ラッセルスクエア
今日は大英博物館を周るつもりです。開館は10時からなので、博物館近くのラッセルスクエアを散歩します。
「カフェ・トロアーペ」で朝食をとります。
フル・イングリッシュ・ブレックファースト!
量もたっぷりです。朝から気合十分です。
10時までにはまだ早いけど、ちょい早めに博物館へと向かいます。
なぜなら入館だけは早めに出来て、トイレやショップなど利用できるのです。
大英博物館
大英博物館にやってきました。
世界中から宝の山が集まり、年間600万人がここを訪れます。収録点数はなんと800万点。
膨大なお宝を見切れないので、ポイントを絞って見学していきます。
大英博物館は1753年。この建物は紀元前っぽいけど、19世紀半ばの完成だそうです。
入場料は無料!全人類の遺産なので無料公開しているそうです。太っ腹です。寄付金はここに入れます。
エントランスを越えると、グレートコートと言って、かつては中庭でした。2000年に屋根がつけられたそうです。
グレートコートの象徴・ライオン像はよく待ち合わせ場所に使われるようですね。
ショップがもう開いてたので、先にお土産でもゲットしておくか。
楽しげなものがいっぱいありますねえ。
ロゼッタストーンのUSB!買ってしまった。
ホア・ハカナナイアの石像(モアイ) 1000年頃
グレートコートの北側にモアイ像があります。
1868年にイギリス王室の船がイースター島より持ち帰り、ヴィクトリア女王に献上したもの。なぜかこの部屋だけは早めに開いてたので、先に見れました。また後で来ますけど。
まずは地上階(グラウンド・フロア)から見ていきたいと思います。グレートコートの左側から見ていきます。まずは大英博物館の至宝、一番人気があるやつから。
みんなスタンバイしてます。ここは古代エジプトの展示室です。
ロゼッタストーン 紀元前196年
古代エジプトの神聖文字ヒエログリフ解読の突破口となった石碑です。高さ1.1メートルの石版には、エジプト王プトレマイオス5世を讃える文章が、三種類の文章で刻まれています。一番下は古代ギリシャ文字、真ん中は古代エジプトの民用文字デモティック。そして一番上が古代エジプトの神聖文字ヒエログリフです。
めちゃすごい人の殺到でした。ロゼッタストーンは、もともと1799年ナポレオンのエジプト遠征軍によって発見されました。しかしその後、ナポレオン軍の敗退により、イギリスに戦利品没収され、大英博物館に来るに至ったのです。一つ間違えば今頃ルーヴルにあったかもしれない。でも本来はエジプトのものだから、エジプトは返還要求してるらしいけど。
文字の解読作業が行われ、「プトレマイオス」「クレオパトラ」の語を古代ギリシャ文字と対照することにより、ヒエログリフの解読に成功したのです。
ラムセス2世の胸像 紀元前1250年頃
エジプト第19王朝のファラオのラムセス2世の胸像です。右胸の穴はナポレオン軍が運び出す際に開けた穴だそうです。
ゲイヤー・アンダーソンの猫
ゲイヤー・アンダーソンとは、この猫のブロンズ像をイギリスに持ち帰った学者の名前です。
この猫ちゃんは、エジプトの女神「バステト」の化身だそうです。ミイラにしたり、エジプト人ってネコ好きですね。金の耳輪と鼻輪が可愛いですねえ。
アメンホテプ3世の頭部像
うずくまるアフロディーテ 2世紀
さらに奥に進むと古代ギリシャ・ローマの展示へ。
ギリシャ彫刻のローマン・コピーですが、360度どこから見ても美しい。
アフロディテのすぐそばに、これまた至宝があります。アッシリアの展示室です。
アッシリアの守護獣神像 紀元前710年頃
古代オリエント世界のアッシリア帝国(現在のイラク〜エジプトのあたり)の王・サルボン二世の王宮跡で発見されました。
魔除けの門なのですね。人間の顔をしてるけど、翼を備えた獣神ラマシュです。高さは4メートル以上あります。
