佐賀県の弥生時代の遺跡・吉野ヶ里遺跡にやって来ました。
JR吉野ヶ里公園駅
ぶらぶら歩いて向かいたいと思います。
駅から歩いて15分くらいでしょうか?ほぼ一本道なので、分かりやすい。
吉野ヶ里遺跡
到着しました。
環濠
さあ、入場していきます。まずは環濠に行ってみます。環濠集落とは、周りにお堀をめぐらせた集落のことです。
木の冊があります。戦闘要塞ですね〜。
このお濠に水を入れて敵の攻撃を防ぐ感じですか〜。
逆茂木(さかもぎ)といって、敵の侵入を防ぐバリケードです。
弥生時代になり、稲作が本格的になると、水や土地を巡った争いが多くなったためだと思われます。
南内郭
南内郭は、支配者層(王や大人(たいじん)たち)が生活をしていた場所と考えられています。
物見櫓4棟、竪穴住居11棟の他、集会の館や煮炊き屋など、合わせて20棟の建物が復元されています。
物見櫓(やぐら)です。敵の接近などの異常事態をいち早く察知するための施設です。
櫓には上がることもできます。なかなかの見晴らしでした。
大人(たいじん)たちの集会所です。ここに王や大人たちら支配者層が集まり、会議をしたり儀式をしたりしたと考えられています。
大人の家です。
ここは外交を取り仕切る大人の家のようです。今でいえば外務大臣でしょうか?
王の妻の家です。
女性は機織りという役割分担だったんですかね。
ここは王の家です。
王が家族とともに暮らす家のようですね。
北内郭
ここは王の宮殿で、集落の最重要地域です。ここで田植えや稲刈りの日程、戦いや狩りなどについて話し合われました。なんか威厳ありますねえ。
さすが守りも厳重。指導者たちだけが出入りできた神聖な場所だったようですね。
ここが主祭殿。高さ16mで復元されています。
ここで行われているのは指導者達の会議です。
また最高司祭者の祈りの儀式などが行われました。
巫女が神がかりになって、神のお告げを伝えるんですね。
ここは斎堂です。最高司祭者(巫女)が身を清めたり、儀式に使用される道具などが置かれたと推定されます。
墓域
さてお墓の区域に入っていきます。まずは甕棺墓列(かめかんぼれつ)です。吉野ヶ里遺跡では長さ600mに二列にわたって、甕棺という、北九州独特の棺桶が埋葬されています。
この盛り上がりの中に甕棺があります。
内部はこんな感じです。
これは祠堂といい、祖先の霊に祈りを捧げる建物です。
祖霊の宿る柱です。北墳丘墓を守る祖先の霊が宿っていると考えられています。
北墳丘墓です。2100年前の吉野ヶ里の歴代の王の墓と考えられています。
南北40m、東西27mと巨大な墳丘墓です。
吉野ヶ里遺跡の歴代の王が眠っていると思われるだけに、別格の規模の大きさです。
遺構面と甕棺は、本物が展示されています!
この地域から14の甕棺と、それぞれ高い身分を示す副葬品が出土されています。
眠る王の再現!
最適の保存状況にするため、湿度調整が行われています。
埋葬の様子のミニチュアです。
農村
さて、南部には農村が広がります。「南のムラ」と呼ばれる区域で、庶民たちが暮らし、支配者たちの生活を支えました。稲籾の倉は当然高床式です。
倉いっぱいになるまで収納します。
農村では、稲作だけでなく養蚕も行われていました。
邪馬台国を記述した「魏志倭人伝」でも、すでに弥生時代に日本で養蚕が行われていたことが書かれていますね。
なかなか高度な弥生時代の生活の一端がわかって、勉強になりました。
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