ハルビン巡り【伊藤博文遭難の駅】

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長春西駅

満洲(チャイナの東北部)を中心に歴史巡りをしていきます。

ここから黒龍江省のハルビンへと北上していきます。

振り返ると無意味げなビル街。さらば、長春。

鉄道に乗車する前にセキュリティチェックはあるんですが、ちょっとでも隙間があれば、どんどん割り込んでくる。

これがチャイナ版新幹線です。

さあ、出発です。車窓から見た風景。ほぼ何もない。

ザ・大陸という感じだな。

以前、旧満鉄線に乗って大連からハルビンまで旅行したんですが、瀋陽から上がっていきますと、長春の手前の四平街までくるとガラリと景色が変わって、いわばシベリアの光景になる。五月でも木々は芽生えず、遮るものなき大平原です。それを見たとき、「日本人はこんなところまで進出すべきじゃなかった」と肌で実感しました。(中西輝政「あの戦争になぜ負けたのか」)

ハルビンは19世紀末までは小さな漁村に過ぎませんでしたが、1898年からロシアが権益を得て、ロシア革命がひと段落した1920年代から大発展を遂げます。西洋風の建築や教会が並ぶ美しい街並みとなりました。

この街に日本が進出したのは、1932年の満洲国建国からです。それ以前は長春から南は日本、ハルビンから北はロシア、という縄張りがありました。

ハルビン西駅

「東洋のモスクワ」「東洋の小パリ」とも言われるハルビンに到着。黒龍江省の省都です。

新駅前はもともと農地だったそうですが、共産党に問答無用で収容されたそうです。

そしてまたしても無意味感溢れるビル街w

昼ごはんに春餅というハルビン料理を食べました。ハルビンビールも名物らしい。

黒龍江省だけに黒い竜がいますねえ。

ケンタッキーってこう書くんですか。

ここはユダヤ人の教会らしいですね。よく見るとダビデの星のマークがある。

車のおもちゃのデカさに驚く!

極楽寺

1924年に建立された天台宗の寺院です。東北四大寺院のひとつらしい。

まずは西院から参拝していきます。

仏像は妙にキラキラ新しいですね。

大雄宝殿です。

極彩色で鮮やかでした。寺院でもちょっと異国情緒がありますよね。

ここが一番の奥の院かな。

仏様のレリーフがすごい。

五百羅漢像は見事です。

東院にきました。ここで大仏さまを発見しました。

いっぱい仏塔が立ち並びます。

大塔がそびえます。高さ37メートルの七級浮屠塔です。

1924年の建立です。

日本とはまた違った味がある寺院・極楽寺でした。

聖ソフィア大聖堂

日本の次はロシア風です。満洲事変以前は、ハルビンはロシアの縄張りでした。東洋と西洋の入り混じったところが、国際都市ハルビンならでは。

ネギ坊主のドームはまさしくロシア正教の教会ですね。

1907年に建設されたビザンチン様式の教会です。

高さは53メートルあります。

まさしく「東洋のモスクワ」の名にふさわしい。

噴水ショー。 ここはソフィア広場といって市民の憩いの場のようです。

スターリン公園

黒龍江の支流である松花江の川沿いに広がる公園です。

遠くにビル街。

まあ公園というより、リバーサイドの散策路という感じかな。

社会主義チックな像も多数あり。

ちなみにスターリンの銅像とかなかったですね。

これはなんじゃろ?

遊覧船の乗り場兼カフェとか?

この漢字でスターリンと呼ぶみたい。

防洪紀年塔です。1957年の松花江大水害を、記憶に留めるために立てられたとか。

2万5千世帯もが被災したそうです。

中央大街

ここからハルビンのメインストリート中央大街へとつながります。

ロシアが開発を始めた当初は「キタイスカヤ(中国人街)」と呼ばれていたとか。現在は有数のショッピング街となってます。

帝政ロシアがこの地域を鉄道附属地域としてから、急速に発展。欧米や日本の銀行や店舗が立ち並ぶモダンな通りとなりました。

今や美しい歴史的景観地区として、観光名所にもなってます。マクドナルドってこう書くの?

謎の羽根つきをやってるじいさんと娘?

旧連誼飯店です。

今、ハルビンは地下鉄の工事中らしい。

コの字型の旧万国洋行です。

出店もたくさんで賑やかです。

旧松浦洋行です。

たぶん旧松林洋行道里支店。

旧協和銀行です。

旧ユダヤ国民銀行です。

歩道をバイクで走るから危ねえ!

晩ご飯はロシア料理屋さんでした。

お、ボルシチ。

ハルビンで泊まったホテルは外装工事中でした。

歩道に駐車スペースがあるのね。

ハルビン駅

駅舎をリニューアルしたみたいですね。すごく大きな駅です。

ここから南下して瀋陽まで向かいます。

この駅頭で伊藤博文が韓国人テロリストに暗殺されました。1909年のことでした。

この1番ホームで撃たれたそうです。切符がないとホームには行けないので残念。

以前はホームに「ここが暗殺場所!」のプレートやら、駅近辺に「安重根義士記念館」やらがあったそうですが、今は移転したのでしょうか。

それにしても今だに歴史の教科書では、暗殺者を「安重根」と太字で教えていますね。

いったいどこの国の教科書なんでしょう?

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