北九州市巡り【門司港レトロ、小倉城、森鷗外旧居】

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門司港駅

北九州市門司区の観光をしていきます。あいにくの雨でしたが、根性で観光しました。門司港駅は残念ながら、2014年時点で改修工事中っぽかったです。看板や字体がレトロでいいですね。

JR門司港駅周辺は観光スポットとして整備され、人気を博しています。人呼んで、「門司港レトロ(もじこうレトロ)」。門司が貿易で栄えた時代の建造物を中心に、大正レトロ調に整備されています。

旧大阪商船

まずは旧大阪商船にきてみました。1917年建築。ロシア革命の年です!

八角形の塔屋と、鮮やかなオレンジ色のデザインが印象的です。その当時、門司港からは多くの船が欧州やアジアに向けて出航していました。

この建物はその拠点として、一階は待合室・二階はオフィスとして使われていたそうです。現在、1階は海峡ロマンホールという名のがらんどう。

2階は『わたせせいぞうと海のギャラリー』などがあるようです。わたせはバブルくさいのでスルーしましたが、海のギャラリーの、大阪商船往時のポスターはレトロで凄く良かったですね。

かっこいい!

旧門司三井倶楽部

次に旧門司三井倶楽部に入ってみました。

1921年に三井物産の接客・宿泊施設として建築されたものだそうです。現在は、一階がレストランやイベントホールとして使用されています。

二階にはアインシュタイン・メモリアルルームや、門司生まれの作家・林芙美子の資料室があります。

アインシュタイン・メモリアルルーム

1922年にアインシュタイン博士夫妻が来日した際に、ここに宿泊したそうです。その部屋は今も当時のまま残されています。(=アインシュタインメモリアルルーム)

「ベッドがあるなんて驚いたよ」アインシュタイン談だって。日本をあまりなめるなよw

アインシュタインが日本滞在中に、日本の印象を書いた手紙の複写のようです。

林芙美子の資料記念室

小説「放浪記」で知られる作家・林芙美子の資料記念室です。

林芙美子が使用した家具や衣類などが展示されてます。

林芙美子の生誕地は、下関とか門司とか諸説あるっぽいですね。

放浪記だ。

川端康成から芙美子宛手紙。さすが達筆ですね。

高峰秀子主演の傑作映画「浮雲」の原作も林芙美子でした。

高峰秀子は日本映画史上最大の女優。

2階には「門司港の大正ロマン物語」という大正文化をあらわす品々を展示していました。門司が国際港として、モダニズム文化を謳歌していたことがわかります。

関門海峡ミュージアム

さて続いては、関門海峡ミュージアムにきてみました。関門海峡の歴史、文化、自然を紹介する文化観光施設です。

海峡レトロ通り

1階から2階は大正時代の街並みを再現した「海峡レトロ通り」です。大正時代の風俗が再現されています。

路面電車もあったんですね。

タイムスリップしたような感じですねw

海峡歴史回廊

3階には「海峡歴史回廊」があります。関門海峡に起こった歴史ドラマを、人形アートによって再現しています。これは出来が良かった。

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特に壇ノ浦の二位の尼、安徳天皇、建礼門院の入水は美しかったですね。一見の価値あり。撮影禁止だったので、パンフを撮影。

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武蔵と小次郎の決闘シーンもありました。

旧門司税関

旧門司税関は1909年に門司税関が発足した後に、1912年に建設され、昭和初期までは税関庁舎として使用されていました。

その後、米軍による空襲などで損傷しましたが、門司港レトロ事業の一環として修復されることになりました。過去の写真などを参考に1991年から4年の歳月をかけて外観が復元されました。

1階は喫茶店やパネル展示室。意外や密輸の手口展示は面白かったです。

色々な密輸入の手段があるもんですねw

密猟についての展示ですね。

ブルーウィングもじ」というはね橋がありました。全国唯一の人道用はね橋とのことです。

動いてます。

雨に降られたのは残念でしたが、それも風情か。

小倉駅

北九州市小倉にやってきました。

小倉駅からモノレールが出ているんですが。

なんと「銀河鉄道999」のモノレールか!!

紛れもなくメーテル!

なんだ?こりゃ!実は最近、小倉駅前に「北九州漫画ミュージアム」という漫画博物館?がオープンしました。漫画家・松本零士さんら北九州にゆかりのある漫画家とタイアップしているそうです。町おこしってわけですか。

小倉駅前に、メーテル!鉄郎!ハーロック!

凄いです!できれば森雪も欲しかったですねw

小倉城

小倉は城下町。小倉城を見てきました。

軍馬忠霊塔とあります。なるほど、お馬さんがいますね。

明治27年戦役の慰霊塔ですね。これ、日清戦争のことですね。

小倉城天守閣

さあ、いよいよ天守閣が見えてきました。

小倉の城下町は、江戸初期に細川忠興によって本格的に築かれました。

その後は、小笠原氏によって維新になるまで治められましたが、幕末の長州征伐で小倉城は焼却されてしまいました。現在の天守閣は、昭和戦後に再建されたものです。

天守閣は残念ながら、この時点では耐震工事中で見学不可のようでした。

天守閣広場は、市民の憩いの場になっています。涼しく快適です!

陸軍第12師団の正門跡と司令部跡です。

ちなみに12師団は、あの文豪・森鷗外が陸軍軍医部長として所属していたことがあります。この正門を鴎外も通ったんですね。

大砲ありました。さすが軍都です。

いろいろある公園でした。

小倉城庭園

江戸時代の大名下屋敷をイメージして、平成10年につくられたそうです。

庭園にある書院棟です。

森鷗外旧居

「森鷗外旧居」を発見しました。

鷗外はこの家に1年半くらい住んでいたそうです。なかなか明治時代っぽい。鷗外の小説「鶏」は、この家を舞台にしているそうです。

軍医としての鷗外は「軍医総監」(中将相当)という最高の地位を得ました。

しかし日露戦争において陸軍兵士の脚気の原因を見抜けず、大量の戦病死を出してしまったことに責任を感じていました。

当時はビタミンの存在は知られておらず、脚気に対する治療方法は確立していなかったのです。

鷗外の有名な遺言は「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」というものでした。文豪として、軍医としてあらゆる栄達を極めながらも、死ぬ時は全ての肩書を捨てて、一個の人間として逝きたい、という気持ちを表したものと思われます。

津和野の鷗外お墓

しかし鷗外の脳裏には、日露戦争での軍医としての後悔が、臨終の時においても消えなかったのかもしれません。

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