宿毛駅
宇和島から宿毛まではバスを使いました。
土佐くろしお鉄道がやってきました。ローカル線に乗るのも旅の楽しみです。
お公家さんのラッピング列車!応仁の乱の時に、都落ちして逃れてきた貴族のイメージか。
四万十市(旧中村市)は、戦国時代に藤原家の末裔・土佐一条氏によって治められました。そんなわけで碁盤の目状の京風のまちづくりがされているそうですね。
30分くらいで中村駅に到着です。
足摺岬
この日はミニバスツアーに参加して、足摺岬を訪れていきたいと思います。中村駅から出発です。
さあ、四国最南端「足摺岬」にやってきました!
この銅像は土佐の偉人「ジョン万次郎」こと中浜万次郎です。万次郎は幕末の時代の土佐の漁師でしたが、漂流したところをアメリカ漁船に救助されます。
そのままアメリカに渡り、10年間アメリカ生活を過ごしました。そしてペリー来航直前に帰国!時勢に鑑み、土佐藩士、さらには幕臣に取り立てられ活躍します。
足摺岬を展望していきます。
土佐沖の海の雄大さよ。
遠くに足摺岬灯台が見えます。
「亀呼場」だって。
灯台のそばまで接近しました。
亀石だって。確かに亀に似てるな。
ゆるぎ石だって。この岩を動かそうとして、動き具合で親孝行かどうかわかるらしい。
四国霊場「金剛福寺」
竜串海中公園
奇岩・奇勝のオンパレードですよ。
砂岩や泥岩が長い間侵食されて、このようになったみたいですね。
弘法大師見残しの碑ですね。この辺の海岸を「見残し海岸」と言いますが、空海がここを訪れた時、見忘れたからという話だったっぽい。
足摺海底館
ここから迫力ある海の展望ができるみたいですね。
ジョン万次郎資料館
地元の英雄・ジョン万次郎の資料館にやってきました。
土佐の漁師として生まれた中浜万次郎は、1841年に漂流。万次郎たちを乗せた漁船は、鳥島に流れ着きました。万次郎14歳の時でした。
その鳥島に、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号が接近。万次郎たちを救助します。
これが万次郎たちの船。一本マストで嵐に弱かった。
これがジョン・ハウランド号です。
ホイットフィールド船長は、万次郎の聡明さを気にいり、アメリカに連れて帰ることにしました。
ホイットフィールド邸です。船長は万次郎をジョン・マンと呼び、アメリカの初等教育を受けさせます。
ジョン万次郎は捕鯨船の船員になり、世界中の海を駆け巡ります。
またゴールドラッシュ時代のカリフォルニアで金を採掘する経験もしています。
すっかりアメリカ人だw この当時、これだけの経験をした日本人は他にいないでしょう?
アメリカでの生活10年にして、万次郎は郷愁抑えがたく、琉球から薩摩へとまわって帰国します。これが1851年のことで、ペリー来航の2年前でした。この頃、オランダが実は小国であり、当時の世界帝国になりつつあったイギリス語の重要性が、ようやく気づかれ始めた時代でした。
英語を完全にモノにし、また西欧の政治・社会制度の知識にも精通していた万次郎の帰国は、まさしく渡りに船のような「僥倖」でした。万次郎の経験を、地元の河田小龍という人物が記録した「漂巽紀略」です。後に小龍は坂本龍馬に西洋事情を指南し、龍馬の思想に大きな影響を与えることになります。
万次郎は土佐藩士、さらに幕臣へと取り立てられ、「咸臨丸」に乗り日米修好通商条約の調印に随行しました。
偉大な万次郎の足跡を堪能できました。この人物こそ大河ドラマで描いたら面白いのに。
四万十川クルージング
最後の清流と言われる四万十川のクルージングをしてみたいと思います。ここが乗船場です。
さあ出発!
沈下橋が見えてきた。
欄干が無いんだよね。
増水の際に、欄干があると橋ごと持ってかれちゃうそうです。
四万十川は最後の清流と言われます。NHKの番組で言われてから広まった異名らしいですね。
ただ前日に雨が降ったみたいで、少し濁った感じでした。
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