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小5下巻6回「鎌倉時代」

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f:id:mejirorock:20210313015824p:plain 小5下巻6回 

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今回は鎌倉時代。武家政権の始まりです。

 

鎌倉時代は縦↓と横→で理解しよう

①縦↓の仕組み

征夷大将軍

 御恩↕︎奉公

 御家人

 

御家人とは、幕府(将軍)に仕える武士のことです。御家人は幕府の危機の時には、「いざ、鎌倉!」をスローガンに幕府のために死力を尽くして戦います。(奉公

その代わり幕府(将軍)領地を御家人に与えたり、土地の権利を認めてあげたりします。(御恩) こういう社会の仕組みを封建制度といいます。

現代でいえば、サラリーマンが会社のために働き、その代わりに会社から給料をもらうのと同じですね。

 

ところが、このシステムが破綻したことがあります。つまり戦ったのに、恩賞がきちんと貰えない!

これは元寇(文永の役・弘安の役)の時に発生しました。

西日本の御家人たちは、世界でも最強の元・高麗軍に攻められ、集団戦術てつはうに苦戦します。散々な目にあって、ようやく追い払ったのに、恩賞は十分なものではありませんでした。

なぜか?

それは「元寇が内戦でなかった」ことに尽きます。対外国との戦争だったので、勝っても分け与えるべき獲得領地がなかったため、あげたくてもあげられなかったのです。

その結果、御家人たちは幕府に不満を抱くようになり、後醍醐天皇の倒幕運動へと繋がっていくのです。

 

 

↓肥後国の御家人竹崎季長が描かせた有名な「蒙古襲来絵詞」も、決して自己顕示欲で描かせたわけでなく、幕府に自分の戦功をアピールし、恩賞に預かるためのものでした。

 

②横→の仕組み

西・京都朝廷東・鎌倉幕府
 
鎌倉時代の前半は、まだまだ京都の朝廷の力は強く、「二重政権」の状態でした。京都朝廷は、常に幕府の潜在敵であり、いったん幕府が弱くなると思えば、すぐに牙をむきました。
 
これが承久の乱です。1221年「人に不意打ち」と覚えます。
有名な北条政子の演説で、心が一つになった幕府軍が圧勝。後鳥羽上皇は隠岐に流されます。
以後、警戒した幕府は京都に「六波羅探題」を置き、朝廷や西国武士を監視します。
 

✴︎六波羅探題の覚え方

承久の乱が1221年でした。

それを足し算してみてください。

「1+2+2+1」=いくつ? 

6ですよね!=だから6波羅探題

 

鎌倉歴史巡り

鶴岡八幡宮です。源氏将軍の守り神です。

八幡宮階段下の大イチョウです。三代将軍・源実朝の暗殺者がこのイチョウの後ろに隠れていたため、「隠れイチョウ」とも言われます。

2010年強風のために倒れてしまいました。

初代将軍・源頼朝の墓です。

鎌倉といえば大仏ですね。

大仏の中に入ることもできます。

成就院です。海の見える紫陽花の坂です。

遠くに見える材木座海岸・由比ヶ浜海岸は、夏目漱石の「こころ」の舞台となったところですね。

 

今回の歴史年代暗記法

 

①源頼朝が征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を開いたのは何年か。→1192(いい国つくろう鎌倉幕府)

 

②承久の乱がおきたのは何年か。→1221(人に不意打ち承久の乱)

 

③北条泰時が御成敗式目を定めたのは何年か。→1232(人つみになる御成敗)

 

④一度目の元寇(文永の役)が起きたのは何年か。→1274(パンツ無しで来る文永の役)

 

⑤二度目の元寇(弘安の役)が起きたのは何年か。。→1281(パンツはいて来る弘安の役)