ロシア旅行記です。サンクトペテルブルク市街地から25キロほど南下し、プーシキン市というところに行きます。
ツァールスコエ・セロー
「ツァールスコエ・セロー」に到着しました。
「ツァールスコエ・セロー」とは、皇帝の村の意味。ロマノフ朝皇帝の夏の宮殿として使用されていました。
学習院
アレクサンドル一世が19世紀初頭につくった、貴族子弟を対象にしたエリート教育機関です。詩人プーシキンが第1期生であったことで知られます。
エカテリーナ宮殿
「ツァールスコエ・セロー」の中心は、なんと言っても「エカテリーナ宮殿」です。学習院とは繋がっていますね。
長さ300メートルの、ロシアバロック様式の建築です。
この宮殿は、ピョートル大帝の後妻で、ロシア初の女帝・エカテリーナ一世のために建設されました。その後、エリザベータ女帝やエカテリーナ二世など、なぜか女帝の代に改築が行われました。
Eに1の紋章があります。エカテリーナ一世を意味しているそうです。
コスプレの人たちがいました。日本のお城に行くと忍者やサムライがいるみたいなもんですか?一緒に写真撮ったら金をとられるんでしょうね。
さあ、いよいよ入場です。
エルミタージュ(緑と白)と似てますけど、こっちは青と白で美しいですねえ。
内部は紙の靴カバーで入館します。カメラは一眼レフは禁止らしい。
この陶器は暖房機のようです。
大広間
この「大広間」に来たかったんですよ。
18世紀末、日本の伊勢の漁民「大黒屋光太夫」一行が嵐に遭い、アリューシャン列島に漂流してしまいます。
そこでロシア人に助けられた光太夫一行は、10年もの歳月をかけ、ユーラシア大陸を横断。悲願の日本帰国を訴えるためでした。そして、ついにサンクトペテルブルクのこの広間に招かれました。
謁見したのはエカテリーナ二世。当時ロシア側は「日本の漂流民を送還すること」を口実に、日本との貿易を望んでいました。
エカテリーナ二世は、光太夫の帰国を許し、1792年にラクスマンの船で根室に帰還を果たします。
緒形拳主演の映画では、この「大広間」でロケが行われています。
階段室
壁飾りは、日本の伊万里焼だそうです。
地震がほとんどない地域だから、こういうことができるんでしょうねえ。
女神の装飾は艶かしい。
エカテリーナが着ていたドレスの複製だそうです。
ロマノフ朝の皇帝一家の展示。
絵画の間
壁一面が絵画で覆われた「絵画の間」です。
緑の食堂
宮殿は第二次大戦中、ドイツ軍による破壊と略奪にあいました。
戦後、完全に復活しました。
無残に破壊された当時の宮殿。
宮殿の裏側にまわり、帰ります。
庭園が広がります。
「琥珀の間」も見学できましたが、撮影は禁止でした。これは拾った画像です。
第二次大戦中のレニングラード攻防戦の時に、ドイツ軍によって琥珀は持ち去られてしまいましたが、2003年に復元されました。
ちなみにサンクトペテルブルグで買ったお土産は、プーチンのマトリョーシカでした。
中からはメドヴェージェフが出てきました。前大統領ですね。プーチンの手下です。
次はエリツィン、次はゴルバチョフ、次は多分ブレジネフだな?チェルネンコとアンドロポフはなかったことにされたかw
これはペテルブルグの土産物屋さんの画像。やはりマトリョーシカは多種多様でした。
そしてプーチンも人気。「強いロシア」を復興させた大統領として、ロシア人のナショナリズムに訴えるものがあるんでしょうねえ。
エルミタージュ劇場
さて夜は「エルミタージュ劇場」で、バレエを鑑賞しました。
「エルミタージュ劇場」は美術館と隣接しています。
この劇場はもともとエカテリーナ二世が、家族や上級貴族ら内輪で楽しむためにつくった劇場です。
こじんまりしているので、オペラグラスは不要です。
楽団の人たちも近い。生演奏を間近で楽しめます。
劇場からネヴァ川の夕陽が見えます。でもこれが21:00ぐらいですからね。
かぶりつきで見ましたが、なかなかの迫力でした。
基本は撮影禁止ですが、カーテンコールの時はとってもいいみたい。
題目はチャイコフスキー「白鳥の湖」でした。
私のようなレベルの低い人間には良いんだかどうだか判断出来ませんでした。でもさすが本場。充分に楽しめましたよ!
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