玉川上水駅
目的地は都立東大和南公園です。玉川上水駅から徒歩5分くらいでした。
快適な感じの公園ですね。
目的地が見えてきました。
旧日立航空機立川工場変電所
この建物は1938年に建てられた「日立航空機立川工場変電所」です。機銃掃射の痕が生々しい戦災建築です。
この弾痕はアメリカ軍の小型戦闘機による機銃掃射や、B29の落とした爆弾が炸裂して出来たものです。「西の原爆ドーム、東の変電所」と言われているとか。
この工業地域は1945年の2月から4月にかけて、米軍による3回もの攻撃を受けています。合わせて110余名に及ぶ死者を出しています。
B29爆撃機によって落とされた500ポンド爆弾の実物大模型です。
B29が撮影した空襲の様子。ここの工業地域では陸軍用航空機のエンジンを生産していました。
戦争末期には女性含む学徒勤労動員が行われました。どこの国も戦時には総力戦体制となった時代でした。
立川工場に動員された学校は、豊島岡女子、中大附属、獨協高校、日大二高、都立武蔵、都立南多摩、津田塾大学、東大教養学部、東京経済大学など。
内階段に残る銃撃痕です。
非常用電源として使われた蓄電池室です。
ここにも銃撃痕が見えますね。
2020〜21年による修復で階段の補強工事が行われました。
ここが2階です。
95式1型練習機乙型です。通称「赤とんぼ」。この機に載せるエンジンを製造していました。
2階には宿直室が保存されています。
配電盤です。
ここにも銃撃痕が!
テラスにも多くの銃撃痕が残っていました。
ここは外階段。もともとこの建物は1階を倉庫、2階を事務所として使用しており、従業員は2階から出入りしていました。
慰霊碑に手を合わせます。
米軍の機銃掃射は無差別かつ無慈悲なものでした。民間人をなるべく多く殺戮し、厭戦気分を高めて日本の降伏を狙ったのです。
こちらが裏手です。
これは変電所の北側にあった受電施設を防護する「防護壁」です。
広島原爆を耐えた「被曝アオギリ」の種子から育てられた「被曝アオギリ二世」です。
一周まわってきました。
この変電所は経営会社が変わった戦後も稼働し続け、何と1993年まで工場に電気を送り続けました。
この地が都立公園として整備されるにあたって、この変電所は一旦は壊される運命にありましたが、貴重な戦災建造物を後世に残したいという市民の活動により、保存されることとなりました。
給水塔(部分保存)です。戦後も稼働されましたが、2001年惜しくも解体されることになりました。爆撃の痕跡を残す部分を切り取って、ここに保存されています。
変電所は現在、東大和市文化財に指定されています。
毎週水・日曜日に無料公開されています。
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