ヴァチカン市国のすべて

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今日はいよいよヴァチカン市国を観光していきます。72時間パスをゲット。これで地下鉄バスは乗り放題です。

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大分治安が良くなったとはいえ、ローマではスリには気をつけましょう。

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目次

Ottaviano駅

地下鉄最寄り駅のOttaviano駅に到着しました。

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ヴァチカンの外壁が見えてきました。ここから中が世界最小ヴァチカン市国です。

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すごく並んでます!美術館に並ぶ行列です。

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この行列を避けるためにも予約は必須ですね。

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ヴァチカン美術館

ヴァチカン美術館を見学していきます!

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ちなみにここは出口です。

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出口の彫刻の左の人はミケランジェロ、真ん中の交差した鍵はローマ教皇庁の紋章、右の人はラファエロです。

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入り口は↓こちらです。

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すごい混雑ぶり。とにかく団体さんが世界中から押し寄せているのです。

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ヴァチカン美術館(博物館)と言っても、25もの美術館(博物館)があり、その総称です。これが予約の紙と引き換えにもらえるチケット。ヴァチカンの象徴「アテネの学堂」です。

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日本語のオーディオ・ガイドも借りられるようです。

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階段を上がって、右に行くと「ピナコテーカ」。左に行くと「キアラモンティ美術館」や「ピオ・クレメンティーノ美術館」があります。

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全長7Kmの広大さの上に複雑な動線。これを移動していくために、看板表示が役に立ちます。

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絵画館(ピナコテーカ)

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ピナコテーカに入るとすぐにあるのが、「ミケランジェロのピエタ像のレプリカ」です。

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本物はサン・ピエトロ大聖堂にありますけど、ここまで接近できないですから。

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聖母の衣服にミケランジェロのサインが刻まれています。

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ニセピエタのすぐそばにショップもあります。

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ヴァチカン土産も買いました。来日もしたローマ教皇。

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ジョットとその弟子による「ステファネスキの祭壇画」

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1330年代に描かれています。枢機卿カエターニ・ステファネスキの依頼で制作されたものです。

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こちら側には聖人ペテロの磔刑が描かれます。

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こちら側では聖パウロの斬首。

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フィリッポ・リッピ「聖母の戴冠と天使、聖人達、寄進者」 

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メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使、ケルビム、使徒たちの頭部」

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1480年頃の作品です。ローマの聖アポストリ教会が再建される際、後陣の祭壇壁画として描かれていたフレスコ画の断片です。

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使徒や天使たちが描かれます。

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しかし欠落部分が多く、現在のものは全体の10%にも満たないものであるとか。

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この「リュートを奏でる天使」が有名ですね。

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メロッツォ・ダ・フォルリ「バルトロメオ・プラティーナにヴァティカン図書館長を任命するシクストゥス4世」

1477年の作品です。

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ルーカス・クラーナハ「ピエタ」

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ピナコテーカの最大の見所は第8室のラファエロです。

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ラファエロ「キリストの変容」

1508年〜1520年の作品です。ジュリオ・デ・メディチ枢機卿(後のクレメンス七世)の依頼によりつくられました。

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光に包まれ昇天していくキリスト。それを取り囲む預言者エリヤ、モーゼら。下の層ではキリストの奇跡により、悪霊に取り憑かれた若者が救われていきます。

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この作品が完成した年、ラファエロはわずか37歳で早逝。絶筆となりました。

ラファエロ「フォリーニョの聖母」

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1512年の作品です。フォリーニョは、イタリア中部のペルージャにある街です。この右下の赤い服のおっさん(枢機卿)の出身地らしい。

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第9室にダヴィンチの「聖ヒエロニムス」があるはずなんですけど貸し出し中のようでした。


 ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ「フラーリの聖母」

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1520〜1525年頃の作品です。下界の聖人たちを天上から見守る聖母子の図です。

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パオロ・ヴェロネーゼ「聖女ヘレナの幻想」

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1560年頃の作品です。キリスト教を初めて認めたコンスタンティヌス帝の母・聖ヘレナが天使が現れる夢を見る場面です。

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第12室には必見のカラヴァッジョ「キリスト降架」があります。

1602〜1604年の作品です。コロナさえなければ2020年に来日予定でした。

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これがカラヴァッジョの最高傑作とも言われる作品。この絵は元々、ローマのサンタマリア・イン・ヴァリチェッラ教会(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂に飾られていました。

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その後、一旦はナポレオンの接収にあい、ルーヴルに奪われました。ナポレオン失脚後に返還されましたが、なぜかキエーザ・ヌオーヴァでなく、ヴァチカンに返還されてしまい、現在に至ります。

グイド・レーニ「聖ピエトロの逆さ磔」

1604〜1605年の作品です。カラヴァッジョかと思ったら違った!

