パリ巡り【ロダン美術館、アンヴァリッド】

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ロダン美術館

街並みをぶらぶら楽しみながら、セーヌ川を渡り、ロダン美術館に到着しました。

フランスの大彫刻家オーギュスト・ロダンの作品を心ゆくまで堪能できます。

館内には後で入ります。

まずは庭園を散策します。遠くに金色のドーム屋根の廃兵院が見えます。

庭園には随所にロダンの名作が設置されます。いきなり見えてきました。

オーギュスト・ロダン「考える人」

1902年の作品です。

世界で最も有名な彫刻作品ですね。

オリジナル鋳造のものでも、世界に30体ほどあります。東京にも京都にもあります。

オーギュスト・ロダン「地獄の門」

「地獄の門」です。

ロダンが40年近くかけて制作し、ついに未完に終わった大作です。

ダンテの「神曲」を題材に、人間の生の苦悶を表現しようとしました。

「考える人」も刻まれます。

オーギュスト・ロダン「カレーの市民」

1926年鋳造です。

英仏百年戦争で敗れたカレー市民の悲劇を描いています。

オーギュスト・ロダン「バルザックの像」

1898年の作品です。

文豪バルザックを刻んだ作品ですが、制作当初は「ヒキガエル」と言われ、ボロクソの酷評でした。

オーギュスト・ロダン「ウゴリーノ」

池の中心に置かれるのは「ウゴリーノ」です。

この作品もダンテの「神曲」を題材にしています。

さて、館内に突入してみます。

オーギュスト・ロダン「花飾りのある帽子をかぶった若い娘」

1870〜1875年の作品です。

ロダンが長年連れ添って、最後は入籍もしたローズ・ブーレをモチーフに作成しました。

オーギュスト・ロダン「鼻のつぶれた男」

1875年の作品です。ロダンの出世作のひとつ。

オーギュスト・ロダン「ディアナ」

1875〜1879年の作品です。

オーギュスト・ロダン「Young Girl With Two Roses」

1870〜1880年の作品です。

オーギュスト・ロダン「若い女性と子供」

1870〜1875年の作品です。

オーギュスト・ロダン「クルシェ夫人」

1877年の作品です。

オーギュスト・ロダン「タイタンたちの台座」

1878年の作品です。

オーギュスト・ロダン「青銅時代」

1877年の作品です。

ロダン36歳の時の出世作です。実際の人間から型をとったんじゃないか?と疑われるほどの完成度でした。

オーギュスト・ロダン「洗礼者ヨハネ」

1880年の作品です。

オーギュスト・ロダン「永遠の青春」

1880年の作品です。

オーギュスト・ロダン「接吻」

1888〜1898年の作品です。

オーギュスト・ロダン「Illusion, Sisters Of Icarus」

1894〜1896年の作品です。

オーギュスト・ロダン「The Secret」

1909年の作品です。巨大な手!

カミーユ・クローデル「Vertumnus And Pomona」

1886〜1905年の作品です。

43歳のロダンの元に、才能ある19歳の女性カミーユ・クローデルが弟子入りします。

カミーユ・クローデル

後に映画でカミーユを演じたイザベル・アジャーニに似てますね!

カミーユ・クローデル「分別盛り」

1893年の作品です。カミーユとロダンは、いつしか泥沼の愛にはまっていってしまいます。ロダンは長年連れ添ったローズを裏切れず、中途半端な三角関係が続きました。そしてカミーユの妊娠中絶をきっかけに別れの時がきます。

ロダンを醜い老婆のローズが連れ去っていく。カミーユは「行かないで〜」みたいにすがりつこうとする。衝撃の作品です。ロダンと別れた後、カミーユは精神を病み、世間からも忘れ去られていきます。

絵画の傑作も見られます。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「タンギー爺さん」

1887年の作品です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「The Harvesters」

1888年の作品です。

オーギュスト・ルノワール「裸婦」

1880年の作品です。

エドワルド・ムンク「ロダンの考える人」

1907年の作品です。

ルネ・アヴィグドール「Rodin In His Studio」

1897〜1898年の作品です。

今まで何度も「パリに行ったらロダン行ったほうがいいよ!」と言われて、来てみましたが正解でしたね。

アンヴァリッド(廃兵院) 

ロダン美術館のすぐそばのアンヴァリッド(廃兵院)を訪問しました。もともとはルイ14世の時代に、傷病兵を看護する施設として建造されました。だから「廃兵院」なんですね。

軍人がセキュリティチェックをしていました。今現在も傷病兵や傷痍軍人に暮らしているそうで、軍が管理に関与しているのですかね。

フランス革命の発端となった「バスティーユ監獄」襲撃の前に、パリの民衆が襲ったのがアンヴァリッドでした。

パリの民衆はこのアンヴァリッドで武器を奪い、その後に弾薬を求めてバスティーユに向かいました。

ドーム教会に入場していきます。

19世紀になってルイ・フィリップ王朝の時に、ドーム教会内に地下墓所がもうけられ、ナポレオンの棺が置かれました。

ドームの天井です。

中央祭壇です。

まるでサン・ピエトロ大聖堂です。

この教会では、ナポレオン関係者のみならず、フランス軍に貢献した人物がまつられています。

フェルディナン・フォッシュ元帥の墓

第一次大戦時のフランス軍元帥です。

フォッシュ元帥は、名言を多く残した猛将として知られます。

我が軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能。状況は最高、これより反撃する。(マルヌ会戦において)

これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ。(ヴェルサイユ条約をさして)

フォッシュの予言通り、ヴェルサイユ条約調印の20年後、独仏は再び開戦することになります。

ユベール・リヨテ元帥の墓

19〜20世紀のフランス陸軍元帥ユベール・リヨテの棺らしい。

ヴォーヴァンの墓

ルイ14世に仕えた軍人兼建築家のヴォーヴァンの墓です。

ヴォーヴァンは築城の名手として知られたそうです。函館五稜郭で知られる星形要塞の元を考案した人だそうな。

ジョゼフ・ボナパルトの墓

ジョゼフはナポレオン1世の兄です。

弟の七光りで、ナポリ王、スペイン王(ホセ一世)になりましたが、ナポレオン没落後は亡命しました。

さあ、ナポレオンの地下墓所が見えてきました。

地下墓所へ降りていきます。

棺が見えてきました。

地下回廊は、ナポレオンの戦いを刻むレリーフがあります。

ナポレオンも、スペイン戦線とロシア遠征さえしなければ、没落せずに済んだろうに。

ナポレオン・ボナパルトの墓

ここに英雄ナポレオンが眠るんですねえ。

ナポレオンは、1821年に大西洋の孤島セントヘレナ島で死去しました。その後、1840年にその棺はフランスに帰還し、今はここアンヴァリッドに眠ります。

ナポレオン二世の墓

ナポレオン二世の墓がありました。ナポレオンと、ハプスブルグの皇后マリー・ルイーズの間の子です。

ナポレオン二世は、ナポレオンが一時権力を取り戻した時に、2週間だけフランス皇帝になりました。再没落後はハプスブルグ家に引き取られ、「ライヒシュタット公」として飼い殺し状態に。父に憧れながらも病魔に取り憑かれ、21歳の若さで死去しました。

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