江田島巡り【旧海軍兵学校】

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呉・中央桟橋

呉市内から江田島に向かいます。

巨大なオブジェ発見しました。戦艦大和の主錨のオブジェです。

どこに行っても錨がありますね。

さて呉駅の向こう、大和ミュージアム方面に向かいます。

大和ミュージアムそばに中央桟橋があります。今日はここからまず江田島に向かっていきます。

フェリーの切符売り場です。

今日の目的は「海上自衛隊第一術科学校」の見学です。これは無料で見学できることもあって、かなりの人気なのです。江田島行きのフェリーが来ましたので、乗船していきます。

これから江田島の小用港を目指していきます。だいたい20分くらいでつけます。

巨大な船が見える。護衛艦ですね。

さあ、江田島の小用港に接岸です。

ここから路線バスで、5分くらいで術科学校前バス停に到着しました。

海上自衛隊第一術科学校

これが「海上自衛隊第一術科学校」の正門です。

ここで記名して受付をします。

見学者バッジをつけます。

れんがの建物が「江田島ホール」と言って、ここの1階が見学者待合室になります。

土産物屋さんも結構ありました。

呉にもあった宮地さんのお店はここにもあったか。帽子買っちゃいましたよ!

さあガイドの方に従って、90分の見学に出ていきます。

そもそも第一術科学校とは、日本に四つある術科学校の一つで、砲術を専門とする学校のようです。またこの敷地には、旧海軍の士官学校である「海軍兵学校」として使用した施設が現存し、今も「幹部候補生学校」として継続して使用しているんですね。

大講堂

1917年竣工の大講堂です。

旧海軍兵学校は築地から江田島に移転後も、20年以上も全生徒が集まれる場所がありませんでした。

そこで老朽艦を払下げた資金を使って、大講堂が造られたのです。それまでは艦上で行っていた入学式や卒業式がここで行われるようになりました。

現在は、幹部候補生学校の入校式・卒業式、第一術科学校の始業式・終業式の場として使われてます。

国会議事堂にも使用された、広島産の花崗岩が使用されています。

この門は、いわば貴賓門というか、天皇陛下はじめ皇族の方の来賓にだけ、使用されるようです。

大講堂内部に入れていただきました。

左右にお偉いさん達が座るようです。

二階が保護者席です。我が子の一世一代の席に参列したいですよね。

NHKドラマ「坂の上の雲」の撮影もされてましたね。

旧海軍兵学校生徒館

このレンガ造りの建物は「旧海軍兵学校生徒館」です。

現在も「幹部候補生学校庁舎」として使用されています。通称はそのまんま「赤レンガ」。

もともと「海軍兵学校」とは、帝国海軍の士官養成を目的に1869年に「海軍操練所」として創設されました。鎖国時代のオランダ式から、当時の世界帝国イギリスと範を変え、1876年には「海軍兵学校」に改称しました。

確かに海軍って、どこかスマートなダンディズムがありますよね。海軍兵学校は現在は、「海上自衛隊幹部候補生学校」として受け継がれています。

中庭です。

NHKドラマ「坂の上の雲」の撮影もされてましたね。候補生諸君も次々と通ります。さすが未来の海自のリーダーだけあって、みんなキビキビしてますよ。

教育参考館

ここには過去の帝国海軍の豪傑たちの遺品や書簡など、様々な展示があります。東郷平八郎、山本権兵衛、秋山真之、広瀬武夫、山本五十六、山口多聞などの、書簡や愛用品などがあって、さすが海軍。敗戦時に接収を避けるために隠してたらしいですが、靖国の遊就館よりも海軍ファンにとってはたまらないと思います。藤田嗣治の戦争画も2点ほどありましたよ。

ここだけは撮影禁止でした。でもここが一番興味深くて、展示も充実していました!30分くらいしか見学時間が無くて残念でした。もっとじっくり見たかった。

参考館の外には、候補生諸君達が集合していました。日本の未来のために頑張れ!

参考館の外では特殊潜航艇「甲標的」が展示されてました。

真珠湾攻撃の九軍神と言われた潜航艇の一つです。真珠湾で引き揚げられた実物のようです。獅子文六の小説「海軍」で描かれた世界が、まだ生きているんですね。

また日清戦争の三景艦の砲弾や、

戦艦大和の砲弾なども展示されていました。

なんと海辺にある大砲は、爆沈した戦艦陸奥の主砲だそうです。

見学ツアーも曜日によっては、陸奥のそばに行ける日もあるみたいですよ。とにかく大満足の海軍見学でした。

また小用港から呉へフェリーで戻ります。瀬戸内海がキラキラして綺麗でした〜。

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