京阪電車で伏見稲荷にやってきました。
伏見稲荷大社
全国に30000社あるといわれる稲荷神社の総本宮が伏見稲荷大社です。
楼門です。豊臣秀吉の命による創建だとか。
お稲荷さんといえば狐さま。
下拝殿です。
石段を上がると本殿です。
応仁の乱で一度燃えてるそうですね。
権殿です。
神楽殿です。
さて人々が向かう先は・・
千本鳥居
なんと言ってもここです。
奥社参拝所につきました。
ここにはおもかる石があります。
この灯篭の前で願い事を念じて石灯篭の空輪を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いとする試し石です。
思ったより重いんですよ。だから相当な重さをイメージしないとダメです。
多くの人は奥社までで引き上げますが、鳥居は稲荷山山頂へと続いていきます。
これは根上がりの松です。
株関連の仕事の人には、「値上がりを待つ」縁起の良い松になります。
もう少しだけ奥へと進んでいきます。
熊鷹社です。
一瞬もっと上まで行こうかとも思いましたが・・
これ見てギブアップ。
大人しく帰還します。
さて京阪電車でさらに中書島駅まで進みます。
伏見は龍馬と酒蔵の町。
寺田屋
坂本龍馬ゆかりの旅籠。そして血生臭い「寺田屋事件」で知られる寺田屋にやってきました。
龍馬が泊まった寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで焼失。
現在の姿は再建されたものです。
有馬新七ら薩摩藩突出志士が上意討ちされた場所でもあります。
まずは2階を見学。
いい雰囲気です。
龍馬さん。
こんな部屋で中岡さんと国事を論じたいものです。
ちなみにこれが入場券。土佐藩札を模しています。
なんと今なお宿泊も可能だそうです。
刀跡が。
龍馬がつけたものかな?いや焼失してたはず。
1866年3月9日の深夜、伏見の寺田屋に宿泊中の坂本龍馬は、伏見奉行所の幕府捕り方に包囲されました。
異変に気づいた入浴中の龍馬の恋人・お龍は、急ぎ階段を駆け上がって龍馬に危急を告げました。
いや、焼失したはず。
一矢纏わぬ姿で飛び出してくるお龍さん。名場面のひとつです。
龍馬は踏み込んだ幕吏たちに拳銃で応戦し、同宿の長州藩・三吉慎蔵も槍をふるって戦いましたた。
1階は女主人・お登勢さんの部屋です。
龍馬ら志士たちを献身的に助けました。
ここは「寺田屋騒動」のあった部屋でもあります。
1862年3月に薩摩藩の実質的リーダーである島津久光(藩主の父)は藩兵1000を率いて上洛。朝廷と幕府が連携する公武合体路線を推し進めるのが目的でした。ところが、久光の上洛に期待していた急進的な尊皇(倒幕)派である薩摩藩士・有馬新七らは、久光が予想外に幕府寄りの立場であることを知って憤慨し、自分たちのみで決起することとしました。
5月29日、有馬新七、西郷従道、大山巌らは寺田屋に集結。これを知った久光が暴発を抑えるために大久保利通らを派遣したが、説得は失敗。大久保同行の藩士たちと斬り合いになり、有馬新七は討死。計9名が命を落としました。
有馬新七の名セリフ「俺(おい)ごと刺せ」はここで行われたのか?いや、焼失したはず。
ここがお庭です。
↓こちらは寺田屋騒動の碑です。
坂本龍馬・避難の材木小屋跡
龍馬が寺田屋を脱出し逃げ込んだ材木小屋跡です。
寺田屋から10分くらいの濠川そばにありました。
事件の翌朝、お龍さんから知らせを受けた薩摩藩により龍馬は救出され、九死に一生を得ました。
確かこの川から舟で救出したんでしたよね。
伏見 酒蔵の町
伏見は酒蔵の町としても知られます。
宇治川沿いでは川舟も楽しめる。
いい風情です。
酒蔵の町並みへと。
月桂冠大倉記念館
ちょっと覗いてみました。
申し訳ないけど無料スペースのみ。
さすがに昼間から酒呑んで、というわけにはいかず、甘酒を買って川べりで味わいました。
伏見巡り、充実していました。
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