彦根城訪問の記録です。
彦根駅
彦根駅前の井伊直政像です。徳川四天王として、関ヶ原でも活躍。彦根藩の藩祖となりました。
早速彦根城へと向かいます。
幕末の大老・井伊直弼の歌碑が見えました。
埋木舎
埋木舎(うもれぎのや)に来ました。彦根城のお堀のそばにあります。
ここは大老・井伊直弼が17歳から32歳まで不遇の青春時代を過ごした屋敷です。
直弼は1815年、彦根藩主の14男として生まれました。捨て扶持をもらって、この屋敷で無為の余生を過ごす運命を与えられました。生涯ここに埋もれて生きるであろう意味から、「埋もれ木」と名付けました。
↓直弼が使った駕篭。
↓直弼が着た着物。
↓彦根藩調練図
直弼側近の大久保家が、彦根藩廃藩後の埋木舎を管理しました。
表屋敷です。ここで直弼は国学者・長野主膳らと語らいました。
↓御茶室です。飼い殺しの日々の中、直弼は芸事に没頭しました。歌・茶・太鼓などすべて達人の域に達したと言われます。口さがない家臣たちは、芸事に勤しむ直弼を「チャカポン(茶・歌・ポン・・太鼓の音)」と呼んで冷笑していました。
長野主膳と語り合う直弼。主膳は、後に直弼が大老に抜擢されると、直弼の右腕となって安政の大獄を指揮します。
埋木で直弼の身の回りを世話した女性たち。里和は直弼の子を産むことになります。それにしてももう少し可愛らしく描けないもんか。
埋木舎を有名にしたのは大河ドラマ第1作となった「花の生涯」でした。
運命の悪戯によって、彦根藩主、そして幕府大老に抜擢された直弼は、崩れかけた幕府の威信を保つため、強権的な政治を行います。
最期は江戸城桜田門にて暗殺。幕府大老の江戸城門前での暗殺は日本中に衝撃を与え、幕末動乱は加速していくことになります。
彦根城
国宝・彦根城を見学していきます。
江戸時代初期、幕府の有力譜代大名だった井伊氏によって築かれました。
二の丸佐和口多聞櫓です。
馬屋です。
お馬さんがいます。
江戸時代までの日本馬はサラブレッドよりだいぶ小さかったみたいですね。
佐和口多聞櫓に入ってみましょう。
廊下橋です。
天秤櫓です。
太鼓門及び続櫓です。
太鼓門の背面です。
彦根城天守
国宝・彦根城天守です。
明治の廃城令を逃れ、現代まで生き残った現存天守のうちの一つです。
鉄砲狭間です。
現存天守の階段は狭いので注意して。
琵琶湖が見えますね。
こちらは西の丸三重櫓です。
晴れていて気持ちいい。
何やら人混みが・・?
おお!彦根のゆるキャラ・ひこにゃんです。
確か版権をめぐって裁判沙汰になったんでしたね。
その後どうなったのか。まあどうでもいいけど。
大人気です。
「埋れ木」は彦根の銘菓にもなってるんですね。
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