今回はパリの町巡りをしていきたいと思います。まずは映画「アメリ」でも有名になったモンマルトル界隈を散策してみます。
モンマルトル
モンマルトル (Montmartre) は、パリで一番高い丘で、標高130メートルあります。
ジュテームの壁
メトロのアベス駅を降りてすぐ「ジュテームの壁」を発見しました。
世界各国の言葉で「愛している」という言葉が刻まれています。
あったw
これからモンマルトルの丘を上がっていきます。
一駅だけのケーブルカーで上がっていくこともできます。
サクレクール寺院
丘の上に見えてきたのは白亜の「サクレクール寺院」です。
荘厳な雰囲気でした。完成は意外にも新しく1919年。第一次大戦のパリ講和会議の年です。
入場しましたが、ミサ中で撮影は禁止でした。写真はwikiより。
丘からはパリの街が一望できます。朝一で来たため静かでしたが、普段は観光客でごった返す場所です。
テルトル広場
テルトル広場も開店前。みんな絵やカフェの商売の準備中のようです。
モンマルトルは黒人の「ミサンガ売り」という悪党どもが出没する地帯らしいですが、朝早く行ったせいか悪党どももまだ未出勤。全く平和でしたね。
ダリ美術館もありました。
丘の向こう側を降りてみました。
モンマルトルのブドウ畑
なんとぶどう畑が。
これ、「ブラタモリ」でやってましたね。丘の向こうでぶどうを育ててワインにして、モンマルトルの歓楽街で消費するとか。
ブドウ畑のそばに歴史あるキャバレー「オ・ラパン・アジル」がありました。
ゴッホやルノワール、ロートレックら芸術家のたまり場となったお店です。
へんてこなオブジェがありました。「壁抜け男」というそうです。
壁から出ようとしている男w
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
ここは有名な「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」です。
ルノワールの名作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の舞台となったダンスホールです。
感動する〜!
ムーラン・ルージュ
これが有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」です!
ロートレックの絵や、映画「フレンチ・カンカン」などでも有名ですね。
ジャン・ルノワール監督(画家のルノワールの次男)の「フレンチカンカン」はとにかく楽しい映画でした。
ここでは綺麗なお姉さんたちの、華麗なショーを楽しめます。
プチ・トラン(白い機関車型の車)で、ムーランルージュ前からモンマルトルまでいけるみたいです。
ブランシュ駅から再びメトロに乗ります。パリのメトロって、アールヌーヴォーっぽいデザインでいいですね。
メトロ内はジプシーの少女スリ団が出没するので、スラれないようカバンのファスナー付近はぎゅっと握っておかないと駄目ですね。
地下鉄アルマ・マルソー駅に着きました。
アルマ橋 自由の炎
この金色のオブジェは、アメリカから贈られた「自由の炎」というもの。この真下のトンネルは、1997年英国のダイアナ妃が事故死した場所として知られます。
チャールズ王太子殿下とは前年に離婚が成立し、ダイアナ妃はすでに民間人となっていましたが、王太子はダイアナの遺体を引き取ることを決意。セントジェームズ宮殿に運び込み、幼き王子たちと涙の対面を果たしました。
エッフェル塔はもう間近に見えます。
アルマ橋そばの「バトー・ムーシュ」を利用して、セーヌ川クルージングしてみます。
バトー・ムーシュ
さあ、出発です。
アレクサンドル3世橋が見えますねえ。ちなみに当然のように中国人は大騒ぎw
この橋は、1900年のパリ万博の時に造られたそうです。名前でわかるようにロシアからの寄贈のようですね。ロマノフ朝最後の皇帝(ツアーリ)ニコライ2世の寄贈ですね。
フランスの国民議会(下院)が見えてきました。ブルボン宮殿を下院として使用しています。
オルセー美術館です。
反対側にはルーヴル美術館があります。
さてここで異変が。本来ならシテ島まで行くはずの船が、引き返してしまいました。どうもノートルダム寺院の火災の影響で、クルージングも制限されているようです。
まだアレクサンドルまで戻ってきちゃった。
この美しい橋は、ウッデイ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」のラストシーンに使われましたね。
逆にエッフェル塔方面を少しクルージングしていきます。
なんと自由の女神がありました。
ちょっと小型だけど、ニューヨークだけでなくパリにもあったのかw
もともとフランスからアメリカに贈ったものですからね。型はあるんでしょうねえ。
自由の女神をぐるっと廻って、アルマ橋に帰ります。
テレビのロケ?かな。人がぶら下がってますけど!
バトー・ムーシュ、けっこう楽しめました。
エッフェル塔
シャン・ド・マルス公園にやってきました。エッフェル塔近辺を散策していきます。
もう見えてきました。
芝生がふかふかで良さげな公園ですねえ。
登ろうとすると2〜3時間待ちとかいうことなので、外観だけにしときました。
エトワール凱旋門
さてその後は、メトロでエトワール凱旋門にやってきました。最寄駅はシャルル・ド・ゴール・エトワール駅です。
凱旋門の建設のきっかけになったのは、ナポレオンのアウステルリッツの戦い(1805年)の大勝利でした。
フランス大陸軍がロシア・オーストリア連合軍を相手に完勝した戦いで、ナポレオンのキャリアの頂点ともいうべき大一番でした。
完成したのは1836年。既にナポレオンは失脚、死去した後でした。
ナポレオンの戦いに関連したレリーフが刻まれています。
高さ50メートル。234段の螺旋階段を登っていきます。
12ユーロで屋上まで上がれます。
途中のメモリアルホールみたいなところでお休みしながら登れます。
上から下を見下ろすカメラ映像が見られる!
お土産ショップも様々。
さあ屋上テラスに登ってきました。
エトワール凱旋門を中心に、12本の通りが放射状に伸びています。
サクレクール寺院が遠くに見えています。
これがパリのメインストリート「シャンゼリゼ大通り」ですね。
ノートルダム大聖堂が見えます。早期復活のために世界の支援も必要ですね。
シャンゼリゼの反対側には高層ビル街がありました。
ナポレオン3世統治下のオスマン知事の都市計画(パリ改造)により、この美しい街並みが整備されていきました。
エトワール凱旋門から伸びる放射線状の通り。
それまでのパリは、路地が迷宮のように入り組み、上下水道などのインフラも整備されず不衛生極まりない街でした。
オスマンの改造によりパリは劇的に生まれ変わり、「世界の首都」と称えられるようになりました。
また螺旋階段で降りていきます。
アントワーヌ・エテックス「1814年の抵抗」
アントワーヌ・エテックス「1815年の平和」
リュード「ラ・マルセイエーズ(1792年の義勇軍の出陣)」
「無名戦士の墓」
第一次世界大戦で出たフランス150万人以上の戦死者が葬られます。
日本人にとっては第一次世界大戦って縁遠い戦争ですけど、フランス人にとっては史上最大の戦いだったんですよね。20代の男性がほとんどいなくなってしまった。フランスをはじめとするヨーロッパを事実上壊滅させた戦争でした。
ジャン・ピエール・コルトー「1810年の勝利」
ナポレオンがオーストリアを屈服させたウィーン条約を記念しています。
シャンゼリゼ大通り
「シャンゼリゼ大通り」を散策していきます。
フレンチポップスの「オー・シャンゼリゼ」で有名になりました。
マクドナルドもなんかシックですねえ。派手な色の看板は禁じられています。
アップルストアもかっこいいねえ。
統一された景観が美しいですね。高さ、色彩なども厳しく規制されます。こうしてパリの都市ブランドは維持されているのです。
しかし、このシャンゼリゼ通りも、デモの時は容赦なく略奪、放火されます。
この撮影の時の1ヶ月前のシャンゼリゼ通りの様子です。
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