平戸巡り【オランダ商館、平戸城】

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長崎県の平戸に一日観光に行ってきます。佐世保からバスでスタートします。

真っ赤な平戸大橋を渡ります。

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目次

平戸市観光ターミナル

無事到着しました。

平戸は近世、オランダやイギリスとの通商拠点が置かれました。江戸時代初期にキリスト教禁教が強まるまで、大いに繁栄した町です。

じゃがたら娘の像

鎖国政策が強まると、ポルトガル人は追放となりました。異人たちと関係があった日本人女性たちも、国外追放とされました。

オランダの商館があったエリアへ散策していきます。

オランダ井戸

これが目的地の平戸オランダ商館なんですが、電気の故障で開館していませんでした。また後で訪れます。

オランダ塀です。

オランダ商館を周りからのぞかれないために、漆喰の塀で囲んだらしい。

オランダ埠頭です。積み下ろしをここで行ったみたい。

松浦史料博物館

平戸藩主・松浦氏の屋敷が歴史博物館になっています。

英国人ウイリアム・アダムズ
フランシスコ・ザビエル

この屋敷は、蘭英貿易時代の松浦氏のお屋敷だとか。

大名奥方のお輿
大名奥方の調度品
日蘭貿易の様子
禁教後、天正遣欧使節の中浦ジュリアンは殉教しました。
1622年の長崎大殉教。多くの宣教師や信者が殉教しました。
踏み絵の様子。

近世初期の平戸は国際都市でした。オランダ人、イギリス人以外にも明の商人らが活動の拠点としていました。有名な明の商人には王直という人物がいます。この六角井戸は明の様式らしいです。

六角井戸
樹齢400年の大蘇鉄
樹齢400年の大蘇鉄

平戸ザビエル記念教会

有名なフランシスコ・ザビエルは、鹿児島に来日した後、平戸に移って布教しました。

ルルドの洞窟の奇跡
ザビエル

教会と寺院が見える風景が、観光名所となっています。

按針の館

英国人ウイリアム・アダムズは、1600年オランダ船リーフデ号に乗って、豊後に漂着しました。ウイリアム・アダムズはのちに徳川家康の外交顧問となり、三浦按針の名前を授けられました。

按針の館

三浦按針の屋敷は、お菓子屋さんになっています。

銘菓カスドース
銘菓カスドース

幸橋

この堅牢な石橋は元禄期につくられたそうです。

幸橋を渡ると平戸市役所があります。

奥の建物が平戸市役所

平戸城

ここから平戸城に登っていきます。

乾櫓

中山愛子像です。平戸出身の中山愛子は、江戸後期に皇室に嫁ぎ、明治天皇の祖母となりました。

北虎口門

平戸城・天守閣

展望は素晴らしいです。

遠くに赤い大橋が見えます。

平戸には若き日の吉田松陰も遊学に訪れています。

平戸オランダ商館

再びオランダ商館に戻ってきました。

当時の建築様式で再建され、博物館として公開されています。

1600年に豊後(大分県)に漂着したオランダ船リーフデ号
リーフデ号に乗って、のちに徳川家康に仕えたウイリアム・アダムズ。
オランダ商船に設置された艦載砲。
荒波を越えるオランダ商船
徳川家康がオランダ商館に発行した朱印状
オランダ商人の平戸追放の口実となった破風。

鎖国政策を進める徳川幕府は、なんとかオランダを平戸から追放し、制御しやすい長崎・出島に移そうとしました。その口実として破風に刻まれた「西暦(キリスト教暦)1639」に難癖をつけ、追い払ったのです。

平戸での自由な生活は終わりを告げ、狭い出島に押し込められる日々となるのです。

オランダ商館跡地からの出土品
当時のオランダの建築様式
独特の柱の立て方ですね!

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