小田原駅
久しぶりに小田原城に行ってみようと思います。小田原駅です。あいにく小雨が降ってますが、強行したいと思います。
駅に二宮金次郎の像がありました。二宮金次郎も小田原出身ですね。昔の小学校にはみんな二宮金次郎の像が立っていたといいます。
駅前には小田原北条氏の開祖・北条早雲の像があります。
北条早雲は最初期の戦国武将で、素浪人から下剋上を体現した人物として取り上げられることが多かったですね。
最近の研究では、室町幕府の高級官僚・伊勢新九郎(北条を名乗ったのは息子の代から)として、実態がかなり明らかになってきています。血縁の今川氏のお家騒動や、関東公方家の内紛に介入しながら、伊豆、相模と勢力を拡げていきました。
小田原城
小田原駅から徒歩10分です。お堀が見えて来ました。雨の日でしたが、これはこれで風情がある。
小田原城は、北条早雲(伊勢新九郎)に始まる小田原北条氏の本拠地となって以降、関東支配の拠点となりました。上杉謙信、武田信玄に攻められても、はねのけた堅固な城郭でした。
そして豊臣秀吉との小田原合戦を前に、周囲9キロに及ぶ総構えを構築して、日本最大級の名城となりました。
北条氏滅亡後は、大久保氏、稲葉氏が城主となり、小田原城も破却と再興を繰り返します。
明治維新を迎えると小田原城は廃城となり、建物は解体されました。
昭和になって、かつての本丸・二の丸に相当する地域が国指定史跡公園とされ、往時の姿を取り戻すよう整備が進められています。
馬出門
2009年に復元されたものです。確かに10年ぐらい前に来たことがあるんですけど、無かったような気がする。
南堀の大賀ハスです。1979年から繁殖させたそうです。
銅門(あかがねもん)
1997年に復元。銅門は二の丸の正面にあたります。名前の由来となった銅板で美しく装飾されています。
内部を見学できました。
必ずある石落とし。
小田原城歴史見聞館
戦国時代にトリップした感覚で、小田原城や北条氏の歴史を、音と映像で楽しめます。小田原北条5代の歴史を学ぶことができます。初代・伊勢新九郎(宗瑞)です。
三代目の北条氏康が偉い人だったんですね。古河公方・関東管領の大軍8万を破った「河越夜戦」や、武田信玄、今川義元との三国同盟など、軍事・外交で卓越した能力を発揮しました。
逆に四代目の北条氏政はバカ息子のイメージしかない。豊臣秀吉の上洛命令に従わず、ついには小田原合戦を招いてしまいました。敗戦後は隠居の身であったにもかかわらず、主戦派として戦争責任を問われ切腹させられています。
小田原北条氏最後の当主・北条氏直は、小田原合戦の敗戦後は高野山へ蟄居となり、翌年病死しています。うまく立ち回れば、豊臣政権下で生き残れたろうになあ。しかも北条なら、徳川や上杉と同格の五大老レベルになれたはず。
小田原評定中かな?
「小田原評定」とは、豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北条方の和戦の評定が容易に決定しなかったところから、長引いて容易に結論の出ない会議・相談のことをいいます。
歴史見聞館は展示がちょっと古臭い感じで、入らなくても良かったかもしれない。面白かったけど。
常盤木門
1971年復元。小田原城本丸の正門にあたり、最も堅牢に造られています。
天守閣
さあ、いよいよ天守閣です。
江戸時代に造られた模型や引図を基に、1960年に鉄筋コンクリート造で復興されました。高さ38.7メートル。
天守閣の中では、甲冑や刀剣などの歴史史料を展示しています。
天守閣ランキング!
