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ハワイ真珠湾歴史巡り

太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦のハワイ真珠湾歴史巡りです。

 

1941年12月8日(現地時間7日)早朝、この山々を目標に帝国海軍の航空隊は突入してきました。

太平洋航空博物館

フォード島にある「太平洋航空博物館」を見学します。

まず床に航空写真がありますね。

この博物館では、第二次大戦前後の機体を見学できます。

 

これはご存知、零戦です。

三つぐらいの零戦の部品を合体して、復元したそうです。

都内では、靖国神社の「遊就館」で零戦の見学ができます。

 

九七式艦上攻撃機です。どうしてもここまでしか復元出来なかったようですね。

艦攻は敵艦への「水平爆撃」と「雷撃」を担当します。ハワイ作戦の主目的である敵艦隊殲滅を実行する機がこの九七式艦攻でした。艦攻の向こうに「航空魚雷」が見えます。

カーチスP40です。大戦初期の米軍主力戦闘機です。

赤いルートが日本軍第一次攻撃隊の進入路です。

第一航空隊総隊長の淵田美津雄は、ハワイ上空にカーチスがまったくいないのを見て、全軍に命じました。「ト・ト・ト(全軍突撃せよ)」

まず高橋赫一少佐の九九式艦爆隊、続けて村田重治少佐の雷撃隊が突撃します。そして淵田総隊長は数分後、空母赤城に有名な打電を行います。

「トラ・トラ・トラ(我、奇襲に成功せり)」

 

アメリカ太平洋艦隊は一日にして壊滅。

「航空機で戦艦を撃沈する」という、戦術上の革命がなされた戦いでした。

アリゾナ・メモリアル

真珠湾港内には、真珠湾攻撃で撃沈された「戦艦アリゾナ」のメモリアルがあります。

けっこう並びます。意外にもアメリカ人の客も多い。

ちなみに軍施設なので、バッグの持ち込みは禁止です。基本は手ぶら。帽子、カバーを付けないカメラ、携帯電話、透明なボトルに入った水、ポケットに入る財布、の持ち込みは許されます。

これは「戦艦アリゾナの錨」ですね。アリゾナは火薬庫が誘爆したため、大爆発を起こしました。この錨は90メートル以上離れたところまで吹っ飛んでいたのを、発見されたようです。

 

遠くに戦艦ミズーリとアリゾナ・メモリアルが見えます!

 

これは「潜水艦ボーフィン」です。これを保存しているのか。ボーフィンは1944年に「対馬丸事件」を起こした艦です。

1944年8月、対馬丸は那覇国民学校の学童を乗せた疎開船にもかかわらず、ボーフィンの魚雷攻撃を受け沈没。多くの児童たちが犠牲になってしまいました。1400名以上の乗員乗客が死亡している傷ましい事件でした。

 

アリゾナに向かうボートへと乗り込みます。

 

「アリゾナ・メモリアル」に着きました。

戦艦アリゾナは、真珠湾攻撃における最大の被害艦となりました。

燃料や火薬庫に引火したために、大爆発をおこし、1100名以上の乗員が戦死したのです。

これはアリゾナの砲塔跡のようです。

海面下には艦影が見えます。

アリゾナとともに多くの兵士達も眠っています。

 

今も艦から漏れ出す油は、「アリゾナの涙」と呼ばれます。

「アリゾナ・メモリアル」は厳粛な慰霊の場なのです。

国旗を折りたたんでいます。

今もアメリカ海軍では、真珠湾に入港する際に甲板の縁に整列し、アリゾナに敬意を表します。帝国海軍の末裔たる海上自衛隊もそうしている。

戦艦ミズーリ

「アリゾナ・メモリアル」慰霊の後は、「戦艦ミズーリ」を見学しました。戦艦ミズーリ入り口には、チェスター・ニミッツ元帥の像が迎えます。真珠湾の責任で解任されたキンメル大将の後釜として、太平洋艦隊司令官に大抜擢されました。(その際、少将から特進で大将に昇進)

ニミッツはその期待に応えて、日本海軍を壊滅に追い込みました。ただしニミッツ元帥は、日本の東郷平八郎元帥に心酔しており、その尊敬は日本と戦争をしても変わることはありませんでした。戦後に横須賀港で放置されていた戦艦三笠を、記念艦として顕彰することに尽力したのはニミッツなのです。

アメリカ国旗が両側に並びます。

これらは織られたもので正式な国旗だということです。

対日戦勝時の有名なヴィクトリー・キッスの人形が!

このことからわかるように、ミズーリは対日戦勝と大いに関係があります。

 

1945年9月2日、東京湾に浮かんだミズーリ艦上で、日本軍の降伏文書署名が行われたのです。

40.6㎝主砲の威容は凄い。

終戦直前の1945年には室蘭や日立を艦砲射撃して大被害を起こさせています。

アリゾナの隣にミズーリを置くというのは、いい意味に考えれば「戦争の始まりと終わりの象徴」とも受け取れます。

ここはミズーリ艦上の、日本軍降伏文書調印の場です。

1945年9月2日のことでした。

 

この上に机が置かれて調印式が行われました。

これがミズーリ号艦上の降伏書類調印の場面です。

さらし者にされてますね。アメリカには武士の情けが無いのかね。

 

アメリカ代表はマッカーサー元帥。


これは1853年ペリーが来航した時の国旗のレプリカです。マッカーサーはペリー艦隊が使用した国旗を、あえて降伏調印の場に掲げました。

いい意味に考えれば「憎しみの時代は終えて、新たな日米関係を始めよう!」みたいな意味なのでしょうか。

 

こちらが日本代表団。杖をついているのは重光葵全権、そしてその右隣が梅津美治郎陸軍大将です。

これが降伏文書のレプリカです。

屈辱ですね。そしてこの日、9月2日で第二次大戦は正式に終了します。ただし8月15日以降も千島列島に侵攻していたソ連軍の進軍は、9月5日まで続くことになります。

ここも重要な場所です。

1945年4月17日、この凹んだところに日本の特攻機が突入しました。

ミズーリへの特攻機の突入。

この特攻はミズーリの外壁を凹ませただけに終わってしまったが、戦死した日本パイロットの上半身がミズーリ艦上に投げ出されました。水兵たちがその遺体を投棄しようとしたところ、ミズーリのキャラハン艦長は「その日本兵を敬意を持って葬れ」と命じ、翌日海軍式の水葬が行われました。

米兵の中には、敵を丁重に葬ることに違和感を感じる者もいました。が、キャラハン艦長は「国のために命をかけた点で、諸君らと何ら変わりない」と諭しました。

水葬は御遺体を国旗に包んで行いますが、ミズーリに日本の国旗などある筈もない。米兵達はわざわざ徹夜で旭日旗を作って、日本の英雄を葬いました。この日本人パイロットは、石野節雄二等兵曹である可能性が濃厚だということです。

水葬をした際の足の位置です。

この美しいエピソードに救われる気がしますね。アメリカ軍にもニミッツやキャラハンのように、武士道がわかる人もいたんです。

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