足元に工夫があります。正面から見ると足の数は2本で立ち止まっているように見えますが・・横から見ると歩いているように見えます。足の数は全部で5本つくられているのです。
後ろ足の部分にマス目が刻まれています。
これは宮殿を守る兵士たちのゲームに使われたのではないかと思われます。
アッシリアのライオン狩り 紀元前645年頃
現在のイラク周辺で行われていたライオン狩りの様子が描かれています。
画面右端がスタート地点です。檻から出されるライオン。
そして壮絶な狩りの光景!すごいリアルです。
アッシュル・バニパル王です。王はひときわ大きく刻まれます。帽子をかぶっています。人間の描写は様式的で、あまり生き生きしてないですね。
それに対して血を吐くライオン。この迫真の描写はすごいぞ。
古代の動物彫刻の頂点と言われます。
ハリカルナッソスのマウソロス廟 紀元前4世紀
現在のトルコにあった、ハリカルナッソスに建設されたマウソロスと言う人物のお墓から発掘されたものです。
この男女の像は、巨大なお墓の中央部分に安置されていたそうです。
バラバラになった像を復元したものです。こういう人物像が36体あったそうです。
この馬の頭部は、巨大なお墓のてっぺんにあったそうです。
ネレイデス・モニュメント 紀元前4世紀
現在のトルコからの出土ですが、ギリシャのイオニア式建築だそうです。
ギリシャの影響は強いですねえ。
さあ、いよいよ本家本元ギリシャの世界に突入します。ここは大英博物館でもっとも広い部屋です。
パルテノン神殿の大理石彫刻群(パルテノン・マーブルズ) 紀元前5世紀
今からおよそ2400年前の、ギリシャはパルテノン神殿の彫刻です。
馬の足の多いこと!
これら彫刻群は、神殿の内側にフリーズ(浮き彫り)として張り巡らされていたものらしいです。アテネのお祭りの様子を描いているとか。
ヘプロスという毛織を女神アテナに捧げます。
オリンポスの神々が描かれています。神々は座った姿で描かれています。
一番右側がゼウス、その隣はアテナです。
しかしこのリアルで躍動感ある肉体描写はどうですか。
並んだ彫刻が三角形を形作っていますね。
これは神殿の三角屋根の「ペディメント(破風)」を形作っていた彫刻なのです。
ギリシャ市民には見えなかったはずの、後ろの部分も作り込んであるのは驚きです。
しかしこのパルテノンこそ、大英博物館の掠奪の象徴と言われます。神殿を剥がして持ってきちゃったんだから。しかも、もともとは彩色されてたものを「ギリシャ彫刻は白じゃなくちゃね!」とか言って研磨して真っ白にする有様。
ギリシャ政府は返還を求めているようですが、イギリス政府は一貫して拒絶し続けています。
ただしイギリスにも言い分はあります。19世紀の当時ギリシャを治めていたオスマントルコ帝国には、パルテノン神殿を保護する意思は全くなく、荒れるがままにされていました。火薬庫として使っていたほど。
スコットランド人貴族トマス・エルギン卿は、専門家の知見も確かめ、パルテノンの価値に気づきました。そしてトルコ皇帝の許可を得て、莫大な私財を投入して、ロンドンに移送したのです。この彫刻群は別名「エルギン・マーブル」と言います。
アステカのトルコ石モザイク 15〜16世紀頃
ここはメキシコ展示室でマヤ・アステカ文明の遺跡です。
今から500年前に作られたトルコ石のモザイクです。アステカの人々にとってはトルコ石は尊いものでした。王など身分の高い人の装飾に使用されたようです。これは双頭の蛇ですね。
必見はテスカトリポカ神の仮面です。アステカ世界では、世界を創造した神と言われています。
なんと人間の頭蓋骨(生贄)にトルコ石を貼り付けたものです。
目は磨き上げられた黄鉄鉱の円盤を白い貝殻に入れたものです。鼻はオレンジ色の貝で表現されています。