1位 大阪城
2位 名古屋城
3位 島原城
4位 熊本城
5位 姫路城
6位 小倉城
7位 小田原城
小田原城は7位ですか〜。なかなかのもんですね。
歴代当主です。
これは箱根寄木細工だな。最高級ですね。
5階建の最上階は展望フロアになってます。石垣山一夜城は、豊臣秀吉が小田原攻めの拠点として築城した城ですね。
霞んでて見えにくいですね。
遠く伊豆半島も霞んでいます。
天守には江戸時代の小田原城に祀られていたとされる摩利支天像の安置空間が再現されています。
さすが天下の名城、楽しめました。
報徳二宮神社
小田原城そばに報徳二宮神社がありました。
二宮金次郎(尊徳)といえば、この読書しながら働く銅像ですね。
二宮金次郎は幼い頃に父母を亡くし一家離散して、親戚の家に預けられます。そこで朝早くから夜遅くまで一生懸命働きながら、わずかな時間でも勉強を続け、先人の教えを身につけていきました。懸命に働いて、24歳までに一家の再興を果たしました。
大人になった金次郎こと二宮尊徳はその才能と手腕を買われ、小田原藩家老家の財政再建を手始めに、数々の大名旗本等の財政再建と領民救済、多くの農村の復興事業を行いました。世のため人のために一生をささげた人です。
小田原城を見学した後、箱根関所を見学しようと思います。
箱根湯本駅
小田急線箱根湯本駅につきました。箱根観光の玄関口です。
箱根の関所はバスを使って行けます。小田原駅・箱根湯本駅より「箱根町港行」のバス利用します。
箱根湯本駅から約40分で「箱根関所跡」バス停に到着します。
箱根関所
箱根関所が現在の場所に置かれたのは、江戸時代初期の1619年のことです。江戸幕府は全国53ヶ所余りに関所を設けましたが、その中でも箱根は、最も重要で規模が大きい関所と見られていました。1869年に関所制度が廃止されるまで、機能し続けました。
関所廃止後に建物は取り壊され、どういう姿をしていたかわからなくなっていましたが、1983年に発見された資料から、建物や構造物などの全貌が明らかになりました。それを元に2007年に、建物や関所周辺環境が整備復元されました。意外に最近復元されたんですね!全然知らなかった。
厩です。5頭繋ぐ規則でしたが、実際には2頭しか繋いでいなかったみたいです。
空いた場所は掃除道具など置かれ、納屋と兼用だったみたいです。
大番所
大番所には面番所と呼ばれる部屋がありました。
ここには小田原藩から出向した役人がつめ、ここを通る旅人の関所改めを行いました。
役人の人形に色が付いて無いのは、衣装の資料が無くて色がわからないかららしいです。
みんな緊張したでしょうね。現代でいえば空港の入国審査みたいなもんですか。
関所では「入り鉄砲に出女」を取り締まりました。つまり江戸に入る武器類と、江戸から出て行く女性に監視の目を光らせたのです。江戸から出て行く女とは、参勤交代で江戸に人質としていなければいけない大名の妻のこと。人質に逃げられてしまっては、外様大名が国元で兵を挙げるやも知れません。
特に箱根は、出女に厳しい関所という特徴がありました。江戸から西へ向かう女性は、たとえ庶民の女性でも「女手形」というパスポートが必要でした。(男性は手形不要)その上、屈辱的な身体検査をされます。
小田原藩から雇われた人見女が、女性の取り調べをしました。たいてい婆さんで「改め婆」と呼ばれ、女性たちから恐れられていました。女性の嫌そうな顔!隅々まで改められるのは、さぞ屈辱だったでしょうね。しかも部屋の前の縁側で、改められたのです。
上の間です。箱根関所の中で最も格が高く、通常は伴頭や横目付などが座り、大名などの接待の間としても使われました。旅人を威嚇するため、武具なども置かれました。
さすまたがありました。
足軽番所の休息所と言われる部屋です。足軽たちは掃除などの雑務をこなしていました。
井戸です。木枠を復元したら、また水が湧き出て、復活したそうです。
獄屋です。とても頑丈に作られています。
関所破りなどをした罪人が一時的に入れられました。
遠見番所
遠見番所へ登ってみましょう!
関所破りをされないように、足軽が昼夜交代で芦ノ湖や番所を見張っていました。
霧っぽくて芦ノ湖がよく見えないのが残念です。
本来なら絶景スポットなんですけどね。
この登り下りは結構キツかった。
資料館も充実していて、すごく勉強になりました。撮影禁止だったのが残念です。
象が関所を越えた話や、関所破りの記録など面白い資料や展示が盛りだくさんでした。
えゔぁ屋
さて箱根湯本駅に戻って来ました。湯本駅で見たものは・・えゔぁ屋とな?なるほど「エヴァンゲリン」は箱根が舞台でしたね。(物語中の第三新東京市として登場)
ちょっと覗いてみたいと思います。
おお!綾波レイ、すごい。
綾波(無感情娘)とアスカ(ツンデレ)というキャラクター類型がパターン化されて、今のアニメにもずっと引き継がれてきますよね。でもテレビシリーズの途中から、ストーリーがわけわからなくなった。「瞬間、心、重ねて」みたいな面白い話を作れるのに、なんで終盤は方向転換してしまったのでしょうか?単に私の理解力がないだけかな。
えゔぁ屋でネルフのマグカップをお土産として購入しました。
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