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朝鮮戦争歴史巡り

丹東(北朝鮮との国境)観光

瀋陽北駅から南下していきます

チャイナ版新幹線を使います。

遼寧省の東南部の丹東が目的地です。

丹東は北朝鮮との国境の町として知られます。鴨緑江という川を挟んで、向こう側が北朝鮮になるという。丹東市は満洲国時代は安東と呼ばれていたそうですね。

 

丹東駅に到着しました。

美容整形の広告がやたら多かった!朝鮮族も多いだろうからそっち向けかしら?

ビフォアフターw 

丹東駅前です。

毛沢東の像はどこに行っても立ってますね。

鴨緑江沿いは観光名所で人がいっぱい。もっと寂しい町かと思ってましたが、意外にも賑やかな観光地でした。

お昼ご飯をいただきましょう。

鴨緑江でとれたエビです。

鴨緑江ビールにはちゃんと橋が架かってますね。

丹東の北方25キロくらい北上すると、虎山長城があります。まずはここから観光していきます。とりあえずバスで移動して、車窓の雰囲気を楽しみます。対岸が北朝鮮です。

中州があるところは本当に近い。朝鮮戦争の時に、中共軍は義勇軍の名目で参戦しましたが、この辺りから渡河したみたいですね。

近すぎでしょう。

まずは一歩跨を目指します。

一歩跨」という展望所です。ここは川を挟んで数メートルのところに、北朝鮮が見える!

近い!向こう岸が北朝鮮ですよ!

虎山が見えます。

一歩跨の土産物店はへんてこで面白かったですね。

朝鮮グッズが多かったです。

朝鮮人参やね。

北朝鮮のお金!実物です。

弾丸酒w

手榴弾酒w

なんでこんな好戦的なんだよw

鴨緑江付近に戻ってきました。

朝鮮戦争の義勇兵の像ですね。

なぜかマトリョーシカ?

さあ、鴨緑江断橋に行ってみます。

ここは朝鮮戦争の戦跡です。

中共義勇兵の像が美化されてありますね。

まさに社会主義のイメージぴったり。

これが中共義勇軍参戦の日です。

当初は参戦を渋ったシナ共産軍でしたが、金日成やスターリンの参戦依頼を断りきれず参戦を決意しました。その代わり「正規軍」としてでなく、あくまで「志願兵・義勇兵」の形式をとりました。アメリカとの全面対決はやはり怖かったのです。

しかし中共義勇軍は(人的損耗を一切厭わない)人海戦術や、ソ連からの最新鋭兵器の供与、日本軍の残留兵器、または地の利などを活かし、マッカーサー率いる国連軍に大打撃を与えます。1950年12月のことでした。

対して国連軍は知将リッジウェイ中将を副参謀長に投入し、体制を立て直して反撃に転じます。戦線は膠着状態に陥り、1953年板門店で休戦協定が結ばれ、現在に至ります。

鴨緑江断橋と並行してかかる橋が、中朝友誼橋です。鉄道や自動車も通れて、物資の行き来が行われています。

 

鴨緑江断橋は、もともとは日本が造った橋でしたが、朝鮮戦争の時に国連軍の爆撃で破壊されてしまいました。1950年11月のことでした。

この真ん中の道は鉄道が通ってたんですね。

左岸が北朝鮮の新義州、右岸がチャイナの丹東で、対照的ですね!

回転可動ができたみたいですね。

 

橋の中央は北朝鮮を臨める公園として、観光名所になっています。

 

対岸は北朝鮮の新義州という町です。

なるほど。米帝によって破壊されたままの姿で保存してるわけか。

中朝友誼橋は一方通行で、チャイナ→北、北→チャイナは時間帯によって通行方向が決められてるみたいです。鉄道も通れます。

鴨緑江は遊覧船にも乗れます。

乗ってみます。

船、ボロいぞ。まあ沈まなければいいけど。

ちなみに鴨緑江は両国とも航行自由です。川の上に国境ラインは設定してないそうです。

こちらが新義州。

こちらが丹東。

断橋の先っちょが見えます。つい先ほどあそこにいました。

再び北朝鮮側の風景です。

でもこれでも少しはマシになったみたいですよ。昔は最高で3階建てより高い建物はなかったそうだから。

北朝鮮の船が見えますね。誰かが手を降ったら、向こうも手を振り返してきました。

現地の北朝鮮人を初めて見た。

貴重な経験をしました。

この後は、なんと北朝鮮国営レストランで晩ご飯。北朝鮮の料理を楽しめます。北朝鮮に金を落とすのはシャクですが。

北朝鮮女子がウエイトレスしたり、歌を歌ったりしてくれます。この女子達は、1年間限定でチャイナへ語学留学しながら、接客業に従事してる娘たちみたいです。ただほとんど笑顔はなくマシンのようでしたね。

北朝鮮ビールにキムチ。

鴨緑江ホテルに宿泊です。

NHK国際放送が映るので見ていたところ・・

香港デモの話題になったらバチっと消えた!

噂は本当だった!!

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