呉巡り【大和ミュージアム】

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広島の呉市に来てみました。まずは新幹線で広島駅に向かいます。「のぞみ」で直行だったので、爆睡していつの間にか到着。広島駅からJR呉線で向かいます。

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JR呉駅前

さあ、呉駅に到着しました。

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呉は明治以来、今なお日本海軍(海上自衛隊)の本拠地であり、かの戦艦大和が建造された軍都でもあります。

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海軍さんの珈琲

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戦艦大和で飲まれていた珈琲を再現したものらしいですね。

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試飲させていただきました。お土産も買ってしまった。

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宮地洋服店

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これはただのお店じゃない。海上自衛隊御用達の店です。

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グッズも色々です!海上自衛隊のパスケースと、空母型護衛艦「かが」のバッジを買いました。

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入船山公園

ここには旧呉海軍鎮守府司令長官官舎がありました。

これが日本海海戦の勝利で知られる東郷平八郎元帥の旧宅離れ。

東郷元帥も、呉鎮守府の参謀長として呉に約2年ほど勤務したことがあるようですね。

旧高烏砲台火薬庫です。日清戦争以後に、呉の高台に設置されました。

12センチ高角砲の砲身で、1981年に地中から発見されたそうです。

おとなりはパロット砲です。アメリカの南北戦争の時代のものかと推定されてます。

時計台です。これは旧呉海軍工廠塔の屋上にあったものの移築らしいです。1921年設置。

番兵塔です。警備のため24時間交代で立っていたため、足元の部分がけっこう傷んでますね。

旧呉海軍鎮守府司令長官官舎です。

遠景をパチリ。重要文化財に指定されています。

歴史の見える丘

さて入船山公園から高台を上がって、「歴史の見える丘」に来ました。

軍都・呉を支えた造船・鉄鋼業などの全貌を見渡せます。

おお、大和艦橋の記念碑です!

造船の街が一望できます。

ドックで巨大な船の修理も出来ますね。

あの大屋根は、大和を建造する際に隠した屋根であるとか。

大和ミュージアム

まず屋外展示にビビる!戦艦陸奥の主錨です。

戦艦陸奥の41センチ主砲の砲身です!

陸奥は柱島付近で謎の爆沈事故を起こし、戦う以前に沈んでしまったのでした。

陸奥の艦尾フェアリーダー。

陸奥のスクリュープロペラ。

陸奥の主舵。

その巨大さに圧倒されます。戦前の日本はとんでもない工業力ですよ。やはり皮肉なことですが、科学技術を最も進歩させるのは軍需なんですよね。

ジャンボローニャのネプチューン像を見ながら入館していきます。

戦艦大和(10分の1)

なんといってもこれ!10分の1の戦艦大和ですよ!

10分の1って言っても、元が全長263メートルもありますからね!

2階や3階からも撮りまくります。

対空戦を意識して機銃もすごかったんですが。

菊の紋章が神々しいです。

軍艦旗がはためきます。

大和型戦艦が主砲を撃つ際には、警報を鳴らして総員を艦内に退避させなければ撃てなかったそうですね。爆風の破壊力は、艦上の全ての生物を即死させるようなものだったそうです。

大和型二番艦「武蔵」の主砲発射

何しろ大和型の主砲は、だいたいマラソンの距離ぐらい届いたらしいから。42キロ先ぐらいまでいったそうです。

真ん中は戦艦長門で使われた41センチ九一式徹甲弾

零式艦上戦闘機62型

大和以外にもゼロ戦こと「零式艦上戦闘機62型」もありました。

大東亜戦争序盤は、無敵を誇った戦闘機です。

そのうえ中国戦線で実戦経験を積んだベテランパイロットが、超絶技術で挑んでくるんですから。実戦をしてないアメリカ軍では勝てなかったわけです。

しかしアメリカ軍は、無傷の零戦の鹵獲に成功。研究を重ね技術革新を遂げていきます。またアメリカでは戦前から自動車の大量生産のシステムが出来上がっており、積極的に民需を軍需に転用していきます。

やがて日本軍を物量ともに爆発的に上回る兵器・技術で追い詰めていきます。

次第に劣勢となった日本軍は、1944年以降「神風特攻」と言われる体当たり作戦を敢行していくことになります。

回天

人間魚雷こと「回天」の試作型です。

回天は人間が魚雷を操縦し、自ら体当たりするという特攻兵器で、1型だけが実戦投入されました。

特殊潜航艇「海龍」

本土決戦用の特攻兵器ですね。

世界初の有翼潜行艇です。

魚雷を発射した後に、自らも体当たりする特攻兵器でした。

特攻兵器は見ていて正直胸が痛くなります・・。

戦艦金剛のボイラー

イギリスからの輸入でした。ヤーロー缶というタイプだそうです。

ホッチキス速射砲身ですね。日露戦争の頃に戦艦三笠か何かにつまれていたようです。

ホッチキス(オチキス)はフランスの軍需メーカーです。「文具のホッチキスと関係がある」というのは俗説らしいですね。

これは泣ける展示です。第六潜水艇の佐久間勉艇長です。

1910年4月15日、第六潜水艇が遭難し、乗組員14人が殉職しました。訓練中の事故でした。引き揚げられた後、乗組員が出口を争う悲惨な姿で死亡していることが予想されていましたが、驚くべきことにハッチを開けると、乗組員14人のうち12人はきちんと所定の配置についたまま息絶えていました。また所定の位置にいなかった2人は、破損箇所で亡くなっており、明らかに最後まで修理にあたっていたのです。

有名な佐久間勉艇長の遺書

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、我れ等は国家のため職に倒れ死といえども、ただただ遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり

事故原因の分析や潜水艇の将来、さらに乗組員の遺族までを慮ったこの遺書は、国内外の海軍関係者のみならず、多くの人の心を揺さぶりました。

ハワイ作戦の司令官・南雲中将の短剣です。空前絶後の作戦を成功させながらも、「ハワイで第三次攻撃を行わなかった」とか「ミッドウェイで負けた」とか、批判されることが多いので気の毒です。

空母赤城

開戦当時、赤城や加賀には世界最高の技術を持つパイロットが乗り組んでいました。

もんぺ、タスキ、千人針、これらが銃後の支えでした。「千人針」なんて、女性たちが心を込めて一針一針縫ってくれたものだから兵士たちはみんな大事にしていたそうですよ。

ミュージアムショップも色々売ってた。

空母赤城の模型、買ってしまったよ!

見どころたっぷりでした!

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