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小6上巻11回「政治・外交史⑵」

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f:id:mejirorock:20210313015824p:plain 小6上巻11回

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今回は歴史の復習のパート2です。主に中世史です。類似点の多い鎌倉幕府と室町幕府の整理をしていくことがポイントになります。

 

鎌倉時代・・・幕府政治のはじまり

鎌倉時代の成立時期は1192年に源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた時とするのが主流でした。現在は1185年に源頼朝が全国に守護・地頭の設置を認めさせた時からとする説も出てきています。

鎌倉時代の秩序維持の原理として、封建制度は押さえたいところです。

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現在のサラリーマンと似ていて、ギヴ&テイクの契約関係にあります。御家人は命がけで幕府のために戦い(奉公)、それに対して将軍は領地を保証(御恩)します。

このタテの関係が破綻した時、御家人は幕府を見放すことになります。それが現実化したのが元寇後の動きです。命がけで元を撃退したものの、対外戦争のため幕府には分配する領地がなく、恩賞が不足します。不満を抱いた御家人たちの中から、次第に討幕勢力が生まれていくのです。

 

幕府の仕組みとしては、執権(将軍補佐)が重要です。頼朝の妻の一族である北条氏が世襲しました。この補佐役は3つの幕府で全て名称が違うため、問われやすいところです。

  • 鎌倉幕府・・執権
  • 室町幕府・・管領
  • 江戸幕府・・老中(臨時の最高職は大老

 

鎌倉時代の原理として、ヨコの動きも押さえておきたいところです。これは東西二重支配のこと。

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東に幕府あれば、西に朝廷あり。鎌倉時代にはまだまだ強力な西方政権として、京都朝廷が君臨していました。

この東西対決が爆発したのが1221年の承久の乱です。倒幕の大号令を出した後鳥羽上皇に対して、北条政子の名演説に鼓舞された幕府軍は怯むことなく戦い、哀れ上皇は隠岐配流の憂き目に遭いました。以後、京都には朝廷監視のために六波羅探題が置かれることになります。

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京都・六波羅蜜寺の中に六波羅探題の面影がある

ちなみにこれの覚え方は

承久の乱 1221年→で六波羅探題

 

また1232年の御成敗式目の制定も、二重支配と関係しています。農村では朝廷側の「荘園領主」と、幕府側の「地頭」による土地をめぐるトラブルや訴訟が多発していたのです。御成敗式目は土地や財産に関しての規定も多く含まれていました。しかもそれは鎌倉御家人に有利なわけでなく公正なルールであったため、朝廷側にも受け入れられていきます。制定者は人格者として知られた北条泰時なので、さもありなんと言ったところか。

 

幕府の執権の中で覚えるのは3人です。2代義時(政子の弟、泰時の父)、3代泰時、8代時宗です。「よし、やすむね」にすべて「+」をつける、と覚えます。

  • 承久の乱・・・2代義時
  • 御成敗式目・・3代泰時
  • 元寇・・・・・8代時宗

 

室町時代・・将軍と守護大名の政治

 鎌倉倒幕後に後醍醐天皇による建武の新政が行われますが、武士を軽視したため、すぐに足利尊氏らの離反を招きます。以後、足利派の京都北朝と、後醍醐派の吉野南朝に分かれ、60年にもおよぶ南北朝の動乱が始まります。

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吉野山の南朝皇居「後醍醐帝の玉座」

この動乱の中で、尊氏が守護に大きな権限を与えたため、守護は地頭を支配し、守護大名となっていきます。室町幕府は征夷大将軍の力はそれほど強くなく、守護大名による連合政権の色彩が強い政体でした。

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 将軍は最盛期の3代将軍・足利義満と、衰退期の8代将軍・足利義政を覚えておきましょう。対にして覚えるのが良いかも。

足利義満 

  • 南北朝合一(1392)
  • 勘合貿易
  • 花の御所造営
  • 北山文化(鹿苑寺金閣、能)

 

足利義政

  • 応仁の乱(1467〜)
  • 東山文化(慈照寺銀閣、水墨画)

 

 

鹿苑寺金閣

慈照寺銀閣

戦国時代・・下剋上の世の中

応仁の乱の後、100年もの戦国時代に突入します。下剋上の風潮が高まって、多くの戦国大名が出現しました。毛利元就、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗・・これほどの英雄・豪傑が一時代に集中したのは世界史的に見ても稀のような気がします。

忘れられがちですが、戦国大名たちは領国を治めるため、それぞれ分国法を定めました。今川仮名目録や信玄家法が有名ですね。

戦国時代に海外から伝わったものとして、①キリスト教鉄砲の2つを押さえておきたいところです。特に鉄砲は戦い方そのものを変化させる影響を与えました。足軽鉄砲隊や城の石垣などです。

これらを伝えたのは南蛮人と言われるポルトガル人、スペイン人(カトリック)でした。少し遅れて来日するプロテスタントのオランダ人、イギリス人は南蛮人と区別して紅毛人と呼ばれました。

 

安土桃山時代・・信長と秀吉の政治

織田信長の生涯は地図と絡めて覚えたいところです。

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ア・・桶狭間の戦い(1560年)

イ・・長篠の戦い(1575年)

ウ・・安土城(1576年)

エ・・本能寺の変(1582年)

 

織田信長は「天下布武」の印を使い、乱世を武力で統一しようとしました。

信長の城・安土城天守の再現

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信長の食卓(商人津田宗及の日記からの再現模型)

楽市の風景(模型)

↓現在の安土城下。この通りに楽市楽座が置かれたという。

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信長は徹頭徹尾「革命家」でした。楽市楽座、関所の廃止、比叡山焼き討ちなど、古い秩序や既得権益を徹底的に破壊しました。信長は秦の始皇帝、チェーザレ・ボルジアなど海外の英雄と比較されることが多いですが、やはりちょっと日本人離れした感覚の持ち主ですよね。

 

その信長の跡を継いだのが豊臣秀吉。関白・太政大臣となり、大阪城を築城。天下に号令します。

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秀吉は刀狩令太閤検地など、身分の固定につながる政策を打ち出しています。

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農民に近い下層階級から、成り上がって天下人になった秀吉は、自分が天下をとった後はすかさず身分の固定をしていきます。これを兵農分離と言います。