鳥取から特急スーパーはくとで姫路に移動しました。

砂丘シートか。

JR姫路駅

駅前通りからお城が真っ直ぐに見えるのが姫路のすごいところです。


桜門橋を渡って入場します。

お濠の雰囲気良し。


大手門を越えていきます。

三ノ丸広場から天守が見えますね。



いよいよ大天守へと向かいます。

国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれます。

姫路城 天守
ここからは有料エリアです。

ひたすらウネウネと上って行きます。


姫路城の大天守は、大名の池田輝政によって1609年に建築されたものです。大阪の陣の5年前。後にこの城に入る千姫も、まだ大阪城にいました。


南方土塀。いい感じです。

舗装されているので上りやすい。



にの門の下は激突しそうになる。


白漆喰総塗籠造りだそうで。



ようやく大天守入り口です。広大さのレベルが違う。


さあ入場していきます。



昭和大修理の際につくられた20分の1の構造模型。



大天守を支える東大柱。

あっちはもう一本の西大柱かな。





最高階の6階に到着。長壁神社という神社があります。

大手前通りが見えますね。その先に姫路駅。



多分拝んだと思う。



さあ降りていきます。

筋交というつくり。いちいち重厚です。

1階に戻ってきました。

ここは地階です。

外に出てきました。


鮮やかな白の城壁。


またも見えた大手前通り。

連立式天守が特徴です。



怪談「播州皿屋敷」で知られるお菊の井戸です。

扇の勾配と言われる反り返った石垣。

難攻不落の巨城という感じでした。

姫路城 西の丸

西の丸にもふらっと行ってみます。

池田氏の後、姫路を治めたのは本多忠政。あの本多平八郎忠勝の息子です。その忠政が西の丸をつくりました。

忠政の息子・忠刻はイケメンで知られ、豊臣秀頼の未亡人となった千姫(徳川家康の孫娘)に見初められます。

1616年、忠刻と千姫は婚姻しました。忠刻は千姫の化粧料として10万石を与えられ、西の丸の化粧櫓などがつくられたのです。

これが百間廊下と言われる長い廊下。西の丸を囲むように約300メートルも続きます。


千姫が見ているのは、千姫が朝夕祈りを捧げた千姫天満宮。

山ノ井村天満宮とも言います。これが千姫が見た景色だったんですね。

千姫の化粧櫓は修築中でちゃんと見れませんでした。

これは昔来た時の化粧櫓の写真。忠刻との結婚生活は、薄幸な千姫にとっては最も幸せな時代であったと言われます。ただ千姫は秀頼とも仲睦まじかったと言われるので、みんなとうまくやれる性格だったのかも。

しかし忠刻はわずか31歳で亡くなります。二児も早逝し、千姫は失意のうちに江戸に戻ることになります。

これは天守の庭です。

昭和大修理の際、姫路城は人工地盤化したのですが、その際に不要になった礎石を元通りの位置に配置して庭としたのです。

これは黒田官兵衛普請の石垣と言われます。黒田官兵衛はご存知豊臣秀吉の軍師。秀吉・家康の天下どりの前は、黒田氏が姫路城を治めていました。


流石に見応えありましたね。

これはお土産で買った平成大修理直後の姫路城ポストカードを写したものです。

漆喰が真っ白で、当時は「白すぎ城」と呼ばれたとか笑
↓参考ですが、以下の3枚は平成の大修理以前に来た時の画像です。



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