三笠公園
横須賀紀行です。
やってきました。三笠公園。
ここでは日露戦争の日本海海戦の殊勲艦・戦艦三笠を見ることができます。
連合艦隊司令長官として日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎元帥です。
そして日本海海戦の始まりの時に掲げられたZ旗の意味する言葉がこれ。
「皇国の荒廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
日露戦争には本当に名文句・名台詞が多く、それを思い浮かべるだけで、熱いものが込み上げてきます。それはきっとこの戦いが、日本民族の一大叙事詩であったからではないでしょうか。
記念艦三笠
美しく旭日旗がはためきます。今も海上自衛隊の軍艦旗として使われます。
この大砲はロシア海軍ディアナ号のものらしいですね。日露戦争の40年前、ロシアのプチャーチンが日露開国交渉のため、来航した時の船です。
Z旗、出た!「旗流〜、Z!」
皇軍の軍艦には菊の紋章が飾られます。
さあ、入場していきます。
おお、いきなり大砲。
30cm連装砲塔のお出迎えです。
無線電信室です。実はここが日本海海戦のポイントとなった部屋なのです。
ロシアのバルチック艦隊の進路がわからないのが、連合艦隊の悩みの種でした。対馬海峡にくるか、それとも太平洋から津軽海峡か宗谷海峡か。
バルチック艦隊の針路を確実にしたのが、哨戒船「信濃丸」からの情報でした。「敵艦見ゆ」のモールス信号を受信したのが、この三六式無線機です。
15cm砲室です。
8cm砲台です。
ちょっと上がってみます。
ここが艦橋です。
司令官はここで指揮を取るはずでしたが・・
東郷平八郎長官は「危ないですから」と屋内艦橋での指揮を勧める部下に対して・・
「ここが一番見えるから」と露天での指揮をとることを伝えました。
鉄鋼の艦橋にこもってしまったロシアのロジェストヴェンスキー中将とは対照的でした。ここが東郷平八郎が立ち続けた位置です。
そして東郷の知恵袋となった秋山真之参謀の位置。
いよいよ決戦!
有名な「三笠艦橋の図」です。
この後は艦内の展示を見学していきます。なんと操艦シミュレーターです。
私はゲームやらないから、こういうのは苦手なんだよなあ。
ぐわ〜!!衝突!
またVR日本海海戦も楽しめました。
東郷元帥の視点で海戦を体験できます。面白かった。
連合艦隊司令部の記念撮影です。
前列中央が東郷元帥。前列右端が秋山真之参謀です。
長官公室です。
長官の浴室。
長官の寝室です。
連合艦隊・先任参謀となったのが、秋山真之中佐です。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公として、全国的に有名になりました。
秋山の書いた書簡。東大予備門から海軍兵学校首席という秀才でした。名文家としても知られます。
当時の秋山の居室は、現在残ってませんが、同タイプの部屋の様子です。ここで秋山はバルチック艦隊を殲滅するための作戦を考え抜きました。
しかしその秋山をもってしても、バルチック艦隊の針路に確信を持てなかったのです。対馬海峡に来るのか?それとも津軽海峡、宗谷海峡か?
ここが参謀長公室です。
迷いぬいた秋山に大きなヒントを与えたのが、前参謀長の島村速雄でした。
「対馬海峡に来るに決まっちょる。向こうが少しでも戦を知ってたら、対馬以外ない」と島村は断言しました。島村たちは連れ立って、東郷の判断を伺いにいきます。
島村が「長官は、バルチック艦隊がどの海峡を通ってくるとお思いですか」と聞いたら、「小柄な東郷は座ったまま島村の顔をふしぎそうにみている。・・・『それは対馬海峡よ』と言いきった。東郷が世界の戦史に不動の地位を占めるに至るのはこの一言によってであるかもしれない」(司馬遼太郎「坂の上の雲」)
東郷の衣服の数々。
実際には東郷長官もかなり迷っていたらしく、決断を伸ばしていたところ、「敵艦見ゆ」の情報が飛び込んできます。大本営宛に、有名な電報が発信されます。
「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃沈滅せんとす」という暗号文に、秋山真之が平文で「本日天気晴朗なれども波高し」という名高い文句を書き加えました。
いよいよ会敵。バルチック艦隊が対馬にやってきました。運命の日は1905年5月27日。
東郷元帥の書です。
日本海海戦では、有名な東郷ターンが行われました。緑が日本、赤がロシアです。
普通、すれ違って撃ち合うところ、日本艦隊は敵前回頭し、ロシア艦隊を通せんぼする形になりました。
ロシア艦隊を一隻も逃がさない、という捨て身の戦法でした。
凄まじい撃ち合いを制したのは連合艦隊でした。
バルチック艦隊は38隻中、21隻沈没し12隻は拿捕など無力化。日本の連合艦隊は水雷艇をわずか3隻失っただけの、まさに完勝。戦史に残るパーフェクトゲームでした。この戦いによってロシアは態度を軟化させ、講和会議の席につくことを承認しました。まさに日露戦争の帰趨を決した戦いだったのです。
横須賀名物海軍カレーです。
そして有名な東郷ビールです。
当時ロシアの南下に苦しめられたフィンランドで、日本の勝利を祝して「東郷ビール」が販売された、という伝説がありました。(実際はずっと後に発売されたらしい)
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