高野山巡り【金剛峯寺】

  • URLをコピーしました!
スポンサーリンク
目次

南海線・極楽橋駅

仏教の聖地・高野山に行ってまいりました。

ケーブルカーで一気に上がります。

ケーブルカーの駅から、バスで「奥の院入口」へ向かいます。

奥の院参道

奥之院は弘法大師・空海が御入定されている仏教の聖地です。

一の橋を渡り、参道を歩いていきます。弘法大師が眠る御廟までの2キロの参道には、多くの歴史人物の墓所が置かれます。

仙台 伊達家。

加賀 前田家。

空挺落下傘部隊将兵の墓所です。

大東亜戦争序盤の1942年、最優先の目的としてオランダ領スマトラ島のパレンバン油田を無傷確保するために、パレンバン空挺作戦が実施され成功。「空の神兵」として楽曲化・映画化もされ、賞賛されました。

薩摩 島津家墓所。

地元 和歌山県 将軍吉宗公。

武田信玄、勝頼親子の墓所。

薩摩藩初代・二代藩主墓所。

石田三成墓所。

明智光秀墓所。

三成や光秀のような敗軍の将もきちんと弔っているんですね。

家康の重臣・本多忠勝。

蜻蛉切という槍を使い、徳川四天王として武勇を誇りました。

家康の次男・結城秀康。

秀康は越前松平家の始祖となりました。

太閤豊臣秀吉。豊臣家墓所です。

織田信長。ずいぶん扱いが軽いですね。高野山攻めを狙ってたからかな?

御廟橋です。これより奥は弘法大師・空海御廟として聖域になります。

この橋を渡ると聖域となります。身を正して橋を渡ります。これより先は、聖域中の聖域で写真撮影は禁じられています。

しっかり拝んで、参道を戻っていきます。弘法大師御廟は感動的でした。

忠臣蔵の浅野内匠頭。

筑前 黒田家。

さてこのあとはバスでケーブルカー駅方面に戻り、真言宗総本山の金剛峰寺を参拝します。

金剛峯寺

この山門は1593年の再建で、現在の金剛峰寺で最も古い建物らしいですね。

昔は天皇・皇族やお寺の重職しか通ることは許されなかったとか。

門をくぐると左手には経蔵がありました。1679年に寄進されたものだとか。

経蔵は経典とか大事なものを保管するためのものだから、主殿とは別に隔離しているそうですね。

門をくぐると右手には鐘楼がありました。1864年の再建だそうです。

鐘楼から振り返ると、大玄関があります。囲いがされていますね。昔は正門と同じように天皇・皇族やお寺の重職しか通ることは許されなかったとか。

さあ、お堂内に入っていきたいと思います。

ここは柳の間です。ここで豊臣秀吉の怒りをかった甥の豊臣秀次が自害しました。

「秀次自刃(じじん)の間」とも言われます。

上段の間です。天皇や上皇を応接します

台所か。僧侶の皆さんも多いでしょうからお食事の準備も大変でしょうね。

大伽藍

さて次は大伽藍を巡っていきます。

東塔です。白河法皇によって1127年に落慶しました。

現在のものは1983年の再建だそうです。

三昧堂です。西行が造営したとか。現在のものは1843年の大火後の再建です。

国宝・不動堂です。

鎌倉時代後期の建築と推定されるそうです。

高野山のシンボルの根本大塔です。空海の死後の、876年に完成したと伝えられます。

その後、5回も焼失し、現在のものは1937年に再建されたものです。

平安時代の威容が再現されました。

大塔の鐘です。今も1日5回、厳粛な鐘の音を響かせます。

現在の鐘は1547年の再興らしいですね。

金堂

とにかく大きい。高野山最初期に建設され、高野山の総本堂としての役割を果たしていたそうです。

現在のものは7度目の再建で、1932年完成。耐震耐火を意識して、鉄筋コンクリート構造らしいです。

中門です。金堂の正面手前の一段低い所にあります。

江戸時代の大火後に、なかなか再建されずにいましたが、2015年に170年ぶりに再建されました。

四天王も修理されました。

六角経蔵です。

西塔です。816年から887年ごろに完成したと伝えられます。

現在の塔は1834年の再建です。

大門

高野山全体の入り口の大門です。

現在の大門は1705年の再建です。

高さは25メートルでとにかくでかい。

金剛力士像が左右に飾られます。

大門口の女人道です。

高野山は1872年まで女人禁制でした。

御廟までは行けずとも、高野山には「女人堂」がいくつも建てられ、女性たちはこの女人道を通って参拝したのでした。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次