ロンドン巡り【ナショナル・ポートレートギャラリー】

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ナショナル・ポートレートギャラリー

ロンドン・ナショナルギャラリーの裏手に、これまた無料の美術館があるので行ってみます。

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ナショナル・ポートレートギャラリー」という肖像画専門の美術館です。

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テューダー朝から現代までの、イギリスの著名人の肖像画や彫刻を楽しめます。

テューダー朝のギャラリー

フロアは上から古い順になってるんですね。まずはスターぞろいのテューダー朝からスタートです。

ヘンリー八世と王妃キャサリン・オブ・アラゴン

ヘンリー八世は、英国史上に残る自己中男。スペインから迎えた王妃キャサリン・オブ・アラゴンが女児(のちのメアリ一世)しか産めないと思い込むと、気持ちは急速に冷め、妖艶な愛人アン・ブーリンと結婚したくなってしまった。でもカトリックでは離婚は認められない。じゃあ一体どうするのか?

何とヴァチカンと絶縁し、自ら英国国教会(プロテスタント)を創り上げてしまった。英国の宗教改革は、ヘンリー八世の自己都合で実現したのです。

アン・ブーリン

傾国の悪女として語られることの多いアン・ブーリン。フランス仕込みの魅力で、ヘンリー八世を虜にし、キャサリン・オブ・アラゴンから王妃の座を奪った。しかし彼女もまた女児しか産めなかったため、自己中男・ヘンリー八世から飽きられ、捨てられてしまう。それどころか姦通罪の疑いをかけられ、ロンドン塔で処刑される悲劇の最期を遂げる。

メアリー一世

ヘンリー八世の死後、権力闘争を勝ち抜いたのがメアリー一世。敬虔なカトリック信者だったメアリーは、王座を射止めると、徹底的な対抗宗教改革を行った。英国国教会を解散しただけでは飽きたらず、プロテスタントの処刑を次々と行い、「ブラッディ・メアリー」と怖れられた。

エリザベス一世

いったんはロンドン塔送りになりながらも、女王の座についた強運の女がエリザベス一世

彼女の生涯はカトリック勢力との闘争に尽きる。プロテスタントの彼女は英国国教会を復興させる。ただし「ブラッディ・メアリー」の再現はしたくない。「カトリックの信仰も黙認」という玉虫色の、しかし賢い選択をする。

しかしカトリック大国スペインとの対決は、避けられない状況となってくる。カトリックのスコットランド女王メアリー・スチュアートを処刑しただけでなく、「スペインへの海賊行為を取り締まる」と言いながら、裏で支援していたことがバレてしまった。

スペインのフェリペ二世は1588年イングランド討伐を命じ、無敵艦隊を出撃させた。

しかしここも強運の女王。戦力で劣りながらも、粘り強く抗戦している間に暴風雨が吹き、無敵艦隊は海の藻屑と消えてしまった。かくしてエリザベス一世の名は、英国史上不滅のものとなった。

メアリー・スチュアート

メアリー・スチュアートは生れながらのスコットランド女王である。しかし夫を爆殺した嫌疑をかけられ、スコットランドを追われ、イングランドのエリザベスのもとに庇護を求めにくる。これにはエリザベスも困り果てた。ズルズルと20年も幽閉した後に渋々処刑の命令書にサインをせざるを得なかった。

しかし二人の死後、運命は逆転する。「処女王」として生涯結婚をしなかったエリザベスには当然後継ぎはおらず、テユーダー朝は断絶。メアリー・スチュアートの遺児であるスコットランド王ジェイムズ一世が、イングランド王も継承することになった。スチュアート朝の始まりである。

ウィリアム・シェイクスピア

イギリス・ルネサンス演劇を代表する劇作家・詩人である。四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など多くの傑作を残した。

ジェームズ一世

メアリー・スチュアートの息子のスコットランド王・ジェイムズは、37歳の時のエリザベス一世崩御に伴い、イングランド王ジェイムズ一世として即位した。

チャールズ一世

チャールズ一世は父・ジェイムズ一世同様、王権神授説の信奉者で、議会否定派であった。折しも凶作・暴動が頻発するようになり、鎮圧の軍資金問題から議会派と完全対立。1642年ピューリタン革命を勃発させてしまう。そして6年後、逮捕され、処刑されてしまった。

オリバー・クロムウェル

クロムウェルはピューリタン革命では鉄騎隊を指揮して、議会派を勝利に導いた。しかしチャールズ一世を処刑し、イングランド共和国が建国されると、護国卿という名の独裁者となってしまった。

チャールズ二世

チャールズ二世は10代の時にピューリタン革命が勃発し、各国に亡命しながら復権のチャンスを伺っていた。30歳の時に、ようやく王政復古で悲願のロンドン帰還。王座についてからも、ペストやロンドン大火など幾多の苦難を乗り越えてきたが、議会とは次第に対立を深め、次の代での名誉革命の遠因をつくってしまった。

アイザック・ニュートン

イギリスの科学者である。ニュートン力学の確立や、微積分法の発見などが主な業績。

ジョン・ロック

イギリスの哲学者である。「市民政府二論」などで自由主義的政治思想を提唱し、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。

ウエリントン公アーサー・ウェルズリー

ナポレオン戦争時代の英国陸軍元帥。1815年、ワーテルローの戦いでフランス・ナポレオン軍を撃破し、国民的英雄となった。その後は政治家に転身し、首相として二度組閣している。

ホレーショ・ネルソン

1805年トラファルガー海戦でナポレオンのフランス・スペイン連合艦隊に圧勝したことで知られる。敵艦の大半を戦闘不能にしたのに対して、イギリス艦隊は喪失艦ゼロという完勝だったが、ネルソン自身も同海戦で戦死してしまった。開戦に際しての信号旗「England expects that every man will do his duty(英国は各員がその義務を尽くすことを期待する)」が有名。100年後の日本海海戦・東郷平八郎元帥と並び称される「海軍の神様」である。

エマ・ハミルトン

英国史上に残る美女で、ネルソン提督との不倫関係は一大スキャンダルとなった。トラファルガー海戦でネルソンが戦死した後は没落し、債権者監獄に入れられた。

そんな彼女の生涯を描いた映画が、ヴィヴィアン・リー主演の「美女ありき」です。

ヴィクトリア朝と20世紀のギャラリー

ここからは19世紀のヴィクトリア朝〜20世紀

ヴィクトリア女王

ヴィクトリア女王は1837年に18歳で即位。小柄であったが、頑固なところがある性格。父を早くに亡くしたことからか、年長男性への依存傾向があった。

メルバーン子爵ウィリアム・ラム首相

ヴィクトリア女王の寵愛を一身に集めたのはメルバーン首相であった。当時のヴィクトリア女王は寝ても覚めてもメルバーンで、「メルバーン夫人」と陰口を叩かれるようになる。

アルバート公

メルバーンにとって代わったのは、ザクセン公子アルバートだった。ヴィクトリア女王は頭脳明晰なアルバートを深く信頼するようになり、婚姻。九子をもうけた。

ヴィクトリア女王とアルバート公

アルバート公は、ヴィクトリア女王の舵取りをうまくやってのけた。お気に入りに肩入れしすぎるヴィクトリアも、アルバートの存命中は不偏不党で、政治家たちと公平に接していたという。

ヴィクトリア女王

アルバートは1861年に急死。ヴィクトリア女王は絶望し、その後10年以上も喪に服し、引きこもってしまう。が、1870年代に公務に復帰し、ディズレーリ首相の帝国主義政策を全面的に支援し、大英帝国の最盛期を築きあげた。

ヴィクトリア女王は1901年に崩御。ヴィクトリアの63年7か月(英国史上歴代2位、1位はエリザベス二世)の治世はヴィクトリア朝と呼ばれ、政治・経済のみならず、文化面でも優れた成果を上げた。

エミリー・ブロンテ

イギリスの女流小説家。30歳で早逝したが、唯一の長編小説『嵐が丘』を遺した。

チャールズ・ディケンズ

ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家である。『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『二都物語』『大いなる遺産』などが代表作である。華やかなヴィクトリア時代の影で、貧しい暮らしにあえぐ庶民の姿をリアルに描いている。

ジョン・エヴァレット・ミレイ

19世紀のイギリスの画家。ラファエル前派の一員に数えられる。代表作は「オフィーリア」で、ロンドンのテート・ブリテン所蔵。

ウィリアム・グラッドストーン

19世紀後半のイギリスの政治家。自由主義的政策を押し進めた。84歳まで首相を務めたが、生涯のテーマであったアイルランド解放は生前にはついに実現できなかった。ヴィクトリア女王の寵愛を受けたディズレーリの政敵だったため、女王の憎悪の対象となった。

チャールズ・ダーウィン

イギリスの自然科学者。1859年の著書『種の起源』で、いわゆる進化論を確立した。

アーサー・コナン・ドイル

イギリスの作家。推理小説・歴史小説・SF小説などを多数著した。『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者として最もよく知られる。第一次大戦で多くの身内を失ったためか、晩年は心霊主義にのめり込んでしまったという。

ネヴィル・チェンバレン

イギリスの政治家。1938年ミュンヘン協定によって、ヒトラーのチェコスロバキア・ズデーテン地方の割譲要求を認め、ドイツとの戦争を回避した。この判断は当時は絶賛され、英雄扱いを受けた。しかし結局ヒトラーは協定を守らず、翌1939年に第二次大戦が勃発してしまう。チェンバレンの政策は、独裁者への妥協、宥和政策の典型とされ、一般には強く批判されることが多い。

ウィンストン・チャーチル

第二次大戦戦勝の際の首相で、英国史上最も有名な政治家。第二次大戦の回顧録を著し、ノーベル文学賞を受賞している。

エリザベス二世

1952年にイギリス女王として即位。2015年に在位期間が63年と216日となり、ヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となった。

マーガレット・サッチャー

1979年、女性初のイギリス首相に就任する。新自由主義に基づく「小さな政府」を志向した政策を実施した。一貫した反共思想のサッチャーを、ソ連機関紙は「鉄の女」と非難したが、皮肉にもそのネーミングをサッチャー自身が気に入り、以後はサッチャーの代名詞として定着した。

ザ・ビートルズ

リバプール出身。20世紀最大のロック・グループの一つである。

ダイアナ妃 (プリンセス・オブ・ウェールズ)

イギリスの名門貴族の令嬢として生まれ、1981年にチャールズ王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)と結婚、二児をもうける。しかし後に別居状態になり、1996年に離婚。1997年にパリで交通事故による不慮の死を遂げた。

ケイト・ブッシュ

イギリスの女性シンガーソングライター。ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに見出され、1975年にレコードデビュー。代表作は「天使と小悪魔」(日本盤のジャケットが魅力的だった)、「ドリーミング」など。

エイミー・ワインハウス

イギリスの女性シンガーソングライター。2003年にデビュー。2006年のアルバム『バック・トゥ・ブラック』は全英1位を獲得。しかし薬物中毒やアルコール依存症など、スキャンダラスな人物でもあり、2011年7月23日、ロンドンのカムデンにある自宅で遺体で発見された。(死因はアルコール中毒と推定)享年は27歳。

マララ・ユスフザイ

パキスタン出身の女性運動家。11歳の時から女性への教育の必要性や平和を訴える活動を始め、イスラム過激派に狙われる身となる。2012年スクールバスが襲撃され、二発の銃弾を受けるも奇跡的に回復。2013年、国連本部で「銃弾では自身の行動は止められない」と演説をして、教育の重要性を訴えた。2014年、ノーベル平和賞受賞。17歳でのノーベル賞受賞は史上最年少記録である。

キャサリン妃殿下 (ケンブリッジ公爵夫人)

イギリス王室のケンブリッジ公ウィリアム王子の配偶者。


ちょっと変わった展示もありました。セックス・ピストルズのシングル盤「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」

ショップも面白かったです。

歴代国王グッズもいろいろありました。やっぱり女王や王妃が、国の華だということがわかりますね。イギリスの歴史も面白いね。

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