終戦の日に、終戦時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎記念館を見学に行きました。
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鈴木貫太郎は、ブログ主がもっとも尊敬する人物の一人です。
東武動物公園駅
今回意を決して、訪問してみました!記念館がある場所は、千葉県野田市の関宿という街です。
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東武伊勢崎線の東武動物公園駅で下車。
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その後、朝日バスという路線バスに乗ります。
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「境車庫行き」に乗って、「関宿台町」バス停下車すぐです。20〜30分近く乗ってた気がする。この土地が鈴木貫太郎を育み、そして終焉の地となった関宿です。
鈴木貫太郎記念館
早速、記念館に入ってみたいと思います。
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迫水書記官長(現在の官房長官)の筆によるもの。
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自筆の「萬世の為に太平を開く」は、もちろん昭和天皇の終戦の詔勅からとられています。
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さっそく見学に行きたいと思います。
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ちなみに入場は無料です。
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鈴木貫太郎は1867年生まれ。(ちなみに江戸時代生まれの最後の総理大臣です) 関宿藩士の子として生まれましたが、生誕地は関宿藩の飛び地の大阪の堺でした。でも生まれてすぐ関宿に戻ります。
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1884年貫太郎は、海軍兵学校に入学し、以後帝国海軍軍人としての道を歩んで行きます。海軍時代は「鬼貫太郎」と言われるくらいの、猛訓練で知られました。1894年の日清戦争では水雷艇を率いて、敵艦目前まで突っ込んでいき、敵艦と刺し違えるような戦いを、何度も何度もしています。
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日露戦争の最後の決戦である日本海海戦でも、駆逐隊司令として活躍しました。
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その後、海軍大将(1923)、連合艦隊司令長官(1924)、海軍軍令部長(1925)と、海軍の重要ポストを務めていきます。
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海軍大将の大礼服ですね。
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大礼服用の帽子です。
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1929年侍従長に任命されます。ここで後に「聖断」「終戦」を成し遂げる昭和天皇との信頼関係が生まれます。同じ頃、陸軍の阿南惟幾(あなみこれちか)も侍従武官として宮廷にあり、のちの大舞台の人脈が形成されていきます。
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昭和天皇の貫太郎への信頼が厚くなっていた理由としては、貫太郎の妻タカが幼き日の昭和天皇の養育係を務めていたことも関係していると思われます。
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しかし1936年衝撃の事件が、雪の東京で発生します。二・二六クーデター。安藤少尉率いる陸軍青年将校らが、鈴木邸を襲い、貫太郎も四発の銃弾を眉間、心臓付近に受けます。
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ここで妻タカのナイスプレーが出ます。とどめを刺そうとする将校たちを押しとどめたのです。タカとしてはまだ息のあるうちに、せめて別れの言葉を交わしたい、という気持ちだったのですが、銃弾は奇跡的に急所をそれており、一時は心肺停止になりながらも、貫太郎は蘇生します。
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一方、貫太郎ら重臣の遭難を知った昭和天皇の怒りは凄まじく、クーデーター派を終始一貫「賊軍」と呼び、断固鎮圧を命じました。陸軍上層部が一時クーデター派になびき始めると、さらに激昂。
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「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接近衛師団を率いて反乱部隊の鎮圧に当たる」
と、強烈な言葉で意志を表明しました。信頼する貫太郎たちを襲われたことが許せなかったのでしょう。
やがて1941年、対米英戦(大東亜戦争)が開戦。この頃の貫太郎は最早70歳を超え、相談役のような地位にいました。
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この頃の貫太郎で、好きなエピソードがあります。山本五十六連合艦隊司令長官の戦死は、当初秘密にされていたのですが、嶋田繁太郎海軍大臣がポロッと洩らしてしまいます。驚いた貫太郎は「山本くんは死んだのか?それはいつの事だ?」と問うと、嶋田は「海軍内部の事なので申し上げられません」と誤魔化そうとしました。それを聞いた貫太郎は、日頃の穏和さをかなぐり捨て、烈火の如く怒ったといいます。
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「俺は帝国の海軍大将である。大切な武人を失ったというのに、その答弁は何であるか!」
戦局は日に日に悪化し、遂にサイパンも陥落。東条内閣は総辞職します。本土空襲も始まり、1945年3月10日の東京大空襲で首都は壊滅しました。
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何としても、これ以上犠牲を増やさず、和平の道を開きたい。そう願った昭和天皇が、次期総理に白羽の矢を立てたのは、77歳の鈴木貫太郎でした。勿論貫太郎は固辞します。
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「自分は武人であって、政治家としては素人だから何卒お許しください」
昭和天皇は貫太郎に言いました。
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「おまえの言いたい事もおまえの気持ちもよくわかる。だが、戦争の激化しているこの重大な局面において、もう他に人はいないのだ。鈴木よ、だから、どうか、頼むから、引き受けてくれ」
天皇に「頼む」と言われた者など未だかつていない。そこまで言われたら断れない。貫太郎は「軍人は政治に関わらない」という自らの主張を捨て、大命を受けることになります。
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貫太郎が組閣して間もなくの4月12日、アメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領が病死します。ドイツ政府は「最大の戦争犯罪人が地上から消えた!」など罵声を浴びせます。まあそれが当然でしょう、戦争中なんだから。ところが貫太郎は弔意をあらわすんですね。
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「米国側が今日、優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力によるものである。であるから私は、大統領の死が米国民にとって非常な損失であることが理解出来る。ここに私は深い哀悼の意を米国民に表明する次第である」
民間人を焼夷弾で攻撃するような連中に対しても、武士道精神で接する。精神性では勝ってる。アメリカに亡命中だった作家のトーマス・マンに感銘を与え、翌日の米紙をも驚愕させた、このエピソードも私は大好きです。
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そしてこの弔意は、アメリカに対する「講和の意志アリ」っていうメッセージだったのではなかったかと思ってます。貫太郎は国内の主戦派に悟られずに、戦争を終わらす舵取りを任されていました。
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さて総理となった貫太郎は、意外にも老獪な狸ぶりを発揮します。軍部に対しては「徹底抗戦」を同調しつつ、都合が悪くなると耳が遠いフリをしてとぼける。(実際に耳はかなり遠かったそうですが)
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そのうち大詰めを迎えます。6月に沖縄が陥落。7月ポツダム宣言が出され、意見が様々に分かれます。8月に入り、広島が核攻撃を受けます。戦争終結のための御前会議が開かれますが、果たして国体護持が本当に出来るかどうかで、完全に意見が分かれ、煮詰まってしまいます。
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そこで、貫太郎が禁じ手を使います。天皇に対して「聖断」を求めたのでした。ふつう御前会議といえど、この種の会議で天皇が自分の意見を言うことは無い。でも戦争終結のための、最後の手段でした。昭和天皇は言います。
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「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」
この瞬間にポツダム宣言受諾の方向性が決定づけられました。
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その後まだごちゃごちゃ続きますが、8月14日から15日に、阿南陸軍大臣の自決、青年将校クーデターの失敗、玉音放送と決定的瞬間を迎えます。戦争は終わった。
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そして1945年8月17日、全てにケリをつけて、鈴木貫太郎内閣総辞職。男子の本懐とはまさにこのことではないでしょうか。
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戦後の貫太郎は、故郷の関宿に戻り、農業に従事します。関宿に酪農を根付かせるための活動をして、余生を過ごすことになります。
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そして1948年4月、80歳で永眠します。最期の言葉は「永遠の平和」でした。遺灰の中からは、二二六事件のときに受けた弾丸が出てきたそうです。
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