京都御所参観

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三条大橋

京都市内を観光していきます。ホテルのそばに三条大橋がありました。

京阪三条駅前です。

この駅前には、江戸時代の勤皇の士「高山彦九郎の皇居遥拝の像」があります。

彦九郎は「寛政の三奇人」と呼ばれた傑出した人物で、朝廷の復権のために全国を行脚。吉田松陰の100年前の尊王運動の先駆者でした。

彦九郎がもともと「松陰」号を名乗っており、彦九郎に憧れた吉田寅次郎がその名をもらったという経緯でした。

京都御所

「京都御所」を参観します。宿のある河原町三条からは、市営バスで「烏丸一条」までやってきました。

まずは「中立売御門(なかたちうりごもん)」から入場します。

この塀の中が「京都御所」です。塀の外も含む領域は「京都御苑」と呼ばれます。

御所の出入り口の「清所門」でセキュリティチェックを受け、9時30分からの無料ガイドツアーに参加します。

この中からが旧皇居である「京都御所」の敷地になります。

以前は宮内庁に申し込みが必要だった御所参観ですが、今は予約なしで参加出来るようになりました。

ここがガイド参加者の休憩所です。

いよいよスタート。まあ以前も参加したことはあるんですけどね。その時は予約が必要だった。

794年の平安遷都の時の御所は、今より少し離れた場所だったそうです。現在地になったのは、南北朝時代に足利尊氏が擁立した「北朝」の時かららしいですね。

「宜秋門(ぎしゅうもん)」です。ここは親王や公家が使う門で、檜皮葺き屋根です。

「御車寄(みくるまよせ)」です。ここは、高位の貴族の玄関です。車といっても昔はもちろん自動車などなく、牛車でした。「諸大夫の間」や「清涼殿」、「小御所」とは回廊で繋がっています。

「諸大夫(しょだいぶ)の間」です。

公家や将軍家の使者の控え室で、身分によって部屋が決まっていました。

奥から「虎 の間」。襖絵で分かりますね。ここを使えるのは一番偉く、官位で言うと三位以上の上級貴族です。

次は「鶴 の間」で官位で言うと四位。

一番手前の「桜 の間」で五位 ですね。

「新御車寄(しんみくるまよせ)」は、大正天皇用につくられた玄関です。

大正天皇はずっと東京在住ですから、京都に来る時のための玄関が必要なんですね。

だいたい100年前の設計ですから、牛車から馬車用になっています。ガラスも使用されていますね。

この朱塗りの門の「承明門(じょめいもん)」は天皇専用の出入り口です。

紫宸殿(ししんでん)

「紫宸殿(ししんでん)」が見えます。ここは即位式などが行われる、御所で最も格式の高い正殿です。

1855年の安政年間の造営ですが、伝統的な平安時代の建築様式でつくられています。

ここでかの有名な「五箇条の御誓文」が出されました。ちなみに昭和天皇までの即位礼は、ここで行われました。

建物前にも「南庭(だんてい)」という巨大な白砂の庭がありますが、即位礼の時に諸侯や外国使節が居ならぶ空間になります。

紫宸殿の前に「左近の桜 」「右近の橘」があります。左近、右近は天皇の視点から見ての呼び名です。

橘は保護用の囲いがされていますね。

本来なら「紫宸殿」には、天皇の御座である「高御座(たかみくら)」が置かれています。

これは数年前に参観した時の画像です。ちょっと見えるのが「高御座(たかみくら)」だと思います。

ところがこの撮影時(2019年4月)は、1か月後の新帝即位のために既に東京へ移動してしまって、見ることが出来ませんでした!代がわりを実感しましたね!

紫宸殿⇨承明門から、さらに外へとつながる「建礼門」も天皇専用です。

清涼殿

「清涼殿」が見えてきました!

ここは紫宸殿に次ぐ格式の御殿です。平安時代以降は、天皇の住居とともに、重要な儀式などに使用されました。改元もここで決めていたそうです。

紫式部や清少納言など王朝文学の舞台になったのも、ここ「清涼殿」です。現在の清涼殿は、幕末の安政年間の再建ですが、平安時代の様式で建てられています。

板敷で畳は敷かれません。唯一の畳は天皇限定の御座ですね。

「小御所(こごしょ)」です。鎌倉時代以降、造られるようになった御殿です。主に将軍家や大名などの武家との対面に使用されていました。

こちらの御殿は鎌倉様式で、天井から上げ下げ出来る様式になってますね。

「小御所」は、大政奉還の後に徳川慶喜の処遇を巡って、親徳川派(土佐山内ら)と、岩倉&薩長ら反徳川派の激論の舞台となりました。これが有名な「小御所会議」ですね。

徳川を守ろうと頑張る山内土佐(容堂)に対して、西郷隆盛は「短刀一本あれば片付く」とうそぶきます。(容堂暗殺を示唆します)それを小耳に挟んだ容堂は震え上がって、徳川処分が決したとの伝説があります。

「小御所」前に、美しい「御池庭(おいけにわ)」が見られます。

「小御所」の横にあるのは「蹴鞠の庭」です。

ここで蹴鞠をしていたみたいですね。

蹴鞠には勝敗はなく、ただ相手に蹴りやすく蹴るなどの「作法」が多かったそうです。貴族の遊びらしいですね。

「小御所」と繋がっているのが、「御学問所(おがくもんじょ)」です。

名前通り文芸の場で、和歌の歌会などに使われました。

また1867年、明治天皇はここで「王政復古の大号令」を行い、徳川討伐の流れが作られて行きます。室町様式で造られているそうです。

ここまでが天皇の公的な場ですね。ここから先は私的空間になります。

「御常御殿(おつねごてん)」です。

「清涼殿」はずっと平安様式でしたので、だんだん居住空間として不便になって来ました。

そこで秀吉の時代に「清涼殿」から、天皇の居住空間を「御常御殿」に移したのです。暮らしやすくするため、全て畳敷きになっています。

「御常御殿」前の「御内庭」は、「御池庭」と比べてややこじんまりした池です。

ここは「御三間(おみま)」といって、皇族の七五三などの儀式を行った御殿です。

桜が綺麗です!ここは元お台所の跡地です。

以上でガイドツアーは終わり。大体1時間ぐらいで、1キロぐらいの行程でした。

京都御苑

さて京都御所を出ます。塀の外は、「京都御苑」となります。

京都御苑の「旧近衛邸」跡近辺が桜の名所です。

お花見客もいっぱいでした。

先日天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)も、ここにお花見にいらっしゃったとか。

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