歯は本物の人間の歯です。
エンライトメント(啓蒙)ギャラリー
大英博物館で最も古く、最も美しい部屋と言われます。
もともとは国王ジョージ3世の蔵書を保管するための場所でしたが、現在は18世紀以降の啓蒙思想をテーマとする展示室となっています。
大英博物館の設立当初の姿がよくわかりますね。世界中から集められた文物が、創始者たちによって分類・整理されていきました。
17~18世紀の博物学者ハンス・スローン卿が収集した膨大なコレクションが、大英博物館の基礎となりました。
創設当初から無料公開でしたが、昔は一日の入場者が75名と制限され、かなりのエリートでないと見学の資格が得られなかったとか。その入場者の中には、かのモーツァルトもいました。
ここにはロゼッタストーンのレプリカがあることで知られます。
これ、ロゼッタストーンが大英博物館に来た時と同じ姿で展示されてます。レプリカなので自由に触ることができます。
雑踏でよく見ることができなかったロゼッタストーンをじっくり観察できます。一番下は古代ギリシャ文字です。
真ん中は古代エジプトの民用文字デモティック。
そして一番上が古代エジプトの神聖文字ヒエログリフです。
階段を上がって上層階(アッパーフロア)へと向かいます。ここから古代エジプトの展示が始まります。
エジプトといえば、やはりミイラですね。
エジプトのミイラ 紀元前2500年頃
古代エジプト人は永遠の命を信じていました。ゆえに、来世で復活した後の肉体が必要でした。
内臓を抜いた肉体を乾燥させ、布で巻いて棺に収められました。一体のミイラを作るのに70日かかったと言われます。
これが一番人気の「女祭司ヘヌトメヒトの棺」です。
紀元前13世紀の裕福な女性祭司だったそうです。
ミイラにされたのは猫ちゃんも。
ワニも!
副葬品にも見るべきものがあります。
これはスカラベ(糞転がし)の彫刻です。
スカラベは再生の象徴として神聖視されていたそうです。
これはシャブティという人形。埴輪みたいなもんですか?
死後の世界で死者に仕える用の人形だったようです。
死者の魂を運ぶ船の模型です。
ネブアメンの墓の壁画 紀元前1350年頃
古代エジプト絵画の中でも、特に重要なものと言われます。
エジプト絵画は横向きがほとんどですが、挑発的にも正面を見据えている女性たち。音楽を奏でています。
ネブアメンの来世の幸福を願って描かれたものです。
この時代はエジプトでも「アマルナ改革」という政治・宗教の大改革が行われました。絵画の世界にも波及し、形式的な絵画から写実絵画が描かれるようになりました。
標本レベルのリアリズムです。この蝶々はカバマダラというもの。
次に古代ギリシャ・ローマの陶器の展示です。
ポートランドの壺 1世紀
ローマ皇帝アレクサンデル・セベレスの墓から発見されたと伝わります。
カメオガラスの一品です。当時の最高級の材質と技術が投入されています。
表面に細かいひびのようなものが見られます。
実はこの壺は1845年にバラバラになってしまっています。アイルランドのマルコイという青年が、「なんかムシャクシャして・・」とかふざけた理由で、粉々に粉砕してしまったのです。(酔っ払ったオッさんが破壊したという説もあるそうです)当時の展示室は見張りの係員さえいませんでした。
200もの破片となった秘宝は、1845年、第二次大戦後、1988〜89年と3度の修復作業を経て、完全に復活しました。大英博物館の超高度の修復技術力を示しています。ちなみに破片の接着には、日本の歯科治療で使用されている接着剤も使われています。
ウルの牡山羊とスタンダード 紀元前2600年頃
次に古代メソポタミアの展示にやってきました。古代都市国家ウルの王家の墓から発掘された大量の副葬品です。