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グイド・レーニによる、カラヴァッジョ様式の完コピです。あまりに作風が似ているため、血の気の多いカラヴァッジョは激怒し、レーニと危うく決闘になるところだったとか。

グイド・レーニ派画家「運命の女神とキューピッド」

1623年ごろの作品です。

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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「天使」

1650〜60年代の作品です。

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サンタンジェロ橋用の試作品かな?わからんけど。

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ピーニャの中庭

ピーニャの中庭に出てきました。

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ここでグループ参加の人は、システィーナ礼拝堂の絵画の説明を受けます。

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システィーナ礼拝堂内での撮影やガイドは禁止されてるので、事前にここで解説しちゃうんですね。

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ピーニャとはそもそも松ぼっくりの意味らしい。ローマでは豊穣を意味するシンボルのようです。

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もともと紀元前1世紀のブロンズ製で、ローマの旧市街地に置かれ、松ぼっくりの天辺から水が出ていたようです。

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初代ローマ皇帝・アウグストゥスの巨大な頭部です。

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キアラモンティ美術館

ここはキアラモンティ美術館です。古代彫刻の立ち並ぶ姿は、まさに壮麗です。

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19世紀初頭のローマ教皇・ピウス七世が収集した古代彫刻と模刻の約1000体が陳列されています。

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ピウス七世は多くの人が目にしたことがあると思います。ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠」の絵の中で、ナポレオンの背後で渋い顔をしているローマ教皇です。

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「ナポレオンの戴冠」(wikiより)

1797年のトレンティーノ条約により、ローマ教皇が所蔵する傑作の数々がナポレオン支配下のフランスに接収されました。

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しかしナポレオン没落後の1815年、接収された作品のほとんどは取り戻され、新たな美術館に展示されることになりました。それがこのキアラモンティ美術館なのです。

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陳列は彫刻奪還にも奔走したアントニオ・カノーヴァが行いました。現在もその配列は維持されています。

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新回廊(ブラッチョ・ヌオーヴォ)

次は新回廊に入って行きます。

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プリマ・ポルタのアウグストゥス帝

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初代ローマ皇帝・アウグストゥス死後の紀元前14年に、妃のリヴィアがつくらせたものと考えられています。

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19世紀にリヴィアの別荘跡で発見されました。

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この新回廊も、ピウス七世がナポレオンから奪還した彫刻の展示のために創設したものです。

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アスリート

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アテナ・ジュスティニアニ

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傷ついたアマゾンの女戦士像

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ナイル川の彫刻群

1世紀の彫刻です。

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1513年にサンタマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会そばで発掘されました。

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ナイル川を寝そべった老人の姿で擬人化しています。

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赤ちゃんたちはナイルの賜物を意味してるとか。

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ちょっとしたミニ階段を上がります。

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ピオ・クレメンティーノ美術館

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ここはシモネッティ設計の「八角形の中庭(ベルヴェデーレの中庭)」です。この中庭を囲むようにたくさんの彫刻が飾られています。

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16世紀初頭のユリウス二世の時代に、この庭に古代彫刻コレクションが設置されました。

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ちなみに当初は正方形の庭園でした。八角形となったのは、18世紀後半のシモネッティによる改装の時です。八角形は永遠を意味する縁起のよい数字なのです。

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ラオコーン像

これがヴァチカンの至宝・古代彫刻「ラオコーン像」です。

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この作品は紀元前40〜30年頃の作品である、とする見方が優勢。1506年にローマのエスクイリーノの丘で発見され、古代の著述家プリニウスが記すところの「ラオコーン像」であると断定されました。

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この世紀の発見は衝撃をもって迎えられました。ローマ教皇・ユリウス二世によって、この作品はただちに購入され、ベルヴェデーレの中庭に置かれました。この肉体美は、発掘にも立ちあったミケランジェロに大きな影響を与えました。

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発掘された時は何箇所か破損していたようで、想像復元されています。右手も一時は復元されていたらしいですが、今は外されていますね。

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トロイア戦争神話で、トロイアの神官・ラオコーンは敵(ギリシャ)の木馬を町に入れることを警戒していました。果たしてその木馬の中にはギリシャの伏兵が潜伏していたのです。

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ラオコーンの横槍はギリシャの味方をしていたアテネ神とポセイドン神を怒らせ、二匹の怪物ウミヘビがつかわされました。

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ウミヘビどもに苦悶の中、絞め殺されるラオコーン父子の像です。

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ベルヴェデーレのアポロン

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このアポロンもちょっと中性的で美しい。

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元々は右手に矢を、左手に弓を持っていたそうですね。

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アテネのアゴラにあったブロンズ像の、ローマンコピーという説が通説です。

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Venus Felix

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恥じらいのヴィーナス像の傑作です。ガイドブックではこのヴィーナスは他の部屋にあると書いてあったんですが、八角形の中庭にありました。

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ベルヴェデーレのヘルメス

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1540年ごろ、ハドリアヌス霊廟(今のサンタンジェロ城庭園付近)で発掘されました。ハドリアヌス帝ということで、当初は皇帝の男娼アンティノウス像と思われていたそうです。

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ここはミューズの間です。

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トンマーズ・コンカ作の天井画です。

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ミューズの間のあるじは「ベルヴェデーレのトルソ」です。紀元前1世紀の作品です。

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この像はローマのナヴォーナ広場の南に位置する「カンポ・ディ・フィオーリ広場」で発見されたものだそうです。

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時はルネッサンス盛期。ローマ教皇ユリウス二世の時代。

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このよじれた肉体描写もミケランジェロに影響を与えています。システイーナ礼拝堂のフレスコ画を描くときに参考にしたそうです。

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ミケランジェロはユリウス二世に欠けた部分を修復するよう依頼されましたが、「このままが美しい」と断ったそうです。

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ここは円形の間です。シモネッティにより1780年に設計されました。

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中央には大きな水盤があります。4メートルを越える一枚岩で造られた水盤です。

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天井はまさにパンテオン風ですね。

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地面はギリシャ風モザイクです。

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ブラスキのアンティノウス

ハドリアヌス帝の愛人(男)で知られるアンティノウスの像です。頭部に松ぼっくり型の冠をしています。

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↓これもアンティノウスっぽいですね。

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ブロンズのヘラクレスの像

紀元前3世紀のものと言われます。古代劇場跡の地下から発掘されたそうな。

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棍棒と手に持ったライオンの皮で、ヘラクレスと判別できますね。この部屋の唯一のブロンズ像です。

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次にギリシャ十字の間を見ていきます。

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3世紀のアテナ神のモザイク画が見事。

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「トゥスクルム」の遺跡で発見されたものだそうです。

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この部屋では4世紀に造られた2つの石棺が目立ちます。これらは、ローマ帝国で初めてキリスト教を認めたコンスタンティヌス帝の家族の石棺です。下の写真は「聖ヘレナの石棺」で、皇帝の母のためのもの。皇帝の母・ヘレナは熱心なクリスチャンでした。石棺には騎士と蛮族の戦いが刻まれています。

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触んじゃねえ笑 ポルフィド大理石という硬い素材で造られ、貴人向けに使われることが古来多いものだとか。

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これでピオ・クレメンティーノ美術館の鑑賞は終わりです。次に2階に上がっていきます。

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ここから2階のルートはシスティーナ礼拝堂にたどり着くために、必ず通るルートなので渋滞が必至のルートとなります。

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燭台のギャラリー

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ここからは部屋というより廊下ですね。両サイドをギリシャ彫刻のローマンコピーが飾ります。

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たくさんの乳房を持つ豊穣の神ディアナの像です。

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19世紀に描かれた天井画も見事です。

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元々は天井も壁もない柱廊だったそうです。

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タペストリーのギャラリー

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両側を19枚のタペストリーが飾ります。それにしても人がすごい。システィーナへの通路だからしょうがないんですけど。

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とても落ち着いてじっくり見れるような感じじゃないですね。

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金曜に夜間開館もするらしいので、次来る時はそれを狙ってみようかな。旅行は一度目は下見みたいなものですよね。

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フランドルの見事な技術で、キリストの生涯が綴られます。

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タペストリーは冬場は防寒機能も果たしました。

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タペストリーの間を過ぎると、地図のギャラリーです。

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地図のギャラリー

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天井装飾が見事ですね。誰も圧倒される一番の見どころかも。16世紀に教皇グレゴリウス13世の命でつくられました。

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40点ものフレスコ画の地図が長さ120メートルの回廊の両側に展示されます。

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回廊の左右には、16世紀につくられたイタリアの地図が展示されています。

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地図の位置も、北から南へと現実世界に合わせて設置されてます。

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これがローマの地図です。

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ローマの天井画です。各地に起こった奇跡を天井画にしています。

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イタリア半島全土です。

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ここが出口の装飾です。
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「地図の間」から「ピウス五世の居室」、「ソビエスキ王の間」を抜けると、「無原罪のお宿りの間」にたどり着きます。

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無原罪のお宿りの間

1858年、教皇ピオ九世によってつくられました。19世紀のイタリア画家フランチェスコ・ポデスティに描かせたフレスコ画です。

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天井画も見事なり。

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あっさり通過して、いよいよラファエロの間です。

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ラファエロの間

第2室「ヘリオドロスの間」に来てみました。ここは教皇の居室として使われたそうです。1512年から1514年のラファエロ生存期間中に制作されました。

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宮殿から追放されるヘリオドロス」一番右で倒れてる男がエルサレム神殿に忍び込んだ曲者のヘリオドロスで、神が遣わした騎士たちに成敗されそうになる場面です。

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一番左の赤い服を着た爺さん。よく見ると教皇ユリウス二世ですね。

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大教皇レオとアッティラの会談」フン族の王・アッティラのローマ侵攻を、教皇レオ一世が食い止める場面です。馬上のレオ一世のモデルは、ユリウス二世の後を引き継いでこの作品を完成させたレオ十世(メディチ家の教皇)です。

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ボルセンナの奇跡」ボヘミア司教が「聖体変化」を目の当たりにして驚く場面が描かれます。「聖体変化」とは、ミサの時にパンとぶどう酒がイエス・キリストの体(聖体・聖体血)に変化する奇跡のことです。

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聖ペテロの解放」ヘロド王によって囚われた聖ペテロが右端の神の使徒によって救われる場面です。

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ペテロは神々しい光を放っていますね。

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第3室「署名の間」は、ラファエロの間の中で最初に完成し、そして最も有名な部屋です。ユリウス二世が図書館兼書斎として使用していた部屋です。20代のラファエロは1509年から1511年にかけて、この部屋の多くを一人で手掛けました。

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ラファエロ「聖体の論議」

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中央が神の子・イエス。その上に神。両側を聖母マリアと洗礼者ヨハネが囲みます。イエスの下には聖霊としてハトと四つの福音書が描かれています。絵画の下部は下界の様子。聖職者たちが聖体について議論を戦わせています。

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ラファエロ「アテネの学堂」

背景の建物は当時、建築中のサン・ピエトロ大聖堂であるという説が有力です。

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ラファエロの最高傑作と言われます。ラファエロの作品中で最も有名な作品です。

中央にいる二人は、プラトン(左)とアリストテレス(右)です。プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチがモデル。

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肘をついて憂鬱な哲学者ヘラクレイトス。ミケランジェロがモデルです。

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端っこで、黒いベレー帽でカメラ目線の人がラファエロ自身です。

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古代ギリシャ・ローマ時代の偉大な哲学者や科学者たちが、一堂に会する場面を描いた作品です。

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天井画はラファエロの弟子たちが手がけたもの。

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ラファエロ「パルナッソス」

9人の女神に囲まれたアポロンが楽器を奏でています。愛がテーマの作品らしい。

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ラファエロ「枢要徳と対神徳」

人間の徳を擬人化して表しています。

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第4室「ボルゴ火災の間」です。メディチ家出身のレオ十世の時代につくられました。ここは夕食をとる部屋だったとか。この部屋の作品は多忙なラファエロは下絵だけで、弟子たち(ジュリオ・ロマーノら)が中心に描いています。

下の絵は部屋の名前の由来となった「ボルゴの火災」です。847年のレオ四世の時代にバチカン周辺で起こった火災の場面が描かれています。

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カール大帝(シャルルマーニュ)の戴冠」紀元後800年にサン・ピエトロ大聖堂で行われたカール大帝の戴冠式。カール大帝の顔はフランソワ一世、レオ三世の顔はレオ十世の顔で描かれています。

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天井画はラファエロの師匠・ペルジーノが描いたものです。

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ラファエロの間の見学の後は、階段を降りるとボルジア家の間にたどり着きます。

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ボルジア家の間

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ここはラファエロの間の下にあります。

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ルネッサンス期の堕落した教皇の中でも、とりわけ悪評が高いアレクサンデル六世によって造られました。

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アレクサンデル六世はスペイン出身。強欲さと好色さで知られました。

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縁故優遇も目立つ人物でした。彼の息子が有名なチェーザレ・ボルジアです。

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チェーザレはアレクサンデルの庇護のもと十代で枢機卿となり、還俗後は軍人として北イタリアを征しました。

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チェーザレは織田信長にも似た冷徹な統治者でした。マキャベリは名著「君主論」で、チェーザレを理想の君主像としてたたえました。

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豪奢な装飾はピントゥリッキオの手によるものです。

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システィーナ礼拝堂

ヴァチカン美術館を見学して、最後に最大の山場を迎えます。

f:id:mejirorock:20211213121947j:plainそれはもちろんシスティーナ礼拝堂。

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ミケランジェロらの名画に囲まれた永遠の聖地です。1477年から1480年にかけて教皇シクストゥス四世の命令で建てられました。システィーナの名も教皇の名に因んでいます。

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システィーナ礼拝堂はローマ教皇を選出する選挙(コンクラーヴェ)が行われる場所としても知られています。コンクラーヴェの時は世界中から枢機卿がここに集まり、礼拝堂には鍵がかけられます。

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残念ながら内部は撮影禁止なので、目に焼き付けておきます。システィーナ礼拝堂は1980年から20年かけて日本テレビの資金提供による大修復を行っており、日テレが色々権利を持ってるそうなんです。その関係で撮影はダメらしい。日本人が絡むと何でも撮影禁止になるんですね。知らないで撮影してると、「NoPhoto!」とか注意されるみたい。20メートルの天井画があるので、双眼鏡がある人は持っていくと細かなところも見れるかも。礼拝堂内部や絵画の写真はwikipediaからの引用画像です。

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wikiからの引用

ミケランジェロの「天井画」

ミケランジェロが描いた天井画から見ていきます。ローマ教皇ユリウス二世の注文で、1508年から1512年にかけて描かれました。旧約聖書をテーマにしています。

ミケランジェロ「光と闇の分離」

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この世の始まりです。「天地創造」の1日目に描かれた光と闇の分離を描いています。神は光を昼とし、闇を夜としました。

ミケランジェロ「大地と水の分離」

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「天地創造」の2日目。神は大空をつくって、空の上と下にある水を区別しました。

ミケランジェロ「太陽、月、植物の創造」

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「天地創造」の4日目に描かれた太陽と月の創造を描いています。右側の神は、右手で太陽を、左手で月を創造しています。左側は神が飛び去るところ。1枚の絵で時間の経過を表しているのです。

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ミケランジェロ「アダムの創造」

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天地創造の6日目に神が最初の人間・アダムに命を与えたところ。指と指のタッチは、映画「ET」にも引用された場面で、この天井画の中でも最も有名な場面です。

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ミケランジェロ「イヴの創造」

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アダムはエデンの園で何不自由ない生活を送っていましたが、楽園の動物たちはすべてつがいなのに、自分だけは「ぼっち」であったことが不満でした。神はアダムの願いを聞き入れ、アダムを眠らせた隙にあばら骨を1本取り出し、その骨で女性をつくったのです。その女性の名をイブ(エヴァ)といいます。

ミケランジェロ「原罪と楽園追放」

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左側はアダムとイブが、上半身が女の蛇(実はサタンの化身)にそそのかされ「禁断の知恵の実」を受け取ろうとするところ。右側は、神の言いつけをやぶったことにより「原罪」を背負った二人が楽園を追放されているところです。天使によって剣で追い立てられている二人の表情はけわしい。恥じらいを感じ、身体を隠すようになってしまってます。

ミケランジェロ「大洪水」

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神は地上に増え始めた人間が悪を行なっているのを見て心を痛め、大洪水で滅ぼそうと考えました。一番奥の教会みたいなのが、ノアの箱舟っぽい。この絵では人々が水に飲み込まれている場面でなく、山に這い登って助かろうとあがく姿を描いています。

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一部、漆喰ごと剥落した部分がありますね。18世紀に近隣の火薬庫が爆発した衝撃で、落下してしまったそうです。

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ミケランジェロ「ノアの燔祭」

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洪水が引いた後に、ノアが神への感謝の印として生贄を捧げている場面です。生贄の羊と牛が描かれていますね。生贄を押さえつけているのは、ノアの三人の息子です。

ミケランジェロ「ノアの泥酔」

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寝ているじいさんはノア。葡萄酒を飲みすぎて裸で眠ってしまいました。よくある酔っ払い。それを見て指差してわらっているのがノアの三男・ハムです。長男のセムと次男のヤフェトは心配してマントをかぶせようとしています。目覚めてから事の顛末を知って、怒ったノアは三男・ハムに「お前は子孫とともに呪われるがいい」と呪いをかけました。果たしてノアの子孫は、過酷な運命を生きることになるヘブライ(ユダヤ)人となりました。ここも剥落してますね。

これら中央部分を囲むように預言者や巫女12名の人物像が描かれています。

ミケランジェロ「預言者ヨナ」

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紀元前8世紀のユダ王国の預言者ヨナは、「神を信じないアッシリアの民を改心させよ」という神の命を「できっこないっす」と言って逃亡しました。神は激怒し、ヨナの乗った船を沈め、ヨナは魚に飲み込まれます。確かにヨナの横に大きな魚がいますね!魚の胃袋の中で反省したヨナは、アッシリアに赴き、人々の説得に成功しました。この大魚に飲み込まれるという展開は、「ピノキオ」に引用されています。

ミケランジェロ「デルフォイの巫女」

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最も美しく描かれた女性は、アポロン神殿でアポロンの神託を告げる巫女です。デルフォイの巫女の神託を聞くために、ギリシャ全土から人が集まったと言われます。

ミケランジェロ「エリュトイアの巫女」

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この巫女はミケランジェロ風マッスル美女に描かれてますね。女性を描くときでも男性モデルをつかっていたといいます。

ミケランジェロ「イニューディ」

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天井画のうち、5つの小画面の四隅を支える者としてミケランジェロが描いた20名の筋肉質の男性裸体像のうち、最も有名な男性像です。

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ミケランジェロは「自分は彫刻家だ」という自負があり、この仕事に乗り気ではなかったようです。独裁者ユリウス二世に命じられてしぶしぶ・・といった感じだったらしいですね。事実、一度仕事を放棄して脱走しています。四年にも及んだ作業をほぼ独力で行ったミケランジェロでしたが、苦痛に充ちた作業でした。20メートルの天井近くまで足場を組んで、立ったままのけぞるような姿勢で描いていたとか。絵の具は顔面に垂れるわ、腰は痛いわ、想像を絶しますね。見てるだけでも首が痛くなってきて、改めてミケランジェロの超人ぶりを実感しました。

壁面画

次は壁面画です。南北の壁面画は1481年から1482年にかけてシクストゥス四世の命で、フィレンツェの画家によって描かれています。南壁面には、旧約聖書に登場するヘブライ人の預言者・モーゼの物語が描かれています。

ボッティチェッリとその工房「モーゼの試練」

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古代エジプトではヘブライ人は奴隷にされて苦しんでいました。オレンジと緑の衣装の人は全てモーゼ。

「同胞のためにヘブライ人を虐待したエジプト人を殺す」

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「ミディアンという牧草地に逃亡する」

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「悪い羊飼いたちを追放する」

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「娘らの羊に井戸から汲んだ水を飲ませる」この娘たち、実にボッティチェリっぽいですね。

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「神の声を聞いてモーゼが靴を脱ぐ」

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「神の前にひざまずく」

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「神の声を聞いて、ヘブライの民を率いてエジプトを脱出する」というシーンが描かれます。モーゼ、大忙しだ。

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ペルジーノ「モーゼのエジプトへの旅」

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左側はエジプトに向かって歩き始めるモーゼ一行。モーゼの持つ杖が指導者となったことを意味しています。中央ではなぜか天使がモーゼの前に立ちふさがります。この天使は神とヘブライ人の契約の印として、モーゼの息子に割礼を施すように命じています。

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右側はモーゼの妻ジッポラが息子に割礼を施して、モーゼの命が助かる場面です。

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アレッサンドロ・ボッティチェリ「反逆者たちの懲罰」

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右側ではエジプトからの移民の反逆者たちが、モーゼに石を投げつけようとしています。この連中はモーゼだけが神に愛されてると嫉妬したんですね。それを後継者となるヨショアが必死に守ろうとします。

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左側では大地が裂け、反逆者たちがそこへ沈んでいく場面が描かれています。信ずる者の足の下には雲が浮かび、救われています。

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中央部分ではモーゼと、教皇の王冠をかぶった司祭のアロンによって追い払われる反逆者たちが描かれています。反逆者たちは見えない火で焼かれるように苦しんでいます。

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真ん中にはコンスタンティヌス帝の凱旋門が描かれていますね。コンスタンティヌスは初めてキリスト教を公認したローマ皇帝でした。

シニョレッリ「モーゼの遺言と死」

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右手前で杖を持ちながら聖なる書物を読み上げるのが120歳となったモーゼ。

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中央の裸の男は色々解釈があるようで、決定的なものは定まってないとか?

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左手前ではモーゼが後継者のヨショアに杖を渡し、後事を託している。

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中央奥はモーゼが神の導きで登山し、下山する姿。

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左奥はモーゼの臨終の場面。

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北祭壇では新約聖書の世界が描かれています。

ペルジーノとその弟子「キリストの洗礼」

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中央にはヨルダン川で洗礼者ヨハネによるイエス・キリストの洗礼が描かれている。イエスはこの時、30歳。洗礼者ヨハネはいわばキリストの先駆者のような存在でした。すると頭上に神が現れ、聖霊の鳩をつかわします。左側にも説教するヨハネ。右側には説教するイエスがえがかれている。豪華な衣装を着た人物たちは、おそらく実在の人物たちで、教会への寄進者たちと思われます。

ドメニコ・ギルランダイオ「最初の使徒たちのお召し」

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キリストが布教活動を開始、ガリラヤ湖畔で最初の弟子ペテロとアンデレを召し抱える場面です。黄金の服を着てるのがペテロです。奥ではイエスに従って漁師だったペテロとアンデレが漁をする様子が描かれます。イエスの言うとおりするとなぜか大漁。

アレッサンドロ・ボッティチェリ「キリストの三つの誘惑」

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洗礼を受けた後のキリストは荒野に赴き、40日間の断食生活に入りました。そのキリストをサタンが誘惑し、堕落させようとします。左奥が第一の誘惑で、「神の子なら、石をパンに変えてみせよ」とそそのかします。

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真ん中奥は第二の誘惑。サタンが「神の子なら、ここから飛び降りてみせよ」とそそのかす。

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右奥は第三の誘惑で、「私にひれ伏すならこの世の栄華をすべて与えよう」と誘惑する。そのすべてをイエスは論破しました。

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手前中央ではユダヤ教の儀式が行われているところです。モーゼの時代に定められた清めの儀式らしいです。中央で薪を運ぶ女性の隣にいる赤い枢機卿は、後のユリウス二世です。彼こそが、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂天井画を描かせた教皇です。

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コジモ・ロッセリ、ピエロ・デ・コジモ「山上の説教」

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山から下りたイエスは有名な「山上の垂訓」を説きます。「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬も差し出さない」とか有名な言葉ですね。右手前では不治とされた癩病患者を癒すイエスの奇跡が描かれます。

ペルジーノ「ペテロに天国の鍵を渡すキリスト」

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ペテロの信仰告白の名場面です。背後の建物はコンクラーベ(教皇選挙)が行われる場所。ペテロはイエスに「あなたは神の子。メシアです」と告げると、イエスはペテロをほめ、天国の鍵を授けました。この鍵が絵画でペテロを見分ける目印になります。

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ちなみに前列左から四番目の財布を持った男がユダです。

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また前列右から五番目のカメラ目線の男が、作者のペルジーノ自身です。

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右後方ではユダヤ教パルサイ派の人々がイエスに投石し、迫害を始めています。

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コジモ・ロッセリ「最後の晩餐」

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レオナルドの決定作が出るまでは、「最後の晩餐」と言えばこの構図が定番だったようです。つまり一人ユダだけが反対側に座る構図。ユダの背中にはサタンが見えます。

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背後の窓にはこれからイエスがたどる運命が描かれます。一番左は「オリーブ山の祈り」で、イエスが神に苦悩を訴える話です。ただイエスが帰ってくると、弟子たちは呑気に爆睡していて落胆するという場面。

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中央はユダがイエスに接吻する場面です。接吻した人がイエスであるという合図で、これによってローマ兵たちがイエスを捕縛します。手前では弟子のペテロが敵の耳を斬り落としています。

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一番右は、イエスが鞭打ちされて、荊の冠を被せられ、ゴルゴダの丘で磔にされています。イエスは全人類の原罪を背負い、生贄となったのです。

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ミケランジェロ「最後の審判」

主祭壇背後の壁にミケランジェロ「最後の審判」があります。この大作はローマ教皇クレメンス七世と、後継のローマ教皇パウルス三世の命で、1533年から1541年にかけて描かれました。折りしもルターによる宗教改革の吹き荒れた時代。この作品はプロテスタントへのカウンターとして、バチカンの渾身の一撃となりました。

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この絵は400名以上の人物が描かれている大作です。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下しており、向かって左側には天国へと昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されています。

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キリスト様はやたらマッチョですね。ラオコーンを意識していると言われます。キリストの隣には聖母もいます。ペテロやパウロたち聖人たちは雲の上に描かれますね。

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世界の終わりの時に、天使たちが吹くラッパで、人々は生き返ります。そしてキリストの審判によって、天国に行ける人と地獄に落ちる人が選り分けられるのです。

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救われる人々は画面の左側を上っていきます。

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また、キリストの右下には自身の生皮を持つ聖バルトロマイが描かれているが、この生皮はミケランジェロの自画像とされます。6年の歳月をかけた超大作にさしものミケランジェロ(当時60代)も精魂尽き果て、聖バルトロマイのような抜け殻になってしまったのでしょうか。

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画面の右側を落ちていく人々を待つのは、恐ろしい地獄絵図。

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このロバの耳で蛇が巻き付いてるおっさんは地獄の裁判官。ロバは愚か者の代名詞だし、巻き付いた蛇は男の局部に噛み付いています。この男にはモデルがいて、バチカンの儀典長でした。儀典長はミケランジェロの芸術を理解せず、「裸体像は下品だ」と批判しました。怒ったミケランジェロに報復として、嫌な役を割り当てられてしまったという話でした。

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儀典長は「あまりに酷い」と、教皇パウルス三世に抗議したのですが、教皇には「地獄はワシの管轄外だから」と冗談混じりに受け流されてしまったそうです。

システィーナ礼拝堂を有り難く堪能させていただきました。ちなみに↓の画像は「大塚国際美術館」のシスティーナ・ホールです。

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海外に出るのが難しい時期は大塚国際で堪能するのもいいかもです。

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ちなみにかつてシスティーナ礼拝堂壁画は長年の煤の影響で色褪せ、ほとんどモノクロームのようになっていました。また後世の修復によって、ミケランジェロのオリジナル部分が改変されたりもしていました。「最後の審判」のオリジナルではもともと人物は全裸で描かれていましたが、地獄の儀典長のように異論を唱える者がいて、人物に腰布が描き加えられたりしていたのです。

そこで1980年から地元修復チームと日本テレビによって修復作業が開始され、天井画は1989年に、そして1999年にすべてのフレスコ画が修復され、見事にルネッサンスの色彩が復活したのでした。また腰布問題では、1500年代にダニエレ・ヴォルテッラら弟子に描き加えられたものは歴史的価値を尊重して残しましたが、1800年代にさらに加えられた腰布については消されることになりました。地獄の儀典長の局部に蛇が噛みついていることも、実はこの時に明らかになったのです。

サン・ピエトロ大聖堂

世界最小の国・バチカン市国南東端にあるカトリックの総本山です。

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サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペテロが磔刑に処されたとされる場所に建てられました。ペテロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。

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高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m。

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創建は四世紀で、現在の聖堂は二代目にあたり、1626年に完成したものです。

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さっそく入場していきます。身廊の長さは約186mもあります。宗教施設のため、ノースリーブなど肌の露出した服装だと入場を断られる場合があります。

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ここは見どころたくさんです。まずカーテンの向こうはミケランジェロ「ピエタ像」です。

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ミケランジェロ「ピエタ像」

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イエスの亡骸を抱く聖母の像です。このマリアは少女のような愛らしい顔で純潔さを表現しています。作者は20代の若きミケランジェロ。天才の出現を知らしめた記念碑的作品です。

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「聖ペテロ像」

聖ペテロはキリストの一番弟子で、初代ローマ教皇とされる人物です。足に触るとご利益があるようで、両足ともかなりすり減っているみたいですね。

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見上げるとミケランジェロ設計のクーポラがあります。

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高さは約138mクーポラの中心部には、天使に囲まれた神の姿が描かれています。「最後の審判」をつくり上げた70代のミケランジェロに、またしても大仕事が舞い込んできました。それがこの大聖堂の設計でした。ミケランジェロは最後の力を振り絞って、この大事業に打ち込みます。しかしこのクーポラが完成したのは、ミケランジェロの死後、30年あまり経ってからでした。

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ベルニーニ「大天蓋」

クーポラの真下には、ベルニーニ作のブロンズの大天蓋があります。

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ブロンズ製の4本の柱は、ねじれるようにからみつくデザインです。天蓋の真下には、聖ペテロの墓があります。

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聖堂の一番奥の「後陣」の中央に、ベルニーニが装飾をした「聖ペテロの椅子」があります。教皇だけが腰掛けることができる聖なる椅子だそうです。

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ラファエロ「キリストの変容」(複製)

オリジナルはヴァチカン美術館のピナコテーカにあります。

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ラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニ・・・ルネッサンスからバロックまで天才たちの総力を結集して造られた美の殿堂がバチカンなのです。

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ベルニーニ「教皇アレクサンデル七世の墓碑」

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ベルニーニの晩年のパトロンとなった教皇でした。

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アレッサンドロ・アルガルディ「レオ十一世の墓碑」

メディチ家から選出された教皇ですが、教皇となって一月足らずで死去してしまいました。教皇の選出要素として、高齢や健康問題を抱えていて長期政権にならない人の方が選ばれやすいそうですが、ちょっと短すぎですね。

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さまざまな聖人像があることからも、カトリックの多神教的性格がよく分かりますね。本来、多神教文明のローマ帝国や北方に布教するために、自然と多神教化していったのでしょうか。

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クーポラ

この後、クーポラに登りたいと思います。クーポラの入口は大聖堂の右横にあります。緑の案内図に従っていけば分かります。

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エレベーターで途中まで行くことができます。エレベーターと階段では入場料が違います。

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エレベーター付で10ユーロでした。

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ただしエレベーターの場合でも途中のテラスまでしか行ってくれないので、残り320段の階段を上がらないといけないのですが。ここがテラスでクーポラが見えます。

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聖堂内部がよく見えます。

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クーポラ内部もよく見えます。実に美しい。

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モザイクも間近で見れました。

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なんか可愛げない子だね笑

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29メートルの大天蓋を見下ろせます。

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さあ登っていきます。ここから92メートル登ることになります。

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着きました!

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サン・ピエトロ広場です。ベルニーニの設計です。

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この美しい光景を見ないとヴァチカンに来たって感じがしませんね。

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見下ろすと高所恐怖症としてはちょっと怖いけど。ヴァチカン庭園の「教皇の紋章」が見えますね。

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サンタンジェロ城とテヴェレ川が見えます。

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左手がヴァチカン美術館です。

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システィーナ礼拝堂の外観は地味ですね。

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上りと下りの階段は別でした。

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サン・ピエトロ広場

 これがサン・ピエトロ大聖堂の外観です。

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ファサードにはキリストと洗礼者ヨハネ、ペトロ以外の11人の使徒の像が並んでいます。

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サン・ピエトロ大聖堂の正面にはサン・ピエトロ広場が広がります。幅240メートルもある巨大な楕円形の広場です。

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コンクラーベで新しいローマ教皇が選出された際には、ファサード中央のバルコニーで発表されます。

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聖ペテロの像です。

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バチカン名物スイス人傭兵を見れました!スイスさん、なんか笑顔ですね。「ぷっ、あいつったらあの時・・」とか思い出し笑いしてる感じ?バチカン兵は身長174cm以上、独身の男性という条件があるそうです。

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サン・ピエトロ広場はジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により、1656〜67年に建設されました。

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20万人も集まれるそうです。

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これは1世紀にエジプトから贈られたオベリスクです。当時はネロ皇帝の競技場に置かれ、ペテロが磔刑に処された時に現場に存在していたと言われます。

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広場はドーリア式円柱と140体の聖人像に囲まれています。

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