ルーヴル美術館巡り【必見作品①】

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ルーヴル美術館

パリに来たからには世界最高の美術館・ルーヴル美術館を訪問します。

ピラミッドが見えてきました。

人生で訪れたい海外観光地ベスト3に入る場所でした。

ルーヴルも色々入り口があるみたいなんですが、今回は主に「カルーゼル・デュ・ルーヴル」という地下街からの入り口を使いました。リヴォリ通りに面した地下街の入り口です。99と書いてあります。

エスカレーターを何回か降ります。

地下ショッピング街の奥に、逆さピラミッドが見えます。

逆さピラミッドの左奥が入り口です。まずここに並んで、セキュリティチェックを受けます。セキュリティの後に中でチケットを買うという流れです。

私は事前にミュージアムパスを買っておいたので、チケット購入は不要です。美術館巡りをしたい人には必携ですね。

まずはモナリザを見たいです。ドゥノン翼の入場口を直進すると階段がありますが、その両サイドにひっそりとエレベーターがあります。そのどちらかを使って最上階まで行くと、なんとドゥノン翼1階のモナリザの裏手につくそうです。

階段は使わず、階段脇のエレベーターに乗って、「1」のボタンを押す。

モナリザはとにかく真っ先に見ないと、満員電車状態になります。一番乗り達成。エレベーターの裏に本当にあった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」

1503〜1506年の作品です。

おそらく世界で最も有名な絵画ですね。盗難やテロ対策で防弾ガラスに覆われる厳重なガードがされていて、気安く接近できません。

実際にモナリザは一度盗難にあっています。1911年から2年間イタリア人の窃盗によって「里帰り」をし、フィレンツェで発見されています。

消えたモナリザ

その後モナリザがルーヴルから出たことは、わずか2回だけ。1963年にアメリカ展(ケネディ政権)、1974年に日本展(田中角栄政権)だけ。

1974年、東京国立博物館にやってきたモナリザ。

そしてもう二度と海外展示は行われないだろうと言われています。保険金がありえないレベルになるためらしいです。現実に東京展でもスプレーを吹き付けられそうになる事件が発生しています。

「サモトラケのニケ」

「ダリュの階段踊り場」にはニケがいます。紀元前200〜190年ごろの作品です。

ギリシャ神話の女神ニケの彫刻で、ギリシャのサモトラケ島で胴体部分が発見されました。

薄い衣の表現が素晴らしい。

その後、翼などの断片が次々と見つかって復元され、ルーヴルにやってきました。(発見したのがフランス領事)

シューズメーカーのNikeがニケから名前を貰ってるのは有名。

「ミロのヴィーナス」

ニケの踊り場の下の左手の通路をまっすぐ行くと、「ミロのヴィーナス」に到達します。紀元前130年〜紀元前100年頃の作品です。

ミロのヴィーナスはギリシア神話における女神アプロディーテーの像と考えられています。高さ203cmの大理石像です。

この像は1820年に、エーゲ海のミロス島で発見されました。ミロス島を統治していたオスマントルコ政府からフランスが買い上げ、修復の後にルーヴル美術館で管理されています。

以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度で、1964年に日本の東京および京都で行われた特別展示のみです。門外不出といってもいいでしょう。

この角度が一番美しい角度らしいですね。

欠けた右手はずり落ちそうな腰布を掴んでいたとの説もあります。

ギリシャ、ヘレニズム文化の頂点を示す作品と言えますね。

「モナリザ」「ニケ」「ミロのヴィーナス」が、ルーヴル3強と言われ大混雑となるため、早めの鑑賞をお勧めします。

戻った頃には「モナリザ」前にはもう結構な人だかりが出来ていました。まだこれでも空いてる方ですけどね。

どんどん人は集まって来ます。

ニケもこんな感じになる。

次は近代のフランス絵画から見ていきます。すごく大きな部屋です。

ロマン主義、新古典主義などの大作が展示されます。

ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」

1830年の作品です。ロマン主義の画家ドラクロワの代表作で、あまりにも有名な作品です。

フランス革命を描いたと勘違いしがちですが、実はもうちょっと後、1830年の「7月革命」を描いています。「レミゼラブル」で描かれた時代に近いですね。

テオドール・ジェリコー「メデューズ号の筏」

1819年の作品です。

32歳で早逝したロマン主義の画家・ジェリコーの代表作。直前に起きた「メデューズ号難破事件」を題材にしたため、センセーショナルな話題を生んだ作品です。

ドミニク・アングル「グランド・オダリスク」

1814年の作品です。

女体の長すぎる背中など、解剖学的におかしいと散々批判されますが、アングルは全く意に介しませんでした。

ドゥノン翼のメインストリートの「グランドギャラリー」です。イタリア絵画を鑑賞していきます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖母子と聖アンナ」

1510年頃の作品です。

聖母子と、聖母の母アンナの3代が、ピラミッド型の美しい構図に描かれています。

聖母マリアは、キリストを(生贄の象徴の)子羊から引き離そうとしています。アンナの足元に描かれた石板は、実は胎盤を表していると言われます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」

1483年〜1486年頃の作品です。

同じテーマで描かれた作品がロンドン・ナショナルギャラリーにもあります。

岩窟内は胎内を表すと言われます。聖母の左側で拝んでいる幼子が洗礼者ヨハネ。聖母の右側の幼子がキリストで、キリストのそばの赤いのは天使です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「洗礼者聖ヨハネ」

1513年〜1516年頃の作品です。

キリストの到来を意味する天を指すポーズ。この作品は「モナリザ」と同様、レオナルドが最後まで手元に置いて手放さなかった作品の一つです。

サンドロ・ボッティチェリ「三美神を伴うヴィーナスから贈物を授かる若い婦人」

1483年〜1485年頃の作品です。

もともとフィレンツェの名家・トルナブオーニ家の婚礼として描かれた壁画です。フレスコ壁画を引き剥がしたもので、破損が見られます。

ラファエロ・サンティ「堕天使を駆逐する聖ミカエル」

1507〜1508年頃の作品です。

天使たちのトップに君臨する最高位の天使ミカエルと、神に反逆を企てたサタンとの対決を描きました。

ラファエロ・サンティ「聖家族と聖エリザベス、幼子洗礼者ヨハネと2人の天使」

1518年の作品です。

フランソワ一世のコレクションだったそうです。

ラファエロ・サンティ「バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像」

1514年〜1515年の作品です。

ラファエロの肖像画の最高傑作と言われます。モデルはバルダッサッレ・カスティリオーネという貴族で、ラファエロとは親しい友人関係でした。

この作品は「男のモナリザ」とも呼ばれるそうですが、その根拠は作品の完成度もさることながら、1911年の「モナリザ盗難」の間、「モナリザ」の展示位置にこの作品が代わって鎮座していたことにもよります。

ラファエロ・サンティ「青い冠(ティアラ)の聖母」

1512年〜1518年頃の作品です。

ラファエロとその弟子ペンニの合作です。

ラファエロ・サンティ「友と一緒の自画像」

1518年〜1520年頃の作品です。

ラファエロの最晩年の作品です。と言ってもラファエロはわずか37歳の早死になんですけど。左側がラファエロで、右側は弟子のジュリオ・ロマーノともいわれています。

ロッソ・フィオレンティーノ「ピエタ」

1533年〜1540年頃の作品です。

キリストの死を描く「ピエタ」が主題ですが、長く引き伸ばされた身体や、色使いがロッソの特徴です。

カラヴァッジョ「聖母の死」

1605年〜1606年の作品です。

死にゆく聖母マリアは、なんとテヴェレ川に上がった娼婦の水死体をモデルに描いたと言われています。下腹部の膨れ具合が異様ですね。

しかし聖母のモデルが土左衛門とはあまりに品性に欠けるとして、依頼主であるローマのサンタ・マリア・デラ・スカーラ聖堂から受け取りを拒否されます。

カラヴァッジョ「女占い師」

1595年〜1598年の作品です。

ウブでいいところの坊ちゃんが、ジプシー女を愛しい眼差しで見つめますが、したたかな女が一枚上手。こっそり指輪を抜き取ろうとしています。

天才画家であると同時に、悪童としても知られたカラヴァッジョらしい作品かも。

天井装飾も見事です。

グイド・レーニ「ヘレネの誘拐」

1631年の作品です。

レーニの代表作のひとつです。トロイア王子パリスが、スパルタ王妃ヘレネを強奪し、トロイアへ連れ帰った場面です。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「田園の奏楽」

1511年頃の作品です。

ヴェネツィア派の大画家・ティツィアーノの代表的作品で、マネの「草上の昼食」に影響を与えたことで知られます。ティツィアーノの師匠・ジョルジョーネが着手した作品でしたが、途中でジョルジョーネは死去。その後をティツィアーノが受け継いだというわけです。

パオロ・ヴェロネーゼ「美しきナーニ」

1560年頃の作品です。

当時の研究からヴェネツィアの名門貴族ナーニ家の女性ではないか、と推測され、以後「美しきナーニ」の名で呼ばれるようになりました。

ホセ・デ・リベラ「羊飼いの礼拝」

1650年の作品です。

スペインのバロック時代の画家ホセ・リベラは、ヨーロッパで最初に評価されたスペイン人画家だそうです。

ホセ・デ・リベラ「エビ足の少年」

1642年の作品です。

「えび足」とは、この少年の不自由な右足を意味しています。少年は無邪気に笑みを浮かべ、1枚の紙片を握っています。そこには「神の愛のために我に施しを」と書かれています。

ディエゴ・ベラスケス「マリア・テレサ王女」

1653年の作品です。

スペイン・ハプスブルク家の宮廷画家として仕えたベラスケスは、王女たちの見合い用の肖像画を多く残しました。

フランシスコ・デ・ゴヤ「フェルディナンド・ギュマルデの肖像」

1798年〜1799年の作品です。

スペインのフランス大使を、ゴヤは色彩も鮮やかに、堂々とした風格で描いています。ゴヤ自身が「これ以上素晴らしい作品を制作したことはない」と語る自信作だそうです。

エル・グレコ「キリストの磔刑と二人の寄進者」

1590年の作品です。

不穏な空の中で、十字架に架けられたキリストが浮かび上がっています。足元にいるのは、二人の同時代の人物です。キリストの身体は、マニエリスム的なねじれを見せています。

ゲインズバラ「オルストン夫人の肖像」

突然イギリス絵画です。1765年の作品です。

ゲインズバラは、18世紀のイギリスを代表する肖像画家です。自然の中の、優美な肖像画を描きました。森の茂みの中の、気品ある婦人が描かれています。

さてドゥノン翼0階に移動します。ここは彫刻コーナーです。

「ギャラリー・ダリュのコレクション」を鑑賞していきます。古代ギリシャ・エトルリア・ローマの美術が主体です。

ボルゲーゼの剣闘士

紀元前100年頃の作品と思われます。

この彫像は17世紀初頭にローマの南で、スキピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の発掘によって発見されました。発見時に右腕は欠けており、修復が行われています。

「ミケランジェロのギャラリー」に入ります。ここはルネッサンス以降のイタリア彫刻群ですね。

アントニオ・カノーヴァ「アモルの接吻で蘇るプシュケ」

1793年の作品です。

イタリア人彫刻家アントニオ・カノーヴァがつくった作品です。

大人気作品の一つです。

ミケランジェロ・ブオナローティ「抵抗する奴隷」

1513年〜1516年の作品です。

教皇ユリウス2世の墓として、ミケランジェロが制作を開始した「奴隷」連作です。

ルーヴルには2体ありますが、こちらの奴隷は、荒々しく身をねじりながら抵抗するため、「抵抗する奴隷」と呼ばれています。

ミケランジェロ・ブオナローティ「瀕死の奴隷」

1513年〜1516年の作品です。

もう1体は非常に若く美しい奴隷で、彼は死への眠りに落ちていくように見えます。

この像は「瀕死の奴隷」と名付けられました。この奴隷の横には、謎の猿の姿が見えます。

ベンヴェヌート・チェッリーニ「フォンテーヌブローのニンフ」

1542年〜1543年の作品です。

チェッリーニは、フランス王フランソワ1世に「フォンテーヌブロー宮」の正面口の装飾を依頼され、この作品を作成しました。

マニエリスム風に伸びた体を、自然動物が囲んでいます。

ちょっと戻って、再び古代ギリシャ・エトルリア・ローマの美術を見ていきます。まず入り口に素晴らしい装飾の部屋が見えます。

アンヌ・ドートリッシュの夏の住居

17世紀のフランス王妃アンヌ・ドートリッシュの夏の住居です。

華やかで、女性らしい天井画が残されています。

オーストリア・ハプスブルグ家からルイ13世の元へ嫁いだアンヌ・ドートリッシュは、なかなか子宝に恵まれず、また時の宰相リシュリューともそりが合わなかっったことから、いたたまれない日々をおくっていました。

が、37歳で見事懐妊。この子こそ太陽王ルイ14世です。

見事に国母となったアンヌ・ドートリッシュは、ルイ14世に惜しみない愛を注ぎ、新宰相マザランと足並みを揃えて、フランス絶対王政・全盛期の礎を築きます。

アテナイのクレオメネス「マルケルスの栄誉をたたえた葬祭用の像」

紀元前20年ごろのローマでの作品です。

この人物は、ローマ初代皇帝アウグストゥスの甥で、後継を予定されながら、紀元前23年に若くして死去したマルケルスです。

次に「カリアティードの間」を見ていきます。ここはシュリー翼になるみたいです。

アルテミスと雌鹿(ヴェルサイユのアルテミス)

2世紀ごろの作品(ローマの模刻)と推定されます。

ローマではディアナ、ギリシアではアルテミスとよばれたこの女神は、雌鹿に伴われ、狩りをしようとしています。

ルイ14世の時代、一時的にヴェルサイユ宮殿(鏡の間)で展示されていたため、「ヴェルサイユのアルテミス」の異名を持ちます。

これも大人気作品です。

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