これも大英博物館の目玉です。紀元前27世紀の古代国家ウルは、現在のイラク南部に存在した都市国家です。1920年代以降、大英博物館とペンシルバニア大学の合同調査が行われ、20世紀の考古学界を揺るがす大発見がなされました。
この牡山羊には、金箔が施され、青い背中の部分は「ラピスラズリ」というアフガニスタン産の高価な鉱物で装飾されてます。ラピスラズリは「フェルメール・ブルー」で使われたものですね。
その横には「ウルのスタンダード」と呼ばれる横幅50センチほどの木の箱。
4000年も前の人々の生活がわかりますね。裏側は戦争の図です。戦車や捕虜が描かれています。人間は何千年たっても変わらないんですね。
ウルのゲーム盤 紀元前2600年頃
世界最古のボードゲームです。
横にあるのは、ルールが刻まれたバビロニアの粘土板。これの発掘によって、やり方がわかったのです。
ペルセポリスの宮殿のレリーフ 紀元前6〜5世紀
さて次は古代ペルシャの展示室へ。
壁を飾るレリーフは、ダレイオス1世が大宮殿を造営したアケメネス朝の大都市・ペルセポリスの宮殿のレリーフです。
人々が階段を登ってる様子。ペルシャ王に貢物を持ってくる周辺諸国の使者らしいですね。
オクサスの遺宝 紀元前5〜4世紀
黄金の腕輪です。
アケメネス朝ペルシャは、アッシリア亡き後の古代オリエントの巨大帝国です。現在のイランを中心に、西はエジプト、東はパキスタンまでの広大な版図を誇りました。
黄金の馬車も細かいねえ。馬に比べて、馬車は巨大です。
「ハドリアヌス帝の像の頭部」 2世紀
次にローマ帝国時代のイギリスのお宝です。
これはテムズ河の泥流地帯で発見されたものです。
サットン・フーの舟塚 7世紀
葬られていたのは5世紀から9世紀にかけて、イースト・アングリア王国を栄えさせたレッド・ウォールであると推定されます。
これが最高傑作です。 1939年にサフォーク州サットンから見つけられました。
7世紀のイギリスに高度の文明が存在していたことがわかりました。イギリスの「ツタンカーメン」と呼ばれます。
ルイスのチェス駒 12世紀
このチェスの駒もイギリスでは有名です。
Year-Going Table Clock
ここは古今東西の「時計の展示室」です。 これはイギリスの有名な時計職人トーマス・トンピヨンが17世紀に作った置き時計です。
Rolling Ball Clock
これは19世紀初頭にフランスで作られた時計です。Rolling Ball Clockといいます。
板の上のボール(パチンコ玉)の動きにより、歯車が動くのですね。
ガレオン船型自動時計 1585年
これも時計か!
ドイツの名匠ハンス・シュロトハイムが作り上げた時計です。大航海時代を象徴するガレオン船をかたどったものです。船上の人が手を振り、大砲が火花を吹いたとか。
文字盤の後ろにいるのは神聖ローマ皇帝ルドルフ2世です。
多羅菩薩立像 9世紀頃
9世紀ごろのスリランカで作られた金色の仏像。中性的な日本の仏像とは違って、ずいぶん女性的です。
ツリー・オブ・ライフ 2004年
地下ロワーフロアにアフリカの展示室があります。
このオブジェは、ロシア製自動小銃AK47です。バラバラに銃を切断し、木の形に組み上げられたんですね。
モザンビーク内戦で使用され、戦後は放置されていたものを、現地のアーチスト達が作り変えたものなのです。
ベニン・プラーク 16世紀
16世紀にナイジェリアで作られました。
ベニン王国の宮殿を飾るものでしたが、19世紀末にイギリスがベニンに侵攻し、持ち帰ったものです。
イフェの頭像 15世紀中頃
15世紀中ごろにナイジェリアで製作された真鍮の鋳造品である。作品の経緯はほとんど何もわかってないようだが、この写実性はすごい。
さすがの充実の内容でした。
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