直江津駅
春日山駅から直江津駅に移動しました。

岡本銕ニ「潮騒」

直江津は10分くらいの滞在で観光せず。えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインを乗って糸魚川に行きます。

糸魚川駅

糸魚川駅から観光タクシーを利用して、親不知を観光していきたいと思います。

糸魚川タクシーが行ってる「駅から観タクン」というサービスで、2時間7千円で親不知を一回りしてもらえます。これは格安。

親不知コミュニティロード

親不知(おやしらず)は、日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで、古くから交通の難所として知られます。

展望台があります。

すごいですね。北陸自動車道は海上高架を通ります!

英国人登山家ウォルター・ウェストンの像がありました。

ウェストンは1894年に親不知を訪れ、「ここは日本アルプスの起点だ」と紹介しました。

飛騨山脈の北端が日本海の波に削られ、この断崖が生まれたのです。

ちょっと散策してみます。

定置網が見えます。

崖、怖かった笑 300〜400メートルあります。

この北陸道最大の難所を、江戸時代までは危険な波打ち際を通行するしかありませんでした。加賀藩前田家ですら参勤交代の際には、この危険なルートを使いました。海からすぐ北アルプスが聳えるために、迂回路も作れなかったのです。
歌川広重「越後親しらず」

悪天候の時は通行できないし、満潮時も危険。所々にある洞穴に避難しないといけませんでした。それでも波にさらわれる事故は日常茶飯事だったのです。
この岩壁も見ものです。如砥如矢(とのごとくやのごとし)と岩壁に刻まれています。

明治時代の1883年に、大変な難工事の末にこの道が切り開かれ、工事に参加した富丘磯平という人物が喜びを岩に刻んだそうです。新道開発のきっかけになったのは、明治天皇の北陸巡幸でした。

ここから海岸まで降ることができます!

400m降りて行きます。


滑らないように、注意して。



海面、見えてきた!


これは何か?

親不知レンガトンネルですね。かつてここをSLが通っていたのです。

この煤は蒸気機関車の煙が付着したもの。

大正元年から昭和40年まで利用されていたとか。


糸魚川産の土から作られたレンガです。

さあ、いよいよ海抜0m地点へ上陸します。






この地は松尾芭蕉も訪れ、「奥の細道」の中で描いています。



けっこう波が怖い。




ここが栂海新道(つがみしんどう)の入り口です。

親不知海岸(0メートル)から北アルプス・朝日岳(2418メートル)までの約27kmを結ぶ山道で、1971年に開かれました。

親不知記念広場

この広場は国道8号の改良を記念して、1968年に整備されました。

さっき降りた辺りを遠望できます。

相馬御風の歌碑です。糸魚川の生まれの歌人で、早稲田大学「都の西北」、「春よ来い」、「カチューシャの唄」の作詞者として知られます。

「都の西北」は3番の歌詞の「集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光」が素晴らしいですよね。

横江嘉純「愛の母子像」はカーブが連続する親不知の安全祈願で作られました。

親不知の地名は、危険な波打ち際を通る時に、親は子を、子は親をかえりみる余裕もないほどだった、ということから「親不知・子不知」と呼ばれるようになったと伝えられます。


親不知インターチェンジ。世界でも初めての海上インターチェンジです。


道の駅・親不知ピアパーク

粟津潔「ミリオン」

やたら巨大な亀の像がありました。

日本海文明を象徴して作られているそうです。

この辺は海水浴もできそうですね。


海上を走る高速道路。

こちらは反対側の様子です。


道の駅に翡翠ふるさと館がありました。

世界最大級の翡翠原石が見られました。

なんと重さ102トン。

青海川ヒスイ峡から移設したそうです。

こちらもヒスイ原石。糸魚川はヒスイの産地です。

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