを連れ去ろうとする冥界の神プルート。

ギリシャ神話の一場面を切り抜いたかのような見事な作品です。






大理石とは思えない!プロセルピナの柔らかな肌に食い込む指。

昔、何かの本で見て驚いて、いつかローマで実物を見たいと思ったものです。

首がいっぱいあるワンコは冥界の犬ケルベロスか。




















彫刻といい絵画といい、「レダと白鳥」をテーマにした作品は多く見かけました。







ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「アイネイアースとアンキーセス」
1618年から20年の作品です。これもシピオーネ・ボルゲーゼ 枢機卿の命でつくられた作品です。

男が爺さんを持ち上げていますね。

これはギリシャ神話およびローマ神話を元にした作品です。

トロイア戦争で敗れたトロイアの武将・アイネイアースが父アンキーセスを背負い、イタリア半島に落ち延びようとしている場面です。


この英雄アイネイアースの子孫が、ローマを建国した一族になるとの伝承が普及していきました。

ローマ初代皇帝アウグストゥスもこれを利用し、ユリウス一族はアイネイアースの子孫であるという神話を広めました。








ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「真実」

1645年から52年の作品です。

ただしボルゲーゼに来たのはわりと最近の1924年だそうです。


ジョヴァンニ・アントニオ・ホウドン「洗礼者聖ジョヴァンニ」


ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「アポロンとダフネ」

1622年から25年の作品です。

この作品はシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼で制作された最後の作品です。

ギリシャ神話のニンフのダフネはある日、アポロン神に見初められました。

アポロンはエロス(キューピッド)の金の矢に射られ、ダフネが好きで好きでたまらなくなってしまったのです。

一方、ダフネはエロス(キューピッド)の鉛の矢に射られ、アポロンが嫌で嫌でたまらなくなっていました。

アポロンのストーキングに捕まらんとする瞬間。

ダフネは父のペネイオス神に叫びます。「こんな男のものになるくらいなら私を月桂樹に変えて!」と頼みました。

見る見るうちに、ダフネは月桂樹へと変わっていきます。






はじらいのヴィーナス像もいくつか見られました。



ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「ダヴィデ」

1623年から24年の作品です。

この作品もシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼で制作されました。

巨人ゴリアテに向けて、今まさに投石せんと身構えるダビデ。

ドナテッロのダビデは、ゴリアテとの対決を制して恍惚の状態でしたが。

ベルニーニのものは、ミケランジェロのものと同様で、戦いに向かう寸前の闘志を燃やす瞬間を描いています。








これは「レダと白鳥」








アントニオ・カノーヴァ「Pauline Bonaparte 」

この女性はナポレオンの妹・ポーリーヌです。ナポレオンはポーリーヌを、当時のボルゲーゼ当主カミロと結婚させ、合法的にボルゲーゼ家のコレクションを寄贈させることに成功しました。

ポーリーヌはナポレオンの妹の中で最も美しいと言われました。彼女はパーティの招待客に、このカノーヴァの作品を見せて自慢するのが好きだったそうです。

浮気で自由奔放な女性でしたが、兄・ナポレオンを最後まで敬愛しており、他の兄弟姉妹がナポレオンを見捨てる中、最果てのセントヘレナ島を訪れようとさえしています。








ベルニーニと並ぶボルゲーゼの看板はカラヴァッジョ・コレクションです。
カラヴァッジョ「バッカスに扮した自画像」
1593年から95年頃の作品です。ミラノからローマにやって来て、これから名を上げようという時期。このバッカスは不健康そうな印象がありますが、当時カラヴァッジョは闘病中(マラリア説がある)で入院していた時期であるとか。

カラヴァッジョ「執筆する聖ヒエロニムス」

1605年から06年の作品です。聖ヒエロニムスの赤い衣と骸骨が劇的で印象的です。




カラヴァッジョ「蛇の聖母」

1605年から06年の作品です。邪悪の象徴たる蛇を踏み潰すイエスを描いています。この作品は聖ピエトロ大聖堂に飾るために描かれたそうですが、すぐに外されてしまい、ボルゲーゼ卿が引き取ったようです。老醜の聖アンナや、胸をはだけた聖母が品が無いと取られたそうな。

カラヴァッジョ「果物籠を持つ少年」

1593年から95年頃の作品です。これもローマに来たばかりに描かれた作品。美少年と果物はカラヴァッジョの得意技です。モデルの少年は画家仲間で、16歳だそうです。カラヴァッジョの葡萄は本当に美味しそうです。

ドッソ・ドッシ「魔女キルケ(メリッサ)」
1520年頃の作品です。ドッソはフェラーラを拠点に活動した画家です。この作品は歯向かう者を動物に変えてしまう魔女を描いているとされます。


ここがショップです。



この手のおもちゃも大好きですが、ちょっと高いですね。

49ユーロで図録買ってしまった。

間違ってイタリア語版買おうとしたら、店員のにいちゃんが
「これはイタリア語版だよ」
「嘘?!」
「こっちに英語版もあるぞ。こっちにするか?」
「そっちで!グラッチェ」
・・という危ない場面もありました。ま、どっちにしても写真しか見ないけど。
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