金州巡り【日清・日露古戦場】

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金州駅

チャイナ版新幹線に乗ります。

金州駅へ到着しました。

金州区は大連市の一部です。またビル廃墟群発見。

しかし国中バブル廃墟だらけだね。それで「GDP世界2位」とか言われても、ハリボテの虚構としか思えない。

金州の駅舎ですね。

金州は古都として古くから栄えた町らしいですが、日清戦争や日露戦争の激戦地としても知られます。

庶民の商店。

一方で巨大ビル群がある。シナの抱える格差の実態は、随所に垣間見ることが出来ます。

金州副都統衛門

ここは清朝が、金州地域を治める代表者を派遣して住まわせた場所らしいです。

満洲騎兵のレリーフですか。

ここには日清戦争に従軍記者としてこの地を訪れた正岡子規の句碑があります。

「金州城にて 正岡子規

行く春の 酒をたまはる 陣屋かな

1895年に愛国の情抑えがたく、従軍記者として遼東半島に渡った子規でしたが、子規到着のわずか2日後に戦争は終わってしまいました。

さらに子規は帰国の船で吐血し、入院します。以後、子規は治る見込みのない辛い闘病生活に突入していきます。

チャイナ美女の人形さんがいますね。

清朝時代の大砲ですね。

これは清朝の兵士の軍装。下に鎧とか帷子とか着たのかな?

これが八旗ですね。

日清戦争関連の展示もありました。

金州城の防御兵の人形さんだと思います。

これは女の横に井戸があるので、水をあげてお金をもらってる庶民でしょうね。

金州城壁をよじ登る日本兵の写真だな。これは有名なシーンですね。

金州の古い町並みを散策してみました。

ザ・中華という感じです。

南山古戦場跡

さてこの後は、金州郊外の南山古戦場跡にやってきました。

遠くに大連の名峰・大黒山が見えます。

しかしこのビル群、どこまで続いてんだよ。

南山は日露戦争の序盤の激戦地です。ロシア軍は南山を要塞化して機関銃で防御。日本陸軍を待ちかまえていました。

南山の戦い

これぞ日本が経験した初めての近代戦で、日本の死傷者は4000名を超えたといいます。日清戦争で使った弾薬数を、南山戦では一日で使い切ったそうです。

南山の戦い

ここは観光地とは言えない。単なる山の中じゃんw

帝国陸軍の乃木希典大将は、南山戦で長男勝典(かつすけ)を失っています。

乃木希典大将

ここが乃木勝典が戦死した場所で、乃木大将の歌碑(鎮魂碑)が建てられてました。

現在はシナ共産党によって撤去されてしまいました。今は台座が残されるのみです。

当時の乃木大将の歌碑です。

「金州城下の作」

山川草木 転戦涼(さんせんそうもく うたたこうりょう)

十里風腥し新戦場(じゅうり かぜなまぐさし しんせんじょう)

征馬進まず人語らず(せいばすすまず ひとかたらず)

金州城外斜陽に立つ(きんしゅうじょうがい しゃようにたつ)

乃木大将の歌碑台座の向こうには・・

ロシア人墓地がありました。

日露戦争における乃木大将を散々にディスって「無能扱い」したのが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でした。

司馬遼づれがいったい何の資格があって、乃木や伊地知を貶められるのでしょうか?

司馬遼の陸軍嫌いは、陸軍に徴兵されていじめられた私怨でないか、という噂もありましたね。

ここ南山の頂上には、かつて日露戦争の勝利を記念した「南山戦跡」碑が立っていました。

文化大革命の際に破壊され、台座だけが残っているそうです。

南山日露戦争遺址がありました。

南山戦をしのばせるものは、たったこれだけ。地元の人も、ここで日露の死闘が繰り広げられたことなど全然知らないようです。旅順みたいに復元・整備すれば、日本人観光客を呼び込めるぞ!

第二次大戦戦勝記念塔

第二次大戦戦勝記念塔は立派なものがそびえてます。チャイナ語とロシア語で書かれてますね。

日本帝国主義云々とあるから、共産党がつくったものですかね?モヤモヤした不快なものが残る南山戦跡観光でした。

この南山を陥した後、乃木希典の第三軍はいよいよ旅順・203高地へのさらなる激闘へと向かっていきます。

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