三嶋大社
三島に宿泊し、三嶋大社を早朝参拝しました。
源頼朝、北条政子の腰掛け石です。
熱海
熱海にちょっと寄って、海岸を散策しました。
尾崎紅葉「金色夜叉」の貫一・お宮の名場面で知られます。
今ならDV扱いかな。
伊豆半島を南下していきます。
伊豆急下田駅
目的地・下田にやってきました!
ペリーの黒船サスケハナ号に会えました。下田は黒船の町。日米和親条約で開港された町です。
宝福寺
宝福寺は日米交渉、日露交渉の打ち合わせ場所としても使われたそうです。
坂本龍馬?飛翔の地とはなんでしょうか?
これが龍馬か。坂本龍馬は志を抱いて土佐藩を脱藩し、藩から追われる身になりました。その後、幕臣の勝海舟に師事します。
勝海舟は龍馬のことを思って、土佐藩父・山内容堂と宝福寺で交渉し、龍馬の脱藩の罪を許してもらいました。だから「龍馬・飛翔の地」なんですね。
ここ宝福寺には「唐人お吉記念館」があるらしい。
唐人お吉の墓
下田の地にはアメリカ領事館が置かれ、初代領事タウンゼント・ハリスが着任しました。お吉はハリスのためのお世話係としてつかわされた女性でした。
お吉はハリスの愛人になったと見なされ、町中の差別を受けました。苦悩したお吉は入水自殺をしてしまいます。
唐人お吉記念館
かなりの美人ですね。
この着物は、実際にお吉が着たものらしい。
山内容堂・勝海舟 謁見の間
龍馬の脱藩赦免がおこなわれた部屋が現存してるらしい。
山内容堂は自らの扇子に「龍馬赦免」を許す絵を描きます。
それがこの扇子。この新しさは復元品かな?
吉田松陰・拘禁の地
幕末長州藩の志士・吉田松陰は、ここ下田でペリー艦隊に密航しようとしました。
しかしペリーに拒絶され、諦めた松陰は幕府に自首しました。当時、海外渡航は大罪とされたのです。
了仙寺
この了仙寺で1854年に日米和親条約(下田追加条項)が交渉され、締結されました。
ペリー艦隊の調練もおこなわれたみたい。
これは唐人お吉が使用した駕籠らしいです。
了仙寺には「開国ミュージアム」がありました。
確か写真撮影は禁止だったような?写せるところだけ写しているはず。
長楽寺
ここ長楽寺では、日露和親条約の交渉がなされたそうです。日本代表は川路聖謨ら。ロシア代表はプチャーチン。
宝物館がありましたが見学はできませんでした。
ペリー艦隊来航記念碑
1854年、7隻のアメリカ艦隊が下田にやってきました。
下田開国博物館
開国博物館に行ってみました。
プチャーチンと川路聖謨は国境を越えた友情で結ばれました。二人の子孫の間では、今も交流が続いているといいます。
B級っぽい外観でしたが、なかなか楽しめました。
黒船クルーズ
黒船サスケハナ号に乗船して、下田港内をクルーズしてみます。
予想通りガラガラ。
出港します。
坂本龍馬・志の像です。下田といい函館といい、直接関係もない地にも像が立つ龍馬人気はすごいですね。
弁天島に来てみました。ここから吉田松陰らは船を漕ぎ出し、ペリー艦隊に接触しようとしたのです。
弁天島の斜交層理という地形です。
玉泉寺
初代アメリカ領事が着任し、アメリカ領事館となった玉泉寺にやってきました。
この奥にはロシア艦隊将兵のお墓があります。ロシアのプチャーチン艦隊は下田寄港時に、安政の大地震にあいました。巨大津波に襲われ、ロシア艦ディアナ号は大破。
ディアナ号の乗船員で亡くなられた方のお墓があります。
玉泉寺にはハリスの資料が盛り沢山でした。写真撮影は不可。
ペリー艦隊乗船員のお墓もあります。ペリー艦隊は浦賀を出た後も、アメリカに帰国せず、ずっとアジアに止まっていました。
長旅の負担で命を落とした方々をここで弔っています。日本最初の外人墓地と考えられます。
近くに吉田松陰像がありました。
吉田松陰・踏海企ての跡
密航ですら150年も経てば観光名所となる。
吉田松陰と弟子・金子重輔の像です。
コメント