「高台寺」へと向かいます。高台寺は、豊臣秀吉の正室「北政所ねね」が眠る歴史ファンの聖地のひとつです。「ねねの道」を歩いて行きます。
高台寺
いよいよ高台寺に行ってきます。坂を登って入場です。
方丈
まずは「本堂(方丈)」に入ります。
これが「方丈庭園」!
見事な枝垂れ桜ですね!
以前来た時は夏だったので、何の印象もなかったんですが、こりゃ凄い!
ちなみにこれが夏に来た時の画像です。
開山堂
次に2つの池に挟まれた「開山堂」に向かいます。ここはその名の通り、江戸初期に高台寺の初代住持となった三江紹益禅師を祀っています。
高台寺は開山当時は、徳川家康の援助によって壮麗な大寺院でした。北政所ねねは、大阪城の豊臣秀頼、淀君に対抗する重要なカードだったため、家康は厚遇したのです。
しかしそれらも天災などで失われ、この開山堂は数少ない遺構となります。
開山堂から左手の橋は「観月台」。今は入れないみたいですね。
開山堂から右手に竜の背のように上がっているのは「臥龍廊(がりゅうろう)」です。これが「霊屋」に繋がって行くんですが。
「臥龍廊」も、無期限使用停止になっているようです。老朽化が原因だとか。職員の女性がそう言ってました。
以前、夏に来た時の写真です。
霊屋
さて次が高台寺の最大の聖地「霊屋(おたまや)」です。
撮影は禁止でしたが、内陣には豊臣秀吉と北政所ねねの像が並びます。
下の画像はパンフ撮影です。
そして、この霊屋の地下2メートルに、北政所ねねが土葬されて眠っています。凄い!ですね。この歴史的事実!実は桃山時代頃は、火葬は一般的でなかったという説もあるそうです。
高台(築山かな?)の上には、茶室があります。
「傘亭」です。
「時雨亭」です。
どちらも千利休の意匠によるものと言われ、伏見から移築した創建以来のもので重文指定されています。
下りは竹の小径。ライトアップしたらさぞ綺麗でしょうなあ。
何だかんだ楽しめました。
霊山観音
さて続いてすぐ隣の「霊山観音(りょうざんかんのん)」に行ってみます。
やたら目立つので、入らざるを得ない。
この観音像は1955年に造られたそうです。高さは24メートル、500トンあるそうです。終戦の10年後ということから分かりますね。英霊を悼む思いで造られたそうです。
涅槃の像です。
願いの玉です。
仏足石です。いろいろオブジェは充実してますね。
観音様の内部にも入れるようです。
しかし老朽化してますねw
メモリアルホール。第二次大戦の戦没者(無名戦士)の慰霊の部屋のようです。
英語表記ということは、敵味方関係なく弔うということですか。立派ですね。
宗教はなんなんでしょうね?これは観音様なのか。
インドっぽい。
陸軍中野学校の慰霊碑がありました。フィリピンのルバング島で終戦後もゲリラ活動を続け、30年粘った小野田寛郎さんが中野学校出身でした。
その他、慰霊碑関係はたくさんありました。
ちょっと「昭和のB級観光地の廃墟」的な雰囲気もあって、見ごたえありました。目立つオブジェがいっぱいありましたね。
三十三間堂
バスで移動して、国宝「三十三間堂」を見たいと思います。何度も見てるけど、千手観音像がようやく国宝指定されたそうだし。
三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といいます。
ここが入り口ですね。この現代風のエントランスが本堂に続いています。
この地には平安時代末期の「院政」の時代に、後白河上皇の離宮がありました。その一画に平清盛によって1165年に建立されたのが、現在の三十三間堂です。
しかし鎌倉時代中期の1249年の火災でほぼ焼失してしまいました。1266年に本堂のみが再建されています。
本堂の長さは120メートル近くあります。後で外観をひと回りしますが、まずは1001体もの仏像です!
堂内中央に鎌倉時代の仏師湛慶作の本尊千手観音坐像が安置されます。
頭上の11の顔と40の手から成っています。湛慶は有名な運慶の子で、この像を82歳の時につくりあげたそうです。
その左右と背後に千手観音立像が並びます。千手観音立像は計1001体あります。とにかく圧巻ですね。いつ見ても凄い。(これは看板撮影です)
このうち124体は、平安時代創建当時からの生き残りです。あとの800余体は鎌倉時代の復興です。約16年で800体復刻したんだから凄いです!
2018年には全ての修復が終わり、国宝指定されたことを記念して、博物館に寄託の像が堂に戻り、1001体が勢ぞろいしました。
千体仏の手前には二十八部衆像28体が横一列に並び、内陣の左右端には風神・雷神像が安置されます。二十八部衆像のうちの帝釈天です。wiki画像です。
雷神像のwiki画像です。
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