宇和島巡り

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卯之町駅

宇和島城が目的地ですが、その前に卯之町(うのまち)によってみました。

JR線卯之町駅です。

普通のローカル駅という感じですね。

古い町並が保存されてる趣のある町ですね。

高野長英隠れ家

ここか!高野長英は長崎でシーボルトに学び、天才蘭学者としての名声を得ました。が、幕府の鎖国政策に批判的だったことから、蛮社の獄の際に拿捕・入獄させられました。

しかし自由を求める長英は、脱獄に成功。約7年も幕府の追っ手を振り切り、逃亡し続けました。宇和島藩(藩主・伊達宗城は開明的だった)に匿われ、ここ卯之町にも潜伏していた時期があったのです。

長英が卯之町にやってきたのは、二宮敬作を頼ってのことでした。二人はシーボルト鳴滝塾の同門です。二宮敬作はシーボルトの遺児・楠本イネを指導し、日本初の女医(産科医)に育てました。

宇和先哲記念館

ちょっと覗いてみるか。

二宮敬作とイネの生涯について展示されてました。

イネはハーフでしたから、様々な偏見・差別にさらされました。しかしそれを乗り越え、女医という新たな道を切り拓きました。

↓右から父・シーボルト。イネがまだ乳飲み子の時に、(シーボルト事件で)追放されてしまいました。開国後、長崎に戻ってきたシーボルトと30年ぶりの再会を果たしましたが、親子関係はあまりしっくり来なかったようです。乳飲み子以来、30年ぶりに会っても他人と一緒だしね。しかもイネは父を神格化してイメージしてましたが、実際に会ったシーボルトは老人のくせに早速お妾を作るなど、イネを幻滅させました。

村田蔵六とは大村益次郎のことです。長州人ですが、長英なき後の宇和島藩に招かれ、宇和島藩の近代化に尽力しました。この地でイネに蘭学を指導したことから、司馬遼太郎の「花神」では恋仲として描かれました。大村が大阪で死去した際に、その死を看取ったのはイネでした。

卯之町の歴史的景観は見事。

江戸中期から昭和初期の商家の町並みが続きます。

さて、引き続いて宇和島市へと移動します。

JR宇和島駅

宇和島は闘牛で有名な町です。

とりあえずお城にいきます。

宇和島城

お城入り口。

ここから標高80メートルくらい登りがあります。

宇和島城はもともと戦国大名・藤堂高虎が築きました。

その後、伊達秀宗(政宗の子)が入府し、天守などは伊達によって築かれました。

宇和島城の井戸です。

山里倉庫

藩政時代に武器庫として作られたとか。

宇和島の偉人について展示されています。

幕末の英明藩主・伊達宗城(むねなり)は、高野長英・大村益次郎らを招き、蒸気船の開発に成功するなど藩の近代化に尽力しました。

三瀬高子とはシーボルトイネの娘ですね。美女として知られます。

漫画家の松本零士は、この高子が理想の女性らしい。そこから派生して「三瀬高子をモデルにメーテルを描いた」という話になってるみたい。

さあ、いよいよ天守が見えてきました!

宇和島城・天守閣

現存十二天守の一つです。

右が明治以後に伯爵となった伊達宗城公です。

宇和海のリアス海岸が見えます。養殖など水産業が盛んな地域でもあります。

この入り江に海防のために「樺崎砲台」が築かれました。

↓市HPから拾った「樺崎砲台」の画像。高野長英が設計。宇和島藩の先進性を示すものですね。

登りがあったから山城かと思ったら、城の西は海なので「海城」になるんですね。

城の南側に降りてみました。

これが児島惟謙(こじまこれかた)の像です。児島も宇和島出身の偉人で、明治時代の裁判官です。1891年、大津事件(ロシア皇太子ニコライ暗殺未遂事件)の際に、伊藤博文ら明治政府首脳は狼狽。ロシアを恐れるあまり、司法に介入し「犯人を死刑にすべし」という圧力をかけました。児島はそれをはねのけ、法律通り「無期徒刑」の判決を出しました。児島が信念を貫いて「司法権の独立」を守り通したことにより、国際社会はかえって日本を「近代法治国家」として認めることになったのです。

おっ!スポーツの強豪校・宇和島東高校です。

野球部のユニホームの「UWAJIMA EAST」の表記は笑えましたね。ヤクルトの岩村、オリックスの平井などプロ野球の名選手も輩出しています。

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