猪苗代巡り【野口英世記念館】

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JR猪苗代駅

磐越西線に乗って、JR猪苗代駅にやって来ました。

目的地は猪苗代の野口英世記念館です。1000円札で有名な細菌学者の野口英世は、猪苗代生まれなんですよ。

駅からして野口英世一色です。

野口英世って身長153センチ、小柄だったんですね。昔の人はこんなもんか。

駅前の野口親子・師の小林栄先生の三体像レリーフです。

さて野口英世記念館へは、猪苗代駅からバスが出ています。が、やはり本数も少ないので、駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りることにしました。20~30分で行けたかな。

猪苗代湖畔にサイクリングロードが走っています。

猪苗代湖は東北最大の湖です。

湖と反対側には、もう一つの会津の象徴・磐梯山が見えます。

野口英世記念館

入館するといきなり白衣が! 自由にコスプレ出来るみたいです!

野口英世生家

野口英世は1876年、猪苗代湖畔に生まれました。幼名を清作(せいさく)と言います。

清作はまだものごころもつかない頃に、囲炉裏に左手を突っ込んで、大火傷を負いました。

清作の指はくっ付いて開くことが出来なくなってしまい、心ない級友から「てんぼう」というあだ名をつけられ、バカにされます。

清作は猪苗代高等小学校時代に、先生や仲間の援助で、左手の手術を受けることになりました。

会陽医院の渡部鼎先生に手術を受け、見事左手は開くようになり、このことがきっかけで、清作は医学の道を志すようになります。

清作の決意が刻まれた床柱。

さて館内の展示を見ていきましょう!

猛勉強の末、上京して医師の資格を取得した清作は、名前を英世に改名しました。

謎のステンドグラスw

1900年アメリカのフレキスナー博士を頼って単身渡米します。蛇毒の研究が評価され、ロックフェラー医学研究所に迎えられました。

梅毒スピロヘータの研究ではノーベル賞候補になり、世界的評価を得ました。英世は生涯3回もノーベル賞候補になっています。

英世の母・シカの有名な手紙です。

英世は渡米後、12年もの間一度も帰国することはありませんでした。孤独に耐えかねた母は、意を決して、書き慣れない字で手紙を書きます。「はやくきてくだされ、はやくきてくだされ」と。それを見て感極まった英世は、3年後の1915年に生涯最後の帰国をすることになります。

1928年、英世はアフリカのアクラで黄熱病の研究中、自らも黄熱病に罹患し殉職しました。

アフリカに持参した英世の医療器具です。

英世の訃報は全世界に伝わり、多くの人々が悲しみました。英世は勲二等に叙せられ、旭日重光章が贈られました。

英世はアメリカ人の奥様をもらったんですね。メリーさんという女性。

英世は趣味が多彩であったようです。絵もなかなかのもの。

アメコミ風の野口博士の1日。

これは凄い!野口英世ロボットがいました。ボタンを押すと喋り出します。

野口英世記念館、予想以上に充実してましたよ!まさかロボットまでいるとは